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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 今日は一日外に出なかったので、まぁまぁ仕事がはかどる。といってもまだまだ地塗りが続いているので絵を描いているわけではない。まだもう少し残っている。

 上の写真をみても分かるけれど、大体赤系統の地塗りが五割、黄色系統が三割で後は青系統になる、比率でいえば7・5・3ぐらいがちょうどいい塩梅かな。これは全体の話だけれど、一つの作品でも同じことが言えて、主調になる色、中間色、反対色が7・5・3ぐらいになるようにする。

 例えばこれは個展などで全体の配置を考える時にも割りとこの比率を物差しにする場合が多い。同じ系統の色、形、にならないように工夫しているつもりだ。これもまたマトリョーシカ人形のようだな。どこでも同じ理でできている。




KIVIS

喫茶キヴィス こころとおなかをあたためる場所。

一宮町中尾651 喫茶KIVIS
0553-47-6244





 



 
 明日から山口画廊個展です。
── こえをきく ── 
榎並和春展
 2010年 5月26日 (水) ~ 6月14日 (月) 火曜定休
      【 6月12日 (土)・13日 (日) 作家在廊 】
山口画廊
〒260-0033
千葉市中央区春日 2-6-7 春日マンション 102
Tel.&Fax. 043-248-1560
 
http://home1.netpalace.jp/yamaguchi-gallery/profile/profile.cgi
より転載
********************************
    
「見えないものを観る、聞こえないものを聴く、その時々の心の『こえをきく』事が、私の仕事だと思う」

内なる対話から生まれ出る、言葉なき思索の絵画。長い人の営みが、幾重にも堆積した様な画面から、いつしか静かなる祈りの声が響く。個展第2弾、再び瞑想の旅路へ。
 
Enami Kazuharu  (1952 ~ )
 
「もう既に分かっている事を描いても、面白くない。それよりも私は何故それに引っかかりを感じたのか、その『想い』の中味を知りたい。それを選んだ自分を 知りたいと思うのだ」

あたかも長い歳月に風化された岩壁の様な、深い趣を湛える地塗りの上に、どことなく古いイコンを思わせる人物像が、茫洋と静かに浮かび上がる。修道士・旅芸人・楽師・道化師、そして何処へ向かうとも知れない放浪者等々、そのどこか中世的な作中の人物像は、見る者をいつしかゆったりとした瞑想の時空へといざなう。

思索する画家、榎並和春。
未知なる魂の形象を求めて、ひたすらに自己を掘り下げる内に、その世界は表層的な虚飾を離れた、より根源的な領域へと到る。作風の深化に伴って技法も大きく変化し、初期の構成的な油彩表現から、一年間のイタリア研修を境に、アクリルエマルジョンを用いた独自の混合技法へと発展した。

現在は麻布や綿布を貼付したパネルに、壁土やトノコ等を塗り重ねて下地を作り、布等のコラージュを自在に交えながら、墨・弁柄・黄土・金泥・胡粉等々、様々な画材を用いて地塗りを重ね、やがてそこ浮かび上がるフォルムを捉えて、独特の人物像を現出させる。おそらくは、その幾重にも絵具を塗り込み、かけ流し、たらし込み、消しつぶし、また塗り重ねるという作業の中で、来たるべき「何か」を飽く事なく求め続ける事、それが榎並和春という画家にとっての、「描く」という行為に他ならないのだろう。

それはまた、画家がイタリアの古い教会や祠で出会い、心打たれた幾多の無名画家達に寄せる、時空を超えたオマージュなのかも知れない。

表層的な特異性のみがもてはやされ、精神性が大きく欠落した現代の美術界で、真っ向から精神の内奥を指向し、始原の祈りを希求する榎並和春の存在は、これからいよいよその意義を増して行くものと思われる。



 
 新作のために地塗りを始める。5,60点ぐらいあるかな。ここに至るまでも下地作りを色々やっている。絵を描くまでに延々とこういった作業が続く。ただ同じようにやったのでは面白くないので、出来るだけ変化をつける。その時に心がけることは「自分の意に反するように」ということ。

 この「意に反する」というのが結構極意かもしれない。綺麗にきっちり塗ったり貼ったりすることは簡単だな。それらしい物を持ってきてコラージュすれば、簡単にそこそこの作品ができる。でもそれだけに終わってしまう。何の工夫も抵抗もないものになってしまう。そこであえて「自分ならこうはやらない」「ここにこれがあれば困る」ということを下地作りのうちに出来るだけやっておく。

 色も出来るだけ原色でけばけばしいくらいのものを置く。なぜならいずれは渋い自分の好みの色になるのが分かっているから。そうやって自分に反する仕事がされていればいるほど、何とかしようという工夫ややる気が起きるのだな。

 無意識にやるとどうしても今までと同じようにやってしまう。手馴れの仕事になる。例えば筆でなぜるようにムラなく塗るのはある意味小学生でもできる。だから反対に意識して出来るだけ、「無意識」に「無作為」に塗る。書に似てるかな。これがなかなか面白い。




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 前回このテーブルを作ってから何年たったかな。随分と使い勝手が悪くて、結局はずしてしまった。一つはテーブルの部分が大きすぎてこの場につりあわなかったこと。もう一つは延長したした時のテーブルの支えが上手くなくて簡単ではなかったこと。

 こういった簡易テーブル延長システムはいざお客さんが来た時にスルスルと簡単に設置できなければ、本来の意味がない。それと大事なことは設置すれば頑丈であること、なぜなら割れ物であるグラスやお皿や料理が乗るからで、ちょっとやそっとでは壊れないシステムが必要である。

 簡単にすぐに設置できて、簡単には壊れない。相反する条件を満たす方法を考えなければならない。それと大事なのは私に出来る範囲の工作であることだな。

 見て分かるようにこのテーブルは元々食材入れとテーブルを兼ねるように私がコンパネを貼りあわせて作ったものだ。天板は無垢板の製図板。この入手先は、今の学校が引っ越す時に多量に製図板を廃棄処分することになった。今はドラフターやパソコンを使うため製図板そのものを使うことがなくなった。これをやすりをかけてカシュウで塗装すれば綺麗なテーブルの天板ができる。

 この延長したテーブルの支えをどうするか?これはよくよく考えた。で、結局↑の図のように必要な時に角材をテーブルの側面に穴を開けて差し込むのが一番確実で簡単なように思うな。

 しかし、まぁやり始めると結構時間を食う楽しい作業ではあった。
 



 
はる 3256
 今のスタイルになる前はそれなりにデッサンを取ったりスケッチを元に構成して絵を作っていた。何度も同じようなスケッチを元にして絵を描いた覚えがあるな。

 例えばバラをスケッチしたとする。それを元に例えば人物と組み合わせたり、風景と組み合わせることで変化はいくらでもつけることは出来る。それはそれで結構面白くて何枚かは飽きずに描くことが出来るだろう。

 それでも、結局アイディアは一つだと思うんだな。色々変化はするけれど、描きたいことはバラであって、後はある種の手慣れで作品にしただけだ。だから描けば描くほど何かしらエッセンスが薄まってゆく。手馴れてはくるけれど、絵にはなるのだけれど、何かが逃げてゆく。

 そういった描き方だと、個展で作品を30点並べても、すべては一つの元絵のバリエーションに過ぎなくて、ただただ退屈なだけだ。絵の上っ面は変わっているけれど、中身はみな同じということになる。作品は一つ一つが独立していなければならない。大きな作品の部分であってはいけないし、ましてミニチュア版であってもいけないし、バリエーションであってもいけない。

 何回か個展を繰り返していると、百のデッサンやアイディアを用意しても、いつかはネタが尽きる。それに大事なことは絵を描くのが作業になってつまらなくなることだ。確かに手馴れては行くから仕事ははかどるようにはなるだろう。絵描きは職人的なところも多々あるので、それはそれで見過ごして仕舞いがちなんだけれど、先が読めるというのは退屈でもあるわけだ。

 絵を描く面白さは、今まで気づかなかった、新しい自分を発見することでもあるんだな。

 



 
 今日は真夏のような日差しだった。午前中、山口画廊のオーナーが直接絵を取りに来てくれる。家の前の路地は軽なら充分入るのだけれど、車高が低い車は底が着くらしいので、途中まで絵を運んでおいた。家の中にある時は場ふさぎであるダンボール箱もこうやって外に出すと、なぜか心強い甲冑のようだ。

 今年はこの個展を含めて四箇所で開催する予定。ほぼ三ヶ月に一度のペースかな。そんなによく作品がありますね?という声が聞こえますが、まぁいいのか悪いのか、そんなに売れっ子ではないので使いまわしができるのです。内緒ですが・・。もちろん随時新作は追加していますのでご心配なく。年間どのくらい描くのですか?と時々聞かれますが、7,80点から100点ぐらい。そのうち半分ぐらいは気に入らなくてまた描きかえてしまいます。

 アイディアはストックしていません。全くなにもありません。デッサンも資料もなにもない。すべてぶっつけ本番。全てが絵の中に隠れています。絵の具のしみや、コラージュした布の模様から浮かんでくるイメージを拾い集めて形にするだけです。この方法はこうやって何もないところから文章を書いてゆくこととよく似ています。全ては実は自分の中にある。経験したことや、夢見たことや、こうあったらいいなぁとか、本で読んだことだったり、映画で観たことことだったり、誰かに聞いたことだったり、そんなことが思いがけずに出てきて懐かしい感動に包まれたりする。

 アイディアはストックしているうちはいつか尽きてしまうように思う。すごく矛盾しているけれどね。こういったブログのネタも同じだと思う。それに取っておいたネタというのは結構鮮度があってどんどん味が落ちてゆくんだな。これはいい!と思ったときが最高で、その後は段々どうでも良くなってゆく。そんな経験ない?だからアイディアは取っておかない。

 訓練としては裸婦クロッキーだけだな、続いてやっているのは。これは面白いからつづいている。訓練という意識もない。けれどまぁものを描写しても仕方ないからなぁ私の場合。純粋に絵を描くことを楽しんでいるだけだな、クロッキーは。



 
山口画廊・画廊通信77
 
http://home1.netpalace.jp/yamaguchi-gallery/room/room.cgi?mode=koumoku&no=25
より承諾を得て転載

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画廊通信 Vol.77   聖なる手(第2回榎並和春展)
  「探す」という行為は、絵画において何の意味もなさない。大切なのは「見つける」事だ。── 生前ピカソは、あるインタビューでこのように語ったと言う。この言葉を耳にして、私ははたと膝を打った。なるほど、と思ったのである。しかしそれも束の間、考えるほどに意味が解らなくなって来たので、国語辞典を引いてみた。

 曰く、「探す」── 見つけ出す事、「見つける」── 探し出す事、まあ「トートロジー」の例文としては打ってつけにしても、意味を知りたい私としては、これでは馬鹿にされているようにしか思えない。さて、ピカソの真意は何か。

 冒頭の引用は「ピカソの世紀」によるものだが、同書には他にも貴重な発言が記されていて、制作につい「語る」事を嫌ったピカソの、胸中を知る鍵として興味深い。ついでだから、二三関連のありそうな言葉を。

「探究は、数々の迷いのもとだ。探究は、芸術家を単なる知的迷路へと追いやった。これこそが、現代美術の主たる過ちかもしれない」「発展という言葉もよく耳にした。私の絵が今後どのように発展するのか、説明して欲しいと言われるのだが、私にとって芸術に過去も未来もない。もし現在に留まる事が出来なければ、その絵は何の意味も持たないだろう。古代ギリシアやエジプトの巨匠達が残した傑作は、決して過去の芸術ではない。もしかしたら今日それは、これまでになく生き生きとしてはいないだろうか」「理解ほど危険なものがあるだろうか。それも、理解など存在しないなら尚更だ。理解は、ほぼ常に不当だ」

 ピカソという芸術家には、人を面食らわせるような物言いが多いが、その一見奇抜な意匠を取り去ってみると、そこからは芸術への真摯な眼差しが見えて来る。上記の言葉を吟味するほどに、「探究」「発展」「理解」といった思惟の作用を、徹底して排除する画家の純粋な姿勢が、凛として浮かび上がって来るように思える。おそらくはピカソにとって、芸術は構築すべき論考でもなければ、研鑽を究める学理でもなかった。カンヴァスに向かうという事は、知性で織り成された条理のくびきを外して、茫洋と広がる不条理の海へ、新たな船出をする事に他ならなかった。感性の船、直観の羅針盤、海図はない、ある訳がない、航路のない未知の海を往くのだから。ならば目的地は?── きっとそれさえも、ピカソにはなかっただろう。 

 明確に解き明かすべき目的を定め、そこに向かって探究し、追求し、実証を積み上げ、論理を築き上げる、それは学術の方法論なのだ。対して芸術には、目的そのものがない。自分が何処を目指しているのか、何を探しているのか、それは芸術家本人にも分かってはいない、少なくともピカソにおいては。もし「探す」という行為を、探す対象(目的)を認識した上での行為と解釈するのなら、私はピカソの言葉に一歩近づいた事になる。即ち「探すという行為は、絵画において何の意味もなさない」、ならば「見つける」とは?
 
 今回で2度目の個展となる榎並さんは、作品の支持体となるパネルを前にした時、これから如何なる絵がそこに描かれる事になるのか、自分でもまったく分からないと言う。 画家のホームページに「制作過程」という項目があって、文字通り幾つかの制作過程を公開されているのだが、完成への経過を写真と共に追う事が出来るので、私のような絵を描けない者が見ても面白い。

 試みに作業の一部を書き出してみると ── パネル布を張り込む →下地材(ジェッソ)を塗り込む → その上に壁土を塗る → カーマイン(赤系の色)ジェッソで地塗り → 黄土をかける → 更にカーマインジェッソ → 壁土に墨とベンガラを混合し、褐色にして塗り込む→ その上に金泥をかける → 墨にベンガラを混ぜて染み込ませる → 壁土を溶いて、泥状にしたものをかける → それをまた赤に還元 → 更に金泥をかけて、何が出て来るかを待ち構える。── といった具合である。

 ちなみにこの作業はまだまだ続き、傍から見ているといつになっても絵が見えて来ないのだが、実はこれこそが、榎並さんにとっての「描く」という行為なのだ。画家は自らも語る通り、一連のいつ終るとも知れぬ作業を通して、何かを手探りで「待って」いるのである。既に見えている「答え」を探すのではなく、問いかけて、問いかけて、ひたすらに問い続ける行為の中から、いつか見えて来るであろう何かを待つ。 榎並さんの制作は、時に「待つ」とは能動であり、何処へたどり着くかも分からぬ「歩み」である事を、無言の内に教えてくれるのである。

 大切なのは目的地ではない、現に歩いているその歩き方である。── 小林秀雄。しびれるような言葉だ。

 やがてそんな画家の歩みは、いつしか時の厚みとなって画面に堆積し、あの風化したロマネスクの会堂を思わせるような、えも言われぬマチエールを造り出す。そして私達は見る事になるだろう、そこに浮かび上がる修道士を、放浪者を、旅芸人を、楽師達を。彼らは皆いつの間に画面に降り立ち、画家のもとを訪れた者達でり、換言すれば、誰が現れるかも分からないまま歩みゆく道程に、画家は図らずも彼らを見つけたのだ。 

 こうして私はまた、「見つける」という言葉に巡り会う。「見つける」とは「出会う」事だろうか。 顧みれば、出会いはいつも思いがけない。それはある時我知らず、雲間から不意に射し込む光のように、私達の前に降り立つ。画家はきっと、自らの精神に何処までも分け入る内に、いつか自分でも知らなかった自分に、ゆくりなくも出会うのだろう。そして更に歩みを進めるその先に、もしや自分さえも超えた何かに、刹那であれ触れ得るのかも知れない。思うにそれは、冷徹な知的探究の道では、とても踏み入る事の出来ない次元なのではあるまいか。そこはたぶん「芸術」の領域なのである。

「見つける」事を「出会う」事と解するのなら、ピカソは制作の根幹となるスタンスを、とてもシンプルに語った事になる。即ち「大切なのは、見つける事だ」、私はピカソの言葉に、少しは近づき得ただろうか。

 小林秀雄(批評家)は、こうも言っている。── 始めからこのように描こうと思い、その通りに出来たというのは、図面通りにビルが建ったというだけの話で、それは建築家の仕事だ。やってみなければ分からないものをやるのが芸術家なのだから、彼らはどういうものが出来るかなんて、知ってやしないのだ。だから、優れた芸術家ほど自分の描いたものに、驚いているに違いない。── 思えば人生もまた同じだ、かつての詩人の言葉にもあるように、「僕の前に道はない」のだから。画家は正に、絵の中を「生きる」のである、人生を歩むが如くに。

 今年の一月末から2月にかけて、銀座の松屋にて榎並さんの個展があった。私は最終日に伺う事になってしまったが、ゆったりとしたスペースに100号ほどの大作も交え、実に見応えのある構成となっていた。

 展示された作品もさる事ながら、絵を掛けずに作家紹介にあてた壁も一面あって、それがまたとてもユニークで面白い。企画者の発案との事で、作家の言葉や様々な日常のスナップが、壁新聞のように編集して大きく貼り出され、作品をぐるりと見てたどり着いた最後の壁面に、作家の人間性と直に触れ合えるコーナーが現れるという、誠に心憎い演出である。

 榎並さんはかねてから、折々の雑感を包み隠さずブログに書かれていて、それを私は面白いのでよく拝見している事もあり、常々作家の生き方や考え方には親しんで来たつもりだったが、こうしてそのライフスタイルを一望させて頂くと、あらためてその生きる姿勢に心打たれるものがあった。

 丹精して育てた畑の野菜、アトリエの片隅に立て掛けられたチェロ、作品の前で物思う画家、アトリエに続く敷石の小径……、そんな日々の一コマ・一コマを見ている内に、榎並さんの描き出すあの深い内省の世界は、こんな坦々とした日常から生み出されるものなんだなあと、至極当然の事実に思い到るのである。

 きっとこの素朴にして地道な、しかし決して止まる事のない歩みの途上でこそ、あの放浪者や旅芸人に代表される、作者言うところの「遊部(あそびべ)」達との出会いも、豊かにもたらされるものなのだろう。 作品が作者の投影に他ならないのなら、正に榎並さんの描く一作一作は、画家の「現に歩いているその歩き方」なのだと思う。榎並さんは今この時も、やはり坦々と歩いているに違いない、決して大仰に構える事なく、あくまでも何気ない日常の中に、さりげなく確かな覚悟を染み込ませながら。

 昨年の夏、初めての個展を開催させて頂いた折、会期も終了間近となった夕暮れに、Kさんご夫妻がにこやかに見えられた。これで会期3度目のご来店である。3回も見に来て頂いたという事は、もしや……というあらぬ期待も内心なくはなかったが、何しろKさんには前回の展示会で他の作品をお世話になったばかり、更なるお薦めは出来かねる状況にあった。

 そんな訳で、この日も熱心にご覧頂くご夫妻を前に、「どうですか?」というあの一言を出すべきか出さざるべきか、私は人知れない煩悶を内心に繰り広げていたのだが、やがて聞こえて来たご主人の麗しい言葉で、図らずも私の境涯は一変した。曰く「もう一度見て良いと思ったら、『買いたい』と思っていたんです」、こんな時の恩寵のような一言は、どんな名言よりも私を感動させる。

 この日Kさんに、私は一枚の母子像をご成約頂いた。タイトルは「聖なるもの」、どことなく嬰児(みどりご)をいだく聖母を彷彿とさせる、深い祈りを湛えた作品である。

 よく覚えていないのだが、私はこの時「画家は祈りの象徴として、聖母を描いたのでしょうね」とか何とか、知ったような台詞を吐いたのだと思う。それに対する奥様の言葉を、私は今も鮮明に覚えている。「この絵は聖母の姿というよりは、何処にでもある日常を描いているのだと思います。聖なるものは、母が子をかいなに抱くような、何気ない日々の暮らしの中にあるのだという事を、私はこの絵に教えてもらいました」

 私はこの時、「やられた」と思った。おそらく、この仕事でしか味わえないと思われる醍醐味の一つは、この「やられた」という快感である。思えば私などよりも、遥かに深く絵を見られているお客様の言葉に教えられ、励まされつつ、曲がりなりにも私はここまで歩いて来たような気がする。そう、確かに絵は語っていた、聖なるもの子をいだく母の手にこそ、宿るものである事を。

 リルケはある作品の中で「何もかもが落ちる、枯葉のように」とうたった後、こんな言葉で詩を結んでいる。── しかし一人いる、この落下を /限りなく優しい両手で支える者が ── 時に一枚の絵もまた、そんな大それた手ではなくとも、見る者をそっと受け止める温かな手であるだろう。その絵にはきっと、画家が生きる日々の中で見つけた、大切な何かが刻まれているのである。 (10.05.13)

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