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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 人は芸術を理解する動物だと規定したら、案外あたっているかもしれない。古い人類の祖先のお墓から花の花粉の化石が出てきたということを聞いた。嬉しいにつけ、悲しいにつけ、人は踊ったり、唄ったり、それを何らかの形で表現した。そうやって人類はただの本能から一つ上の知恵を持ったのだろう。

 ああ眠い。
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 昨日はまた東京で帰りは午前様でした。全くこの四月は何回お江戸まわりをするのでしょうか?まぁ仕方ないけれど、やっぱり早めに大きな作品を仕上げておいてよかったと安堵する毎日です。まだ仕上がっていなければどれほどやきもきしたことでしょう。

 この頃想う事をつれづれに・・。

 芸術だけを特化して考えるのではなく、生活それも極日常的なことに芸術を絡めて考えたい。特にデパートで個展をやるようになってから感じたことは、デパート言うものすごく通俗的な、大衆的な空間の中で、普通の人がちょっと新しい感覚に触れるとか、工夫次第でちょっとリッチに豊かに生活できるアイディアを提案するとか。そんなことかな。

 新しい芸術運動という大それたことでもないのだけれど、生活の中にちょっとしたアート感覚を持ち込む、そうすることで生活がより豊かに愉しくなるといったことだろうか。私はもともと大上段に振りかぶったような芸事は好きではない。もっと掌握的な,じっくり慈しんで楽しむようなそんなものが好きだ。だからそんな風に考えるのだろうかな。

 例えば今考えていることは、ここのような田舎町の暮らしをどうすれば愉しく、豊かに暮らせるのか?というふうなことだ。都会の価値観では暮らせない。どのみち田舎なんだから、田舎でしかありえないような、それも東京にちかいという立地を逆手にとって、どうすればみんながそれも有りだなぁと思うような生き方が出来るか。

 それが、自分の絵と直接は関係しないだろうけれど、ひとつ上の目線で考えると大いにリンクしてくるのではないかと思うのだな。いや自分の絵がそれによっとどうなるということではなくて、もっとこう生き方の本質と関わってくるのじゃないかと思っているのだ。

 結局は人生のお仕舞いに「あぁ楽しかったねぇ・・」って思えるような生き方をしたいわけで、全てをひっくるめて、考え方を提案したり、啓蒙したり、メッセージを発信したり、表現したいといったことなのかな。



 
 今日は忙しい一日だった。一年は早いものだな。



 
はる 3213
 そういう意味では私など凄く平凡な人間だなと思う。高山辰夫だったかな、「私は個性的であろうとは思っていない、出来れば多くの人と共通なものを見つけたい」というふうなことをどこかで書いていた。私も全く同感だ。若い頃はそれなりに個性的であろうとしたところもあったけれど、もう疲れた。「私が、僕が・・」というのを突き詰めれば、やがて人類のとか、宇宙のに近づいてくれるようにも思う、それを期待しよう。

 私は一体何処に着地しようとしているかな。最も難しいところに来ているのかも知れんな。このまま続けて行けばまぁ最初の頃に目指していた「絵を描いて生きてゆく」ということは何となく適って行きそうだ。そこそこの道が見えてきた。果たしてこの延長上でいいのかどうか?このまま行くとして、あと20年で何処までゆけるのか?そんな多くの疑問がわいてくる。

 絵を描くのはこういったことを考える一つの道具でしかない。こうやってブログや日記を書いてゆくのとさして違いはない。

 何が言いたかったのか分からなくなったのでまた明日だな。

 



はる 3212
 一つ上から考える。どういうことか?と言えば、絵を描くための人生だというのは案外簡単なことのように思う。例えば「LOVE&PEACE」「世界に平和を!」とか簡単に口に出して言う。確かにそうなんだけれど、だれも反対はしない言葉なんだけれど、お題目のようで何の実もない、まがい物だ。

 世界に平和をというのであれば、例えば身近なことでボランティアに参加する方が、実があるというものだ。

 話が違うところに入ってしまった。「絵に命を懸けました」というのも簡単だ。言葉だけならね、何だって簡単だ。でも、実際に絵だけを描いて生きている人がいたら、周りの人はすごく迷惑だろうね。自分は少しは満足かもしれないけれど、巻き込まれる家族や周りはすごく迷惑だな。でも、それだって仕方ない、彼は芸術家だからって言うかもしれない。そうかな?芸術は突き詰めれば哲学とか、宗教になる、人の幸福のためにならなければ意味ないなぁ。自己満足の発露だけじゃ、子供のお遊びみたいなものだ。そんなものなら、人が一生賭けて追求する価値もない。

 「芸術のために生きる」のではない「生きるための芸術」であらねば意味がない。

 最初に戻って一つ上から考えるというのはそういうことだ。

 つづく
 
 



 
はる 3211
 今日は久しぶりに学校に出かけた。新学期の準備をするためでもあるのだが、新学期早々私事で休講しなければならない、そのことの手続きをするための用件を片付ける。

 昨日突然話があったことなんだけれど、ひょっとして三ヶ月という、長い期間作品を貸し出すかもしれない。それは個展ではないのだけれど、まぁ限りなく個展に近い。具体的に決まればここでまた案内します。

 新しい作品は個展のために取っておかねばならないので、今回の話は旧作でいいということなので、額さえ間に合えば何とかなるのじゃないかと考えた。お店のディスプレイとして、まぁ私の絵がそういった場にマッチするかどうか危惧するのだけれど、私の関知することではない。

 作品は持っていても仕方ない。具体的にどこかに飾って観てもらえるチャンスは多い方がいいわけだ。こうやってお声がかかるだけありがたい話だと思う。



 
 書いた記事か消えてしまった。もう一度書く気になれないのでお仕舞い。また明日。
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