画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 3256
今のスタイルになる前はそれなりにデッサンを取ったりスケッチを元に構成して絵を作っていた。何度も同じようなスケッチを元にして絵を描いた覚えがあるな。
例えばバラをスケッチしたとする。それを元に例えば人物と組み合わせたり、風景と組み合わせることで変化はいくらでもつけることは出来る。それはそれで結構面白くて何枚かは飽きずに描くことが出来るだろう。
それでも、結局アイディアは一つだと思うんだな。色々変化はするけれど、描きたいことはバラであって、後はある種の手慣れで作品にしただけだ。だから描けば描くほど何かしらエッセンスが薄まってゆく。手馴れてはくるけれど、絵にはなるのだけれど、何かが逃げてゆく。
そういった描き方だと、個展で作品を30点並べても、すべては一つの元絵のバリエーションに過ぎなくて、ただただ退屈なだけだ。絵の上っ面は変わっているけれど、中身はみな同じということになる。作品は一つ一つが独立していなければならない。大きな作品の部分であってはいけないし、ましてミニチュア版であってもいけないし、バリエーションであってもいけない。
何回か個展を繰り返していると、百のデッサンやアイディアを用意しても、いつかはネタが尽きる。それに大事なことは絵を描くのが作業になってつまらなくなることだ。確かに手馴れては行くから仕事ははかどるようにはなるだろう。絵描きは職人的なところも多々あるので、それはそれで見過ごして仕舞いがちなんだけれど、先が読めるというのは退屈でもあるわけだ。
絵を描く面白さは、今まで気づかなかった、新しい自分を発見することでもあるんだな。
今のスタイルになる前はそれなりにデッサンを取ったりスケッチを元に構成して絵を作っていた。何度も同じようなスケッチを元にして絵を描いた覚えがあるな。
例えばバラをスケッチしたとする。それを元に例えば人物と組み合わせたり、風景と組み合わせることで変化はいくらでもつけることは出来る。それはそれで結構面白くて何枚かは飽きずに描くことが出来るだろう。
それでも、結局アイディアは一つだと思うんだな。色々変化はするけれど、描きたいことはバラであって、後はある種の手慣れで作品にしただけだ。だから描けば描くほど何かしらエッセンスが薄まってゆく。手馴れてはくるけれど、絵にはなるのだけれど、何かが逃げてゆく。
そういった描き方だと、個展で作品を30点並べても、すべては一つの元絵のバリエーションに過ぎなくて、ただただ退屈なだけだ。絵の上っ面は変わっているけれど、中身はみな同じということになる。作品は一つ一つが独立していなければならない。大きな作品の部分であってはいけないし、ましてミニチュア版であってもいけないし、バリエーションであってもいけない。
何回か個展を繰り返していると、百のデッサンやアイディアを用意しても、いつかはネタが尽きる。それに大事なことは絵を描くのが作業になってつまらなくなることだ。確かに手馴れては行くから仕事ははかどるようにはなるだろう。絵描きは職人的なところも多々あるので、それはそれで見過ごして仕舞いがちなんだけれど、先が読めるというのは退屈でもあるわけだ。
絵を描く面白さは、今まで気づかなかった、新しい自分を発見することでもあるんだな。
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