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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 これはまた違う人がイタリアで買ってきてくれた絵葉書です。期せずして私はフランスとイタリアに行ってきたのです。このロバや馬、羊が出てくる図柄というのも何度か絵にしています。元々はジョットの↓が下敷きになっています。
 
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エジプトへの逃亡


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2010
相棒

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2010
ぼへみあん
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 フランスに旅行に行っていた知り合いが私が好きであろうということで買ってきてくれた絵葉書です。フランスの田舎のどこかの教会にあるフレスコ画でしょう。タイトルはキリストと書かれてあるのでそれだけは分かります。羽が生えているのはなぜでしょう?

 剥落した質感も色の調子も時代がかってとてもいい感じです。もちろん宗教画なんですが、時代が経ることで生々しい宗教臭さが抜けて、一つのロマンテックな物語絵としてみることが出来ます。例えば日本で言ったら源氏物語絵や当時の巻物の絵物語などに近いかもしれませんね。

 美術がもっと身近にあって、芸術などという高尚なものではなく、毎日の生活の中で極普通に必要なものであった頃の絵だと思いますね。

 例えば今流行の現代美術が果たしてこれに匹敵するような「切実なもの」として作られているだろうか?ということだな。まぁ自分の作品の話で言えば,NOだな。明らかに作品に対する思い入れが違う。



 
 これが私のホームグラウンド。本当に小さなノート型のパソコンがあるだけ。これだけで一応世界中と交信できるし、自分のブログが日々発信できるのだ。考えてみると本当に不思議なものだ。

 我々が中学生だったころ、ハムといって個人の通信が流行っていた時があった。今でも時々大きなアンテナを屋根に乗せている家を見かけるけれど、世界中と交信できるというのがある意味売りだったんだ。今ではなんでもないメールなども一昔前はポケベルだったりしたのだから、こういった個人の通信手段というのは驚くべき進化だ。

 まぁ私個人としては、もうこれ以上複雑なことにはついてゆけないし、必要もない。こうやって日々淡々と日常を記録してゆくだけだろう。しかし、これがどこまで残ってゆくのだろうかね。ネット上にあるものはほぼ永久に存在できるのだろうか?例えば私が死んでホームページの更新が途絶えたとしても、必要な手続きさえとってあれば永久にネット上に存在できるのかな。

 こういった作家個人が管理しているHPなどというものはいまだかつてなかったものだから、そういった意味では全く新しい形の表現ということが出来る。今までも作家の日記を何らかの形で発表することはあったけれど、こんな風にダイレクトに日々更新されるということはなかったわけだから、どうなんだろうか。

 私のHPは「ここだけの美術館」ということで、私がいままで考えたり、やってきたことした事のほとんど全てここに残してあるつもりだ。10年前に大きな病気をしたときに自分の仕事をこういった形で残しておこうと思った。

 これからどうなるか分かりませんが、まぁ末永く付き合ってくださいな。



 
 知り合いから同人誌が毎回贈られてくる。こうやってひたむきに文学と取り組んでいる人たちがいるんだなぁと頭が下がります。まぁこれも形をかえた「私をみて」ということ事ですね。なかなか人間というのは業が深いです。



 
 今日は朝から雨降り。梅雨らしい天気だった。

 バブルが華々しい頃、いや今だからバブルなどと言えるのだけれど、実際その時代にどっぷりつかっていると、それがおかしいとは感じないから不思議なものだ。まぁそれはさておいて、色んなところで冠のついた絵画コンクールが目白押しだった。月刊公募などという雑誌もあって(今でもあるのかしら)皆が皆賞金稼ぎのような、それが当たり前のような、出遅れては損をするといった雰囲気があった。品がないといえばそれまでなのだが、兎に角世の中全体が一攫千金をあおっていたようなところがあるなぁ。

 絵を描くことで、何とか世の中に認められる方法を模索していた当時、一番手っ取り早い方法がこういった公募、コンクールで言葉は悪いけれど一発当てることだと思っていた。それゆえ当時出品できるコンクールには手当たりしだい出していた。下手な鉄砲も数うちゃ当たるだろうを実践していた。同じような手法でAに出品したら、ほとんど変わらないような作品を作ってBにもCにも出していた。だめもとでね。

 まぁ確かに当時メジャーなコンクールで賞をどんどんとって売れっ子になった作家がいたけれど、さてどうなんだろう、今となっては一時の気まぐれ、時代に翻弄されていただけではなかったかと思うな。まぁ一時でも注目されれば御の字かもしれませんがね。幸いなことに私などは大きな受賞をすることがなかったので、今の自分がいるわけで、もしこれが何かの間違いで大きな賞を取っていたら人生の方向は変わっていたかもしれないな。俗物だから。

 芥川賞なんかでも、それ一発で終わってしまう作家も多い。そう考えると大衆路線の直木賞の方が実力的には上で後々まで残っている作家が多い。まぁこういったある種のばくちのようなコンクールは話題性はあるけれど、作家をつぶしてしまう可能性もあるわけで両刃の剣だな。

 今はもう全く、公募への出品もやめてしまったし、興味もないし、又そうやって認められたいなどとは思わない。いい絵を描くとか本物であるということと全く関係のないことで、そんなことで一喜一憂したくない、翻弄されたくない。



はる 3287
 昔、有元利夫がセンセーショナルにデビューしてきた頃、彼の評価を支えていたのは、ごく普通の本当に絵が好きなコレクターだった。彼自身も書いていたけれど、安井賞を取ったあたりから、何だか現代美術作家として注目されて、「がんばって、がんばって」といわれているようで、何だか場違いなところに入り込んでしまったようだ、と吐露している。

 ご存知のように安井賞は具象絵画の登竜門といわれて、そこに登場するには各美術団体から推薦をもらわなくてはならない。他に個人の実力者の推薦という枠もあるのだけれど、ほとんどの場合、前者の方法で登場してくる。

 当時安井賞の推薦枠が各団体に何名あったのか詳しいことはしらないのだけれど、抜群に知名度があるこの賞の推薦をもらうためにわざわざ小さな団体に入った作家もいるようにも聞いている。

 そうやって苦労して推薦されても審査で落とされる方が入選の何倍もあるわけだから、喜んでばかりもいられない。まぁそんなことで、絵を描く人には憧れの賞だったのだが、有元はどんな団体にも所属せず、団体作家のような大作でもない小さな作品で、さっそうと登場してきて、いとも簡単に賞をかっさらっていった。

 多くの作家たちにとっては面白くないわけで、やれピカソに似すぎているとか、あれは日本画じゃないのかとか、今だけのブームに終わるとか、作家としてどうのこうのとうるさかった。たぶんわずらわしかったと思う。

 有元自身は自分の好きな絵を、好きなように描いて、それが現代美術であろうが、イラストの範疇であろうが、どうでもよかった。作ることが楽しかったし、いいと思ったものを真似しただけだ。それがたまたま時代の要求に合っただけなんだな。

 一生懸命、現代美術作家になるつもりはなかったのだと思う。彼の自負は「それでも私の作品をいい」とい言ってくれる人がいるということだった。

  有元利夫と比べるのはおこがましいけれど、私の作品は現代の最先端の作品ではないし、これが時代を表現した問題作だとも思っていない。現代美術だとか言ってへんてこりんな訳の分からん造形物を展示するものでもない。観た人に何かを感じさせる、問題を提示するものでもない。誰かと競争するために描いているものでもなければ、それによって社会的な地位や名誉を得ようとも思っていない。

 それでも、私の作品をいいといってくれるコレクターがいる。それだけで充分だ。他に何がいるのだろう。
 



 
はる 3286
 午前中に千葉の山口画廊のオーナーが絵を持ってきてくれた。搬入から展示、期間中の店番から片付けから搬出まで全てオーナーが一人でやる。もっと言えば展覧会が始まる前のDMの撮影から制作、配布まですべて一人でやる。

 年間に12か13人の作家を選んで企画、会期は3週間ほど、貸しは一切やらない。これを聞くと、多分経済的に余裕のある趣味的なオーナーが暇つぶしに開いている画廊かと勘違いするけれど、そんな優雅な仕事ではない。作家以上に生き方が表現者だ。彼の書いた文章を読めばよく分かる。

 絵を描いて画廊で発表し始めた頃、希望として同じぐらいの世代で自分と一緒になって仕事をしてくれる画廊のオーナーを探していた。銀座には百も二百も画廊はあるけれど、ほとんどの画廊は「作家をお客さん」にしている貸し画廊だ。貸し画廊のオーナーは気持ち的には作家の味方だけれど、実際は作家から搾取している経営者でもあるんだな。そこのところがよく見えていない。

 画商という連中も何だか胡散臭い。絵が実際に好きなのかどうかは関係なく、画商同士の間を行ったりきたりしている間に高額な金額になって、その錬金術のような不可解な手法で利益を生んでゆく、まぁいつの世にもそういった輩は何処にでも生息しているのだが、まぁ絵を売買するというと、どうしてもそんな生臭いにおいがする。

 まぁ作家という連中はそこのところがええかっこしいで、武士は食わねどぶりたいところがある。出来たら自分の事を理解してくれて肩代わりしてくれる人がいないものかと探しているところがある。まぁそんなに上手い話はなかなかないのだけれどね。

 山口さんはそこのところを肩代わりしてくれる得がたい人物だ。何とかそれに報いたいと思うのは私だけではないだろう。
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画商と言う仕事」という項目で来る人のために山口画廊についての文章がまとめて読めます。
http://asobibe.blog.fc2.com/?q=%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E7%94%BB%E5%BB%8A&page=1
 



 
 絵の値段で号○○という言い方をする。まぁ単純にはいえないのだけれど、その作家の10号の値段を目安に、そこから一号の値段を割り出す。0号は18x14cmだからはがきサイズより若干大きい。小さいサイズは難しいということもあるけれど、大体割高になるのが普通。0号だと号x2ぐらいの値がつけられる。反対に大きくなればそのまま号x大きさというわけには行かなくて、段々安くなる。100号ぐらいになると半分ぐらいになるかな。まぁそんな絵はほとんど売れることはないのだけれど。私の場合。

 大体気に入った作品から嫁ぎ先が決まってゆく。気に入らない作品だから安くしたという作家がいたのでびっくりしたのだが、気に入らない作品は置くなよといいたい。

 20日発売の「美術の窓」7月号のp221に今年の国画展の講評が掲載されています。無断ですが転載しておきます。
「祝人(再生と祭り) ケンタウロスが角笛を吹いている。そのケンタウロスの雰囲気が、極めて日本的で、北国の鬼のようなイメージが表れているところがおもしろい。布を貼ったりして独特のマットなマチエールの上に、瞽女などを生んだ素朴な東北の民話のようなイメージが表れているところが懐かしい」

 まぁ奇妙な文章ですが、まぁ作品から放浪芸の瞽女などを呼び出したのはありがたいですね。
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