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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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山口画廊・画廊通信77
 
http://home1.netpalace.jp/yamaguchi-gallery/room/room.cgi?mode=koumoku&no=25
より承諾を得て転載

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画廊通信 Vol.77   聖なる手(第2回榎並和春展)
  「探す」という行為は、絵画において何の意味もなさない。大切なのは「見つける」事だ。── 生前ピカソは、あるインタビューでこのように語ったと言う。この言葉を耳にして、私ははたと膝を打った。なるほど、と思ったのである。しかしそれも束の間、考えるほどに意味が解らなくなって来たので、国語辞典を引いてみた。

 曰く、「探す」── 見つけ出す事、「見つける」── 探し出す事、まあ「トートロジー」の例文としては打ってつけにしても、意味を知りたい私としては、これでは馬鹿にされているようにしか思えない。さて、ピカソの真意は何か。

 冒頭の引用は「ピカソの世紀」によるものだが、同書には他にも貴重な発言が記されていて、制作につい「語る」事を嫌ったピカソの、胸中を知る鍵として興味深い。ついでだから、二三関連のありそうな言葉を。

「探究は、数々の迷いのもとだ。探究は、芸術家を単なる知的迷路へと追いやった。これこそが、現代美術の主たる過ちかもしれない」「発展という言葉もよく耳にした。私の絵が今後どのように発展するのか、説明して欲しいと言われるのだが、私にとって芸術に過去も未来もない。もし現在に留まる事が出来なければ、その絵は何の意味も持たないだろう。古代ギリシアやエジプトの巨匠達が残した傑作は、決して過去の芸術ではない。もしかしたら今日それは、これまでになく生き生きとしてはいないだろうか」「理解ほど危険なものがあるだろうか。それも、理解など存在しないなら尚更だ。理解は、ほぼ常に不当だ」

 ピカソという芸術家には、人を面食らわせるような物言いが多いが、その一見奇抜な意匠を取り去ってみると、そこからは芸術への真摯な眼差しが見えて来る。上記の言葉を吟味するほどに、「探究」「発展」「理解」といった思惟の作用を、徹底して排除する画家の純粋な姿勢が、凛として浮かび上がって来るように思える。おそらくはピカソにとって、芸術は構築すべき論考でもなければ、研鑽を究める学理でもなかった。カンヴァスに向かうという事は、知性で織り成された条理のくびきを外して、茫洋と広がる不条理の海へ、新たな船出をする事に他ならなかった。感性の船、直観の羅針盤、海図はない、ある訳がない、航路のない未知の海を往くのだから。ならば目的地は?── きっとそれさえも、ピカソにはなかっただろう。 

 明確に解き明かすべき目的を定め、そこに向かって探究し、追求し、実証を積み上げ、論理を築き上げる、それは学術の方法論なのだ。対して芸術には、目的そのものがない。自分が何処を目指しているのか、何を探しているのか、それは芸術家本人にも分かってはいない、少なくともピカソにおいては。もし「探す」という行為を、探す対象(目的)を認識した上での行為と解釈するのなら、私はピカソの言葉に一歩近づいた事になる。即ち「探すという行為は、絵画において何の意味もなさない」、ならば「見つける」とは?
 
 今回で2度目の個展となる榎並さんは、作品の支持体となるパネルを前にした時、これから如何なる絵がそこに描かれる事になるのか、自分でもまったく分からないと言う。 画家のホームページに「制作過程」という項目があって、文字通り幾つかの制作過程を公開されているのだが、完成への経過を写真と共に追う事が出来るので、私のような絵を描けない者が見ても面白い。

 試みに作業の一部を書き出してみると ── パネル布を張り込む →下地材(ジェッソ)を塗り込む → その上に壁土を塗る → カーマイン(赤系の色)ジェッソで地塗り → 黄土をかける → 更にカーマインジェッソ → 壁土に墨とベンガラを混合し、褐色にして塗り込む→ その上に金泥をかける → 墨にベンガラを混ぜて染み込ませる → 壁土を溶いて、泥状にしたものをかける → それをまた赤に還元 → 更に金泥をかけて、何が出て来るかを待ち構える。── といった具合である。

 ちなみにこの作業はまだまだ続き、傍から見ているといつになっても絵が見えて来ないのだが、実はこれこそが、榎並さんにとっての「描く」という行為なのだ。画家は自らも語る通り、一連のいつ終るとも知れぬ作業を通して、何かを手探りで「待って」いるのである。既に見えている「答え」を探すのではなく、問いかけて、問いかけて、ひたすらに問い続ける行為の中から、いつか見えて来るであろう何かを待つ。 榎並さんの制作は、時に「待つ」とは能動であり、何処へたどり着くかも分からぬ「歩み」である事を、無言の内に教えてくれるのである。

 大切なのは目的地ではない、現に歩いているその歩き方である。── 小林秀雄。しびれるような言葉だ。

 やがてそんな画家の歩みは、いつしか時の厚みとなって画面に堆積し、あの風化したロマネスクの会堂を思わせるような、えも言われぬマチエールを造り出す。そして私達は見る事になるだろう、そこに浮かび上がる修道士を、放浪者を、旅芸人を、楽師達を。彼らは皆いつの間に画面に降り立ち、画家のもとを訪れた者達でり、換言すれば、誰が現れるかも分からないまま歩みゆく道程に、画家は図らずも彼らを見つけたのだ。 

 こうして私はまた、「見つける」という言葉に巡り会う。「見つける」とは「出会う」事だろうか。 顧みれば、出会いはいつも思いがけない。それはある時我知らず、雲間から不意に射し込む光のように、私達の前に降り立つ。画家はきっと、自らの精神に何処までも分け入る内に、いつか自分でも知らなかった自分に、ゆくりなくも出会うのだろう。そして更に歩みを進めるその先に、もしや自分さえも超えた何かに、刹那であれ触れ得るのかも知れない。思うにそれは、冷徹な知的探究の道では、とても踏み入る事の出来ない次元なのではあるまいか。そこはたぶん「芸術」の領域なのである。

「見つける」事を「出会う」事と解するのなら、ピカソは制作の根幹となるスタンスを、とてもシンプルに語った事になる。即ち「大切なのは、見つける事だ」、私はピカソの言葉に、少しは近づき得ただろうか。

 小林秀雄(批評家)は、こうも言っている。── 始めからこのように描こうと思い、その通りに出来たというのは、図面通りにビルが建ったというだけの話で、それは建築家の仕事だ。やってみなければ分からないものをやるのが芸術家なのだから、彼らはどういうものが出来るかなんて、知ってやしないのだ。だから、優れた芸術家ほど自分の描いたものに、驚いているに違いない。── 思えば人生もまた同じだ、かつての詩人の言葉にもあるように、「僕の前に道はない」のだから。画家は正に、絵の中を「生きる」のである、人生を歩むが如くに。

 今年の一月末から2月にかけて、銀座の松屋にて榎並さんの個展があった。私は最終日に伺う事になってしまったが、ゆったりとしたスペースに100号ほどの大作も交え、実に見応えのある構成となっていた。

 展示された作品もさる事ながら、絵を掛けずに作家紹介にあてた壁も一面あって、それがまたとてもユニークで面白い。企画者の発案との事で、作家の言葉や様々な日常のスナップが、壁新聞のように編集して大きく貼り出され、作品をぐるりと見てたどり着いた最後の壁面に、作家の人間性と直に触れ合えるコーナーが現れるという、誠に心憎い演出である。

 榎並さんはかねてから、折々の雑感を包み隠さずブログに書かれていて、それを私は面白いのでよく拝見している事もあり、常々作家の生き方や考え方には親しんで来たつもりだったが、こうしてそのライフスタイルを一望させて頂くと、あらためてその生きる姿勢に心打たれるものがあった。

 丹精して育てた畑の野菜、アトリエの片隅に立て掛けられたチェロ、作品の前で物思う画家、アトリエに続く敷石の小径……、そんな日々の一コマ・一コマを見ている内に、榎並さんの描き出すあの深い内省の世界は、こんな坦々とした日常から生み出されるものなんだなあと、至極当然の事実に思い到るのである。

 きっとこの素朴にして地道な、しかし決して止まる事のない歩みの途上でこそ、あの放浪者や旅芸人に代表される、作者言うところの「遊部(あそびべ)」達との出会いも、豊かにもたらされるものなのだろう。 作品が作者の投影に他ならないのなら、正に榎並さんの描く一作一作は、画家の「現に歩いているその歩き方」なのだと思う。榎並さんは今この時も、やはり坦々と歩いているに違いない、決して大仰に構える事なく、あくまでも何気ない日常の中に、さりげなく確かな覚悟を染み込ませながら。

 昨年の夏、初めての個展を開催させて頂いた折、会期も終了間近となった夕暮れに、Kさんご夫妻がにこやかに見えられた。これで会期3度目のご来店である。3回も見に来て頂いたという事は、もしや……というあらぬ期待も内心なくはなかったが、何しろKさんには前回の展示会で他の作品をお世話になったばかり、更なるお薦めは出来かねる状況にあった。

 そんな訳で、この日も熱心にご覧頂くご夫妻を前に、「どうですか?」というあの一言を出すべきか出さざるべきか、私は人知れない煩悶を内心に繰り広げていたのだが、やがて聞こえて来たご主人の麗しい言葉で、図らずも私の境涯は一変した。曰く「もう一度見て良いと思ったら、『買いたい』と思っていたんです」、こんな時の恩寵のような一言は、どんな名言よりも私を感動させる。

 この日Kさんに、私は一枚の母子像をご成約頂いた。タイトルは「聖なるもの」、どことなく嬰児(みどりご)をいだく聖母を彷彿とさせる、深い祈りを湛えた作品である。

 よく覚えていないのだが、私はこの時「画家は祈りの象徴として、聖母を描いたのでしょうね」とか何とか、知ったような台詞を吐いたのだと思う。それに対する奥様の言葉を、私は今も鮮明に覚えている。「この絵は聖母の姿というよりは、何処にでもある日常を描いているのだと思います。聖なるものは、母が子をかいなに抱くような、何気ない日々の暮らしの中にあるのだという事を、私はこの絵に教えてもらいました」

 私はこの時、「やられた」と思った。おそらく、この仕事でしか味わえないと思われる醍醐味の一つは、この「やられた」という快感である。思えば私などよりも、遥かに深く絵を見られているお客様の言葉に教えられ、励まされつつ、曲がりなりにも私はここまで歩いて来たような気がする。そう、確かに絵は語っていた、聖なるもの子をいだく母の手にこそ、宿るものである事を。

 リルケはある作品の中で「何もかもが落ちる、枯葉のように」とうたった後、こんな言葉で詩を結んでいる。── しかし一人いる、この落下を /限りなく優しい両手で支える者が ── 時に一枚の絵もまた、そんな大それた手ではなくとも、見る者をそっと受け止める温かな手であるだろう。その絵にはきっと、画家が生きる日々の中で見つけた、大切な何かが刻まれているのである。 (10.05.13)

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