忍者ブログ
画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
[39]  [40]  [41]  [42]  [43]  [44]  [45]  [46]  [47]  [48]  [49
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。





soranimukaus.jpg

「空に向うはしご」
 
 ほとんど何も考えないで描いている内にハシゴが出てきて「あっそうだ、空に向かうハシゴ」にしようと思った。でどこから出てきたのか、その元のところを考えたら「ヤコブの梯子」というのがあった。どうも上の写真のように雲間から一本の光の帯が注いでいるような光景に時々出会うのだけれど、それを「ヤコブの梯子」というそうだ。天使が地上と天界を行ったりきたりする時に使う梯子らしい。偶然出てきた物語は跡付けだけれど、なかなか面白い。

 多分最初っから「ヤコブの梯子」を描くつもりで描いたら、とんでもないわざとらしい臭い絵になってしまうだろう。ここのところがとても難しいところなんだけれど、ある意味で私は自分の力を信じていない。ごり押しで自分を押し付けてもろくでもないものしか描けないだろうと思っている。だから自分を放り出して客観的に見る癖がついてしまった。けっして自分を強く主張しないのだな。あくまでも出てくるのを待つ。そんな描きかただな。奇妙な言い方だけどね。言葉にすればそんな風になる。

 今日は暑かった。
PR



 
  このところ毎日が絵を描くこと以外で猛烈に忙しい。昔はそう、自分の事だけを精一杯やれば他の事は何も求められなかった。絵を描くことも充分には出来ていなかったけれど、それでも絵さえ描いていれば、人様に迷惑をかけているわけじゃないし、何とかそれでも許してもらえたんだな。

 ところが、いつの間にかフリーであるにもかかわらず、望んでいるわけでもないのに色々な雑用がまわってくるようになった。まぁ今まで誰かがやっていたことなんだろうけれど、いつの間にか順番がまわってきてしまった。そういう年回りなんだろうけれど、いずれどこかで卒業しなければならない時が来るだろうな。

 明日は東京です。



 
 この間、郵便の悪口を書いた。郵便が嫌いなのではなくて、郵便というシステムが好きなので、何とかがんばって生き残ってほしいと思うから、叱咤激励のつもりであえて苦言を呈した。

 ところで、今回の神戸の個展では作品は全て宅急便で送った。やり方は簡単。まずネットでもいいから直通電話番号を調べて、電話します。これはコレクトコールで電話代はかかりません。全国どこでも共通の電話番号でかけるとその地域のセンターにつながるようになっています。

 対応はすこぶる親切で丁寧です。まず私のような絵の場合大きさがまちまちですし、損害賠償のことなど面倒なことあるので嫌われることが多いのですが、反対に保険さえかければそこまでは保障するというわけで、相手側も安心するようです。ですから美術品という扱いではなく荷物扱いでお願いするのですな。

 郵便の場合、電話の台数が少ないという致命的な欠陥のため、相手は言い訳に始終して如何に責任のがれするのかに気持ちが行っていたけれど、宅急便の案内さんは如何にすればお客さんの便利に適うかということに心を使っていた。明らかにプラスマイナスで宅急便の何倍もの勝ちである。

 取りに来てもらう日にちと時間を指定してその日は終わった。翌日雨だったにも関わらず、嫌な顔一つせず平気な顔でどんどん仕事を片付けて、思っていた金額の半分以下であった。これも宅急便の勝ちだな。

 どうする郵便。



 
 つかこうへいが亡くなりましたね。演劇青年でも文学青年でもなかった私でしたが、なぜか学生の時に少しだけ演劇に足をつっこんだ。小劇場が随分流行っていて唐十郎の赤テントとか誰だったか名前も忘れてしまったが黒テントや、つかこうへい事務所などが名をはせていた。唐十郎の状況劇場は何度か仲間と観に出かけた。

 なんだろうな、おどろおどろした真っ暗な空間のなかに靴を脱いで、ぎゅうぎゅうに詰め込まれてなにやら擬似的な一体感を作り出して、その中で次から次と繰り広げられる奇妙な作り話は、酸欠状態も加味して朦朧とした夢物語のようだった。

 一番最初にやった役は「熱海殺人事件」の主人公、大山金太郎だった。今から考えると目茶な配役だけれど、それでも演劇の面白さは少しは理解できたように思う。

 例えば工員を演じるとするならば、自分の中の工員のイメージを明確にしなければ演じることはできない。そのサラリーマンがどういった経緯でその会社に就職したのか、家族構成はどうなのか、物語の中で気持ちがどういう風に動いて行ったのか?そういうことを自分なりに理解して解釈して納得しなければ、その人間にリアリティーが伴わない。台詞がただの言葉でしかなくなる。

 それもそうだけれど、そういった過程で必ず自分というものと対面して、明確な「ことば」にしなければならない時が出てくる。表現は自分との対面だということに気付いたことが、演劇をやって得た宝物だな。



 
  どうもこの数日はパソコンの何やらにやられている。まぁ別に大した被害はないのだけれど、やっぱり実際に触ったりなぜたり出来るものでない不安感というのは否めないなぁ。

 まず最初はこの間書いたマイクロソフトとキングソフトの攻防。まぁ大手を振って正しいのはもちろん開発者のマイクロソフト社なんだけれど、あまりにも一人勝ちしすぎて面白くない。ちょっとは他にも利益を分けてやってもえやないかと思うのは私だけではないだろう。むろん何でもゲリラ的に真似して平気な顔している厚顔無恥にも腹立たしさを禁じえないのだけれどね。

 ウイルスまがいの騙しの方法で売りつけるキングの方法はあまりにもセコクテ昔はあれだけ偉大な哲人を輩出した国のやりかたとは思えないなぁ・・。まぁ買う方も罪はあるけれど。

 後昨日判明したことなんだけれど、これはパソコンには関係のない話。私はかなり安全を心がける方で、ある程度ハードディスクに情報が溜まるとバックアップを取ることを習慣にしている。出来るだけハードディスクにはためないことにして、外付けのCDやメモリーに記憶させている。まぁ昔の磁気テープで何年かすれば劣化するのは承知しているのだけれど、その点CDなら安心だと思っていた。

 いままで昔のCDを開けてファイルが開かないなどというトラブルはなかったのだけれど、ちょっと必要になって開こうとしたらこれがだめ。パスが違うとかなんとかメッセージがでて開かない。少し前のキングソフトのせいか、はたまたウィルスが入ったかと思ったので、いつものように「ワードの文書が開かない」でググってみたら意外にこういったトラブルは多いようだ。何かの都合でファイルが破損するらしい。

 画像は何の影響もないし、ほかのCDは普通に開くことが出来ることを確認。ということはこの一つのCDの何かが壊れているということだな。どんな場合もある程度の修復する方法はあるようだ。まったくお手上げ状態になることはほとんどないのではないだろうか。

 これで修復できました。
 壊れたWordファイルの修復方法 
 凄いですね。誰かがどこかで何かしらの手を考えている。それをまたネットで知ることができるというのも凄いことだ。

 ところで二三日前のほぼ日刊イトイ新聞でこんなことを書いていた。
「 ・・いまは、「遊び」で「仕事」で、集めた情報は、インターネットに「上納」されていきます。おかげで、それはみんなの役に立つんですね。ただ、知られてお終いになっちゃったりもする。」

 何となく分かりますね。今は分からないことは皆すぐにググって調べます。何よりも確かな情報が満載です。どんな本にも負けません。でそれで分かった気になってしまうことって多いですね。大学のレポートなんかでも昔はそれなりに図書館にいったり人に聞いたりしてそこそこがんばったものです。でも今はパソコンがあれば簡単ですね。

 で、何が変わったのかな。簡単に手に入るものは身につかないと言うことかな。

 「絵を描く方法」などないのです。それを知ったからといって絵が上手くなることはない。今は簡単に色んなことを知ることが出来るのですが、やはり絵は描くしかない。遠回りして汗をかくしか上手くなる方法はないのですね。

 




福澤一郎
「失楽園」部分
山梨県立美術館
 
 タイトルの失楽園から想像するイメージは色々あって面白い。もちろん原題は有名な本のタイトルに由来するのだが、そんなことは知ったことではない。どんな風にでも変えても誰も怒りはしないだろう。

 ご存知のように物語は聖書から来ている。人類の祖先のアダムとイブは何の心配も不安もない自由な場所「楽園」に住んでいた。あるときに悪魔のささやきについ乗ってしまって、欲望の木の実「りんご」を食べてしまう。そのために神の怒りをかって楽園を追放されるというお話。

 まぁこれが人間の原罪というわけで、元々人間が存在するということ自体が罪を背負っているんだよてなはなしなんですが、そういわれてもやっぱり人は「りんご」を食べてしまう動物なんですな。つい最近の事件で言えば大相撲の賭博事件の話。



 
 今晩はけっこう荒れるようだ。戸締りに気をつけよう。最近はまた板の間で寝ている。これがなかなか気持ちいのだ。私は根っからの風来坊なのかな?
**
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]


(Design by 夜井)