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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 画家の中村さんとは銀座のデパートで初めて会った。同じ会場で個展をやるということで、実の所少し敵陣視察の気持ちが無かったわけではない。彼は私よりかなり若いけれど、海外生活も長く、歌を唄ったり、ボクシングで体を鍛えたり、色んなことが混沌と一体となって魅力的な物語を作っている。言葉は悪いけれど、絵一本で食べてきた、たたき上げのプロの作家だ。

 デパートの画廊を活動の場としている作家にはわりとこういった作家が多い。共通するのは第一印象とは全く別で人懐っこく、物腰が低く、お客さんを大事にするということだろうか。もう一つは無所属で、いわゆる団体展の作家が少ないことだろう。独立独歩で自分のファンを持っているということかな。

 シビアにこれ一本で食べている作家の個展を紹介します。銀座に御用のある方は是非立ち寄って観てください。

 中村太樹男絵画展
 2008 12/16~12/22
 銀座松屋7F 美術サロン
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はる 3098
 今日はスローフードの有志の集まりで、お昼はちょっとした食事会であった。そのレストランのシェフは前回の例会に出席していて「地元のレストランにはうまいものはどこもない」と豪語していた。で、メンバーがそれではどんなものを出すのか是非お手並み拝見というわけで、今回の食事会となったわけだ。

 料理人というのは面白い職業だ。職人仕事も色々あって、いまではもうほとんど存在できない仕事もあるけれど、料理人という仕事は未だに健在だ。一種憧れの職域ではある。

 昔から板前さんは包丁一本で職場を渡り歩いて経験をつんでゆくといった渡世人かたぎがあるけれど、一流になるためにはいまだにそういった流れてゆく必要があるのかもしれない。その場所と時間で用意できる食材で最高のもの出す。そんな所に腕のいい料理人の生きがいがあるようだ。

 少し前までは最高の食材を各地から集めてうまいものを作るといった競技のようなテレビ番組があったけれど、本当の料理というのは地産地消でそこの場で取れる旬のものをどう料理するかが大事だそうだ。今回の料理も地元の白菜をアレンジしたもので本当に素晴らしく、美味しい料理だった。シェフの語る薀蓄も面白かった。

 「速い、安い、うまい」が効率第一のファーストフードならば、こうやって実際に調理した料理人の話を聞きながら、みんなでワイワイと食べるのは、スローで、楽しくて愉快な時間だったな。

 



 
 「絵の描き方」などというものはない。百人いれば百通りの描き方があってもいいわけだ。下手は下手なりに、上手は上手に描けばいい。ただ、それがわかるまでに六十年近くかかったということだ。遠回りしたけれど、みんな肥やしになっている。

 生きることはだから面白い。



 
今日はまた↑より進んだ。一時はバックを全て真っ赤にした。ところがどうにも落ち着かない。赤の分量が多いとどうにも落ち着かない。まだまだ途中だからどういった状態でもいいのだけれど、それでも一日の終わりにはそれなりにまとまっていなければならないと思っている。毎日がそれぞれ独立して終わっている。それの繰り返しが一生なんだろうね。セザンヌはたぶんそうやって毎日絵を描いた。描かれているモチーフはまるで違うものだけれど、やっていることはセザンヌの末裔だと思っている。

 さて牧神まで話をした。で、右側が大きく開いている。その部分に何を描くか?これがなかなか決まらなかった。牧神だけでも色々な物語が出てくるけれど、例えばアルカディア(理想郷)の牧人といえば何となく哲学的な匂いが感じられる。でもしかし、大いなる教養の下地がなければこれもまた借り物に過ぎない。

 そんなことを考えながらもこの羊男と相性がいいモチーフとは何だろうか?とあぁでもないこうでもないと、描いては消して又描いて、そんなことを繰り返していた。理想郷といえば大きな木だなぁ・・大きな樹の下で考える牧人というのもいいか・・。樹もつまらないなぁ・・で考えついたのが大きな切り株。それに向かって角笛を吹いていたら新しい芽が出てきたという物語。



 
 今日は久しぶりのチェロのレッスン。やっぱり上手くない・・。

 ↑の絵は最終的なかたちではない。これからどうなって行くのか分かりませんが、とりあえず今の所は前に進んでいるようです。

 「草食系の男子」というのが今年の流行語だそうです。私なんかは今でこそ大病して胃を摘出してしまった故に、草食系になってしまったけれど、若い時はそれなりに生臭い動物だったように思うなぁ。そこそこだけれど。

 で、羊は草食系の代表でもある。洋の東西を問わず、人類と羊とは切っても切れない関係がある。羊が大きいで「美」となり、羊の下に言が集まれば「善」となる。衣食住全てに関わって、神へのいけにえにもなる。これほど人とかかわりの深い動物はまれかもしれないな。

 この羊男が出てきたきっかけは、画面左端の黒い一本の線だ。これがどうも羊の足に見えた。もっとも昔に羊を連れた「まれびと」という作品を描いた記憶がこころのどこかにあったのだが・・。今回も最初は実際に羊をつれて旅に出る芸人というパターンで描き始めた。

 からかっているうちにつまらなくなって、何度か壊す。そうこうしているうちに中央の人物と羊が一体になって牧神というアイディアが湧く。で牧神をネットで調べるとギリシャ神話で頭に羊の角を持っていることがわかる。

 牧神は出てきたけれど、右側はどうするのか、なかなかアイディアが浮かばない。

 



 
 Iさんへのメール
「こんばんは。そうですね、これは小さい作品も同じで自然に何かが浮かんでくる、見えてくるということはほとんど無いですね。浮かばない時は全く何も浮かびません。仮に何かが見えてきたとしても、ほとんどが泡のように一瞬で消えてしまいます。そんなことを何十回と繰り返しているうちに、たまたま「面白い!」と思えるアイディアが浮かぶことがあります。それは物語を含んでいる場合が多く、他だ単に色々なモノや人が見えるだけではだめなようです。

 実例というのか、ほとんどの作品はそんな感じで出てきたものです。どこまでこんな遊びのような感覚で作品が出来るのか、真面目に絵を描いているという時間は少ないですね。いつも何がかかれているかわからない壁に向かってウンウンとうなっています」





↑をある意志で見つめていると

↓のようなものが見えて来た。
7cf3104e.jpg
再生かな?



 
はる 3092
 昨日のクロッキーの期日は全て12/5→12/6です。腕時計の日にちを11月がすんでも、そのままにしてあったため一日ずれてしまったようです。すんません。

 私の腕時計は30年ほど前に就職祝いに贈ってくれたもので、クオーツ時計としてはやや骨董品になってきている。最近になって少し不都合が出てきた。付属の純正電池が、現在の環境基準に合わないために製造中止になっていて、手に入らない。デジタルなら幾らでも正確な時計があるのだが、まぁ思い入れのあるものだから簡単には替えられない。だからまぁ時々手をかけて調整してやる必要がある。
 
 しかし、昨日のモデルさんは頭が非常に小さくてファッションモデルのような体型だった。見た目には非常に美しい人だったけれど、描くには難しかった。自分と同じような胴長短足寸胴の方が描きやすい。親近感があるせいだろうか。
 



 
 朝から三時まで教室で生徒の絵を見る。その頃から大粒の冷たい雨が降り出した。家人を結婚式の会場まで車で送って、五時に人と待ち合わせる。六時から会合があるのだが、少し時間があったので美術館近くの画廊で展覧会を一つ観る。

 写真とインスタレーションの現代美術といわれる分野の作品。美しく華奢な繊細な作品というのは何となく理解できるが、私には全く面白みが分からない。こういった作者とは住む世界が違うのかもしれないな。人は自分の物差しで計るしかないという鉄則でいうなら、私にはこの分度器はない。理解できない、面白みが分からないある種の不愉快さが残る。作者には申し訳ないけれど・・。

 絵描きとしてやって行けるかどうかの判断はとても難しい。デパートでやるような売らんかなの作品には正直主催者の商魂が垣間見えてうんざりする。画家としての地位と名誉が幾らあっても、デパートでやられている絵の格をみれば作者の品が透けて見えてなんだか悲しくなる。あぁやはりこうやって「売り絵」を描かねば絵描きとしてやって行けないのか、これだけ高名になりながらも自分らしい絵では食って行けないのかと、正直がっくりとする。自分の絵を描いてそれでもやってゆけなければ絵描きをやる意味がない。

 吐いたつばが全部自分にかかる。こころしてかかれ。



 
 少し知り合いと話をする。県の物産を県外に紹介したり、大きく海外にまで広めたいと上の方は考えているようだ。確かにそれはこれから生き残りをかけた大きなプロジェクトではあるだろうな。地元がこれから生き残って行くにはそこらあたりを重点的に売り込んで行くしかないだろう。

 しかしねぇ、考えてみると葡萄を育てる人手がいないんだよ。いくら製品を売り込んだとしても肝心の葡萄がないのだな。葡萄が無くて仮にどこかから葡萄を買ってワインを造ったとしても、これは本末転倒だよな。そんなニセモノをやっていたのじゃいつかはジュエリーのにのまえだろう。地元の山から水晶が取れたんだな、だからここでは宝石の研磨の産業が根付いた。ところがそれがやがて取れなくなって、海外から輸入して続けたんだな、「水晶の町」は「研磨の町」となり「加工だけの町」になってやがて地場産業として成り立たなくなってきた。工賃だけではとても安い海外と対抗できないからね。これもまた人材の枯渇だな。ゆっくり育てるという時間も度量もないね。

 昨日の話の続きのようだけれど、このまま行けばあらゆることが空洞化してゆくと危惧する。私がこんなことを心配するのもお門違いな気もするけれど、もっと危機感をもって真剣に対処する必要があるのじゃないかな。
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