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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 3060
 昨日かな、夜の学校が無かったので早めに帰ってきて、放送大学の番組をコタツに入ってウトウトと観ていた。他に観たいものもない時にはNHK教育が一番面白い。民放は本当につまらない。

 で、教育相談の話をやっていて、非行や反社会的な行動の原因みたいなことを真面目くさったオヤジがしゃべっていた。まぁこれも一概には言えないのだけれど、なかなか面白かった。

 非行の原因というのは「あるときまで与えられていた愛情が、何かの原因で断ち切られたと感じるストレスが原因である場合が多い」例えば兄弟ができるとか、親の失業とか、不仲、離婚みたいなことらしい。離婚家族がみんな非行に走るかといえばそんなことはないわけで、そこのところを勘違いしないように。

 それから面白かったのは、盗癖というのは、色々原因はあるのだろうけれど、突き詰めて行けば「母親の関心を自分に向ける」というのがあるそうだ。それから暴力というのもちょっと屈折しているのだけれど「暴力をふるってもそれに耐えて、忍耐強く待ってくれている母親の愛情が欲しい」ということらしい。何だ、結局はすべてかあさんに見て欲しいというのが根本にあるのだな。自分勝手といえばその通り。けど、あんがい基本はみんなジコチュウだ。

 生徒と接していてもよく感じることがある。彼らにとって学校の教師というのは親に次ぐ身近な大人なんだな。まぁ親とは格段にレベルは低いのだけれど、一般のそこらのオヤジやオバハンとは違うわけだ。だからまぁ反発も凄いのだけれど、それも結局「私を見て」の裏返しである場合が多いな。

 「おいお前!」というより「おいタツノリ!」と一声かけることで態度ががらりと変わる。「おお、このおっさん俺のこと見てんじゃん!」と感じるわけだ。

 大人になっても根本は変わらんな。みんな自分のことを見て欲しいわけだ。
 



はる 3059
 お気に入りのブログに82歳の女性のサイトがある。淡々と「お一人さまの老後」を生きている様子がうかがえて、面白いというのは失礼かもしれないが、なかなか面白い、。普通なら話をすることも聞くことも無いであろう、こういった特別な人でない、何気ない日常が垣間見えるのがブログの面白いところかもしれない。

 何日か前の記事にオムツについて書かれていた。赤ん坊のかわいいお尻をカバーするオムツの話ではない。年取って自由が利かなくなって障害が出てきた時の話だ。いずれ我々自身の話になる。

 基本の姿勢がいい。身体の機能が落ちてそれをカバーするための道具はなんら恥ずかしいものでないというスタンスだ。例えば目の機能が落ちたらメガネが必要でしょう、耳が不自由になれば補聴器が必要だ。それを恥ずかしい、出来たら見えないようにしたいと思うから肌色のおしゃれでない補聴器しかないと訴えていた。メガネを楽しむように補聴器も色々あってもいいのじゃないかってね。

 で、その延長で足が悪くなれば車椅子や杖が必要だ。それを何か隠すような、ないものにするような、見えないようにするのは間違いだな。堂々ともっと言えば反対にそれを楽しむぐらいでちょうどいいのじゃないかってね。オムツもその延長上にあるという考え方だ。なかなか割り切れないものがあるんだけれど、その通りかもしれない。

 いずれ我々もどこかに障害がおきて来る。生きるということはそういったこともひっくるめて生きるということなんだ。死は突然訪れるのではない、生の反対が死ではない、我々は段々に死んでいる。生きて来たように死んでゆくのだな。日常が大事。

 
 



 
はる 3058
「般若心経7」
 絵画というのは何だろうということを考えたのは、絵を描き始めてまもない頃だ。確かに今目の前にあるものをそのままそっくり写し取るということに確かな手ごたえはあるけれど、これを描いたからといっていったい何が言いたいのか?自分自身明確に答えることができないことに苛立ちをおぼえた。

 印象派以降、セザンヌから始まったキュビズムの考え方はよく分かった。絵画は平面の画布に描かれたある秩序に従った色の集合であるという考え方は、純粋な抽象の始まりでもある。そこから絵画は大きく二通りの方向に分かれる。一方は絵画そのものを分解抽象化する方向へ、もう一方は文学や物語、精神世界を表現するシュールリアリズムの方向へ。

 分解抽象化する方向からは、材料そのものを問う方法もある。(モノ派などと呼ばれる)布や紙でなくてもいいわけで、木や石やコンクリートその他色んなものを画布として用いる、絵の具も既成の画材屋さんで売られているものではなく、もっと自由に(色の粉)を絵の具として用いるということも可能なわけだ。絵を描くことがすなわちスケッチブックや油絵の道具を購入するということ自体に不自由さが入り込んでいるわけで、ホームセンターの安物の水性ペンキでもダンボールでも一向に構わない。新聞紙だって使い方次第では充分に画材になる。戦後のアメリカの新しい抽象的な作家はそんなところから出てきた。

 実際に絵を描かなくても考え方そのものが表現だと考えると、少し前にはやったコンセプチュアルアートということになる。出てきたものには大した意味はなく、ギョッとすること、させることだけが主眼になって、身体を使ったハプニングとか、環境や空間を自らの作品と一体にアレンジするインスタレーション(設置芸術)などというものもある。

 最近流行りのフギア(→フィギュアに修正)。もうここらあたりに来れば、近かすぎて何がいいのか、残るのか、同時代の我々には判断できない。50年後100年後の人間の時代のふるいがかっかてはじめて分かる、そんなものだ。

 ちょっと話が飛ぶ

 まぁ、人は偉くなりすぎたね。分けて分けて、分解して名前を付けて、意味をつけて、それなりに分かった気がしてきた。最たるものが生命の方舟であるところの遺伝子情報の解読かな。けっしてそれが悪いわけではない、人というのは与えられると細かく分けて分析して理解しようとする動物なんだな、そうやって人になってきた。とことん最後まで分子の原子の電子のさらにその奥底まで知ろうとするだろう。

 で、探ってさぐってとことん行っても、実はまだその奥があるんだな。だから永久に終わることがない。永遠とか無限ということはそういったことだ。こっれって前にいったフラクタルの法則だな。

 実は我々は永遠の無限大と極小の無限大の中間にいる。だから宇宙の果ても見ることが出来ないし、極小のゼロも知ることができない。まぁ我々はそういった存在なんだろう。

 無限大から無限小まで実際に並べてみたとする。これを図形化すると無限小はどこまでいっても0にはならない。どこまでも永久に続いているわけだ。これってパソコンのとことで出てきた究極の恐竜の尻尾だ。結局永遠に分けるということは元の混沌に戻るってことだな。

 これもまた我々は途中の過程にいる。永遠に分かることはないのだけれど、とにかく途中にいる。遥かかなたに宇宙の地平線に消えかかっている星が見えている。かたや生命の秘密のなぞも見えかかってはいるのだけれど、これもまた永久にたどり着かないだろう。人間とはそんな存在だ。

 いいも悪いもない。

「般若心経とは、この世にあるものは、すべて実体のないものだから、生じたということも、滅したということもなく、汚れたものも清浄なものもなく、迷いもなく、老いも死もなく、苦しみもなく、心をおおうものは何一つなく、それゆえ、恐れるものもないので永遠の平安を極めているのです」
 
JAF



 
はる 3057
 今日は夕方から北風が猛烈に吹いて気温がぐっとさがった。木枯らし一号だそうだ。いよいよ本格的な冬がやってきそうだな。

 午前中野暮用があって北のほうに出かけた。紅葉がぼちぼち始まって夏の避暑地はもうすでに冬の景色だ。今回出かけたのはそんな優雅な話ではないのだけれどね。で用事を済ませていざ帰ろうと車をバックして前進にシフトした時にタイヤが異様な音を発した。で、何だろうと降りて確認したら、案の定パンクだった。どこかで釘でも踏んだのか。まぁタイヤ交換ぐらいなら自分で出来なくもないのだけれど、寒いのと少し雨もぱらついてきたということで、JAFのお世話になった。

 用意周到というのかJAFはもう20年来の会員になっている。宣伝するわけではないが、どんなに夜遅くても、どこでも会員なら只で来てくれるので、トラぶった時には心強い味方だな。年会費4000円は手ごろだと思うのだけど、会員は減少しているそうだ。これまで3度しか利用していないけれど、まぁ保険みたいなもので使わないならそれに越したことはない。

 午後、個展のDMを郵送しました。ニ三日の内に着くと思います。額装も終わったので、後は搬入、飾り付けを待つだけかな。昨年は新聞小説の挿絵展をやったけれど、本格的な個展は開催しませんでした。二年ぶりの個展なのでちょっと楽しみですね。

 地元の個展は、コンサートをやったり、ちょっとしたホームパーティをやったり適当に遊べるので、面白い。自分で企画して人を招待して遊ぶわけだから、楽しくなきゃやらない。展覧会の趣旨とはすこし外れるかもしれないが、そう何回もできることでもないし、やれる時にはやるべと思っている。
 



海岸寺の坐仏
 昨日はいい天気に誘われてというわけでもなにのだが、かねてから計画して伸び伸びになっていた、知るひとぞ知る造形作家の木村二郎さんの回顧展を須玉の郷土資料館に観に出かける。木村二郎といってもほとんど人は知らないかもしれないなぁ、清里のギャラリートラックスのオーナーだったといえば、そこそこ美術に興味のある人は知っているかもしれない。

 リサイクル家具といえば古材を利用した家具というイメージで安っぽい中古品という響きだけれど、彼の手がけた物は古材を素材として使っただけで、全く新しい造形物になっている。家具というより作家のオブジェに近いな。そこのところがどことなく自分の仕事と共通するエッセンスが感じられて惹かれるものがあった。土着の人間ではなく関西から流れてきた「来たり者」であるとことも共感する。

 色んな雑誌で取り上げられて、これからと言う時にさっさとこの世とおさらばした。今生きていればもっと色んなところで取り上げられていたであろう。
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