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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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個展1日目
 個展オープンしました。前回との違いは、前回はまぁ突然の話で、個展までそう期日がなかったので、今までにかきためた自信のある作品を展示した。それゆえに、まぁそこそこのグレードを保つことができたと自負していたのだが、今回はその後二年の作品を展示するということで、作品のグレードを保つのが難しいなぁと心配していた。まぁこれが本来の実力でしょうね。

 結果はそれぞれが見て判断してくださいな。お待ちしております。

 

 すんません。眠たいです。



 
 搬入、飾り付けが終わりました。8時を過ぎてしまいました。大きな広い会場なので、これをいっぱいにするのはかなり力のある作家でもなかなか難しい仕事だ。うまくいったかどうか、お客さんの反応を見ないことには何もいえない。まぁ明日ふたを開けてどうでるか、楽しみなところではある。

 今デパートは全体的に大きな曲がり角に来ている。戦後すぐ物が少なくて唯一デパートだけがその名の通り百貨をそろえてそれなりの対応でお客さんに満足を売っていた。土曜日に学校が終わってデパートで食事して屋上の遊園地で遊ぶのが楽しみだった頃、デパートは夢の楽園だった。

 ところが今はどうだろう。どこでも同じようなものが、それもデパートより安い値段で買えるわけで、デパートは海外のブランドのテナントが入る植民地のようになってしまった。デパートで買い物をする楽しさはもう昔のものになってしまったのかな。デパートはただの空っぽの箱だものなぁ・・。このまま何の手立ても打たなければ、ここ10年のうちに百貨店は消えるかもしれないな。日航が倒産するのだから何があってもおかしくないか。

 デパートの一部を貸してもらって個展をやっている側から言えば、まぁミミズのたわごとのようなものだけれど、何かしら感じることを言う義務もあるかなと思う。

 総合的な生活のプラン、これからの生き方の方向、それに夢みたいなものをブランドとして売っているわけだから、単に商品が安いとか売れるとかそういったことでない総合的な文化を演出して買ってもらうべきだと思う。

 画廊で言うならば、デパートの画廊は街の画廊ではできないような、総合的な演出をして、生活の中でどうアートと向き合うかみたいなことを考えて提案してゆくべきだと思う。具体的にはどうやればいいのかよくはわからないのだけれど、ある種お客さんを啓蒙しながら、教育しながら売ってゆくというような方法が考えられないだろうかね。

 まぁそんなことを考えながら、明日からの長い一週間を考える私であった。



 
はる 3139
 税金の申告に出かけた。まだ本格的な申告の時期ではないので、結構すいていた。

 もう何年にもなるのだが、定職を持たなくなるとこういった税金の申告や、年金や健康保険の手続きなども自分でやらなければならない。厄介なのは健康診断などで、学校や職場に属していると何気なく済んでいるこういったものが、年が新しくなるとどっどっと押し寄せてくる。やらないならやらなくても当分の間は何事もおきないのだが、やがて知らないうちに不利益をこうむることになる。これは「就職しないで生きるためのスキル」の大事な一つであろう。

 自由業というのか、私のように何か物を作って売って食べているような人間にも当然申告用紙が来る。最初は大いに戸惑った。なぜなら申告するほどの収入がないからで、こんなもので生活している人間など信用してもらえないのではないか?という危惧だ。税理士はそんな個人的なことには興味はないらしい。それで生活できるかどうか?そんなプライバシーに関することには踏み込んでこないので安心していい。

 申告するようになってやったことは、とにかく何でも領収書を取っておくことだ。特に我々のように職住一体になっているような職業は、これは仕事、これは生活と分けることが難しい。細かいことは聞かれたら答えればいいので、とにかく何でもかんでも領収書を取っておく。そうやると意外に経費ってかかるものだということが分かる。

 閑話休題
 帰りに年賀郵便の切手シート交換にまわる。例年5枚ほどシートが当たるのだけれど、今年は初めて3等が当たった。で、何だかカタログのようなものの中から一つ選ぶ。それはそれでいい。ところがその手続きたるや延々と時間がかっかって遅々として進まない。で上司みたいな人が出てきて何やらやっている。それでもまだ終わらない。本局だったので、私のほかに色んな手続きに来ている人がいるにもかかわらず、こんなどうでもいいような仕事に二人もかかわりあってそれでも終わらないのだ。もういいです、要らないですと言いたくなった。郵便業務はつぶした方がいいかもしれないな。


 明日から私はまた一週間ほど出稼ぎに出かけます。できるだけ更新するつもりですが、またシャメだけになるかもしれません。あしからず。 

 会場には連日詰めているつもりです。何か質問があれば気軽に声をかけてください。誠心誠意お答えするつもりでいます。希望を言えば、できるなら疲れが溜まらない初めの頃がいいように思います。よろしくおねがいいたします。ではでは、会場でお会いしましょう!
 
2010年 1/27(水)~2/2(火)
第50回・榎並和春個展・銀座
 タイトル「こえをきく2」
銀座・松屋 7階  
東京都中央区銀座3-6-1 
03(3567)1211


 



 
 今日は裸婦クロッキーの日だった。上の写真は右側が私が描いている椅子と鉛筆三本に練りゴムとスケッチブックです。たったこれだけの道具で一日遊べます。スケッチブックも色々なサイズがありますが、私はほぼ毎回同じサイズで、標準的なクロッキーブックですね。色々持ってゆくのが面倒なので、随分前からこのスタイルに落ち着きました。

 小さい頃から絵が好きだったですか?と時々聞かれる。もう何回ともなく書いたけれど、絵を描くことが特に好きだったわけではない。それに特に上手だったという記憶もない。ただ小学校の図画専科の先生が私の絵や工作をやたらとほめてくれたという記憶がある。傲慢にも専科の先生には分かってもらえると思い込んでいた。そう考えると学校の先生の存在はかなり大きいものだ。

 学年が変わってその先生が転出して専科の先生がいなくなって担任の先生が図画を教えるようになって急にやる気がうせた。当時でも漫画をいとも簡単にすらすらと描ける奴がいたな。鉄腕アトムとか鉄人28号とか、何も見ないで、短い鉛筆をクリクリまわしてまるで手品のように描いていた。まぁ子供心にこいつらにはかなわないといつもおもっていた。ところが美術で絵を描くということになると、彼らはその才能が出てこない。あれほど自由自在に鉛筆を走らせていた彼らが、何も描けないのだ。

 子供心に不思議におもったのだが、どこがどのように違うのか今でもよくは説明できないのだけれど、明らかに違う領域なんだと思う。今でも漫画とかイラストのようなものは全く描けない。



 
 昨日引用した文章のブログを書き忘れましたので、ここです。

 この間スローフードの集まりがあって、その時はそんなに気にしなかったのだが、帰ってきてから少し気になったことがある。まぁ今の時代の構造不況みたいな話かな・・。

 蒸気機関の産業革命があっていろんなものが手工業から機械化された。やがては電気がそれに替わって飛躍的に効率がよくなった。そして戦後はパソコンがでてきて、さらに無駄を省くオフィスのオートメーション化がすすんだ。それはそれで、人類が目指してきた結果ではあるんだな。

 じゃあ、こうやって効率よく無駄を省いて最適化を勧めて行って、最終的に何を目指しているのかといえば、まぁ昔の漫画のように、人はただ単に寝転がってテレビでも観ているそんな状態を考えていたのじゃないかな。今実際に昔に比べて多くの仕事がなくなっている。それは人類が良かれとおもってやってきたことが、反対に今首をしめている感じだな。

 自動販売機ひとつでもそうだ。便利だけれど全国のタバコ屋をほとんどすべてつぶしてしまった。タバコ屋の看板娘は歌だけの話になってしまった。仕事を誰でもできる簡単なマニュアル化したために、確かに効率はよくなったけれど、仕事に創造性、工夫というのがなくなった。パートタイムはいかに仕事をしないかに知恵を絞る。

 ごく一部の優れた頭脳労働とすごく単純な労働だけになってしまった。これは多くの人間、特に若い人には気の毒だ。魅力ある仕事がない。

 多分これからは、仕事を与えられるのではなく、新しく作って行く必要があるだろう。昔はよかった的な、過去に戻ることはできない。いつの時代も前に進むしかないのだな。
 
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