画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
→ http://enami.sakura.ne.jp
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これが私のホームグラウンド。本当に小さなノート型のパソコンがあるだけ。これだけで一応世界中と交信できるし、自分のブログが日々発信できるのだ。考えてみると本当に不思議なものだ。
我々が中学生だったころ、ハムといって個人の通信が流行っていた時があった。今でも時々大きなアンテナを屋根に乗せている家を見かけるけれど、世界中と交信できるというのがある意味売りだったんだ。今ではなんでもないメールなども一昔前はポケベルだったりしたのだから、こういった個人の通信手段というのは驚くべき進化だ。
まぁ私個人としては、もうこれ以上複雑なことにはついてゆけないし、必要もない。こうやって日々淡々と日常を記録してゆくだけだろう。しかし、これがどこまで残ってゆくのだろうかね。ネット上にあるものはほぼ永久に存在できるのだろうか?例えば私が死んでホームページの更新が途絶えたとしても、必要な手続きさえとってあれば永久にネット上に存在できるのかな。
こういった作家個人が管理しているHPなどというものはいまだかつてなかったものだから、そういった意味では全く新しい形の表現ということが出来る。今までも作家の日記を何らかの形で発表することはあったけれど、こんな風にダイレクトに日々更新されるということはなかったわけだから、どうなんだろうか。
私のHPは「ここだけの美術館」ということで、私がいままで考えたり、やってきたことした事のほとんど全てここに残してあるつもりだ。10年前に大きな病気をしたときに自分の仕事をこういった形で残しておこうと思った。
これからどうなるか分かりませんが、まぁ末永く付き合ってくださいな。
我々が中学生だったころ、ハムといって個人の通信が流行っていた時があった。今でも時々大きなアンテナを屋根に乗せている家を見かけるけれど、世界中と交信できるというのがある意味売りだったんだ。今ではなんでもないメールなども一昔前はポケベルだったりしたのだから、こういった個人の通信手段というのは驚くべき進化だ。
まぁ私個人としては、もうこれ以上複雑なことにはついてゆけないし、必要もない。こうやって日々淡々と日常を記録してゆくだけだろう。しかし、これがどこまで残ってゆくのだろうかね。ネット上にあるものはほぼ永久に存在できるのだろうか?例えば私が死んでホームページの更新が途絶えたとしても、必要な手続きさえとってあれば永久にネット上に存在できるのかな。
こういった作家個人が管理しているHPなどというものはいまだかつてなかったものだから、そういった意味では全く新しい形の表現ということが出来る。今までも作家の日記を何らかの形で発表することはあったけれど、こんな風にダイレクトに日々更新されるということはなかったわけだから、どうなんだろうか。
私のHPは「ここだけの美術館」ということで、私がいままで考えたり、やってきたことした事のほとんど全てここに残してあるつもりだ。10年前に大きな病気をしたときに自分の仕事をこういった形で残しておこうと思った。
これからどうなるか分かりませんが、まぁ末永く付き合ってくださいな。
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