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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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個展4日目





 猛烈な暑さだ。街中はとても尋常ではない。夕立も無い。街中を歩くだけでも褒めてあげたい。こんな状態ではお客さんは期待できない。まぁそれはしかたないことだろう。こんな真夏に個展を組んだほうが悪いのかもしれない。それでも来てくれたお客さんには頭が下がる。どうもありがとう御座いました。

 後二日です。明日も猛暑だそうです。気をつけていらしてください。

 いい報告が無い中で、一つだけいい出会いがありました。また時期がくればご報告が出来るかもしれません。今回はこの人との出会いのためにあったのかもしれません。長くお付き合いできることを期待しましょう。ではでは。
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 個展2日目
 とてもとてもとても暑い。その中を何人かの人が汗を拭き拭きやって来てくれた。ありがたいことです。そうそう、明日は近くのギャラリー島田でもグループ展が始まります。夏の恒例のミニアチュール展100名以上の関西の作家が出品します。こちらのほうもよろしく。

 たとえばカルチャーなどで絵を教えるとする。無論全く絵を描いたことが無ければ何かモチーフを組んでそれを描写すること、油絵ならその材料になれる必要があるので基礎的なことは順番に習わなければならないだろう。

 で、基礎的なことというのはどこまでいうのだろうか。何年も何年も面白くも無いような、受験勉強のようなモチーフを描かねば本当に絵の面白さはわからないのだろうか。たとえばデッサン一つ取ってみてもきりが無い。どこまでいっても終わりというものがない。デッサンはこれで卒業などという人はいったい何人いるのだろうか。

 見えたものを出来るだけ忠実に描ける様になること。それはそれで一生かかってもマスターできないような技術を必要とする。またそういったことに面白みを感じるひともたくさんいることは確かだな。

 こうは考えられないだろうか。デッサンの修行が終わって初めて表現のテリトリーに入るのではなく、それは同時にはじめてもいいのじゃないかな。特に受験勉強ではなく、絵を楽しみに描くのであればますます、そういった直接表現を楽しむ方法をというのを考えても良いように思う。

 まぁ、文章を書いたことが無い人にいきなり小説を書けというようなことかもしれないが、たとえば言葉のクロッキーみたいなもので、何かモチーフを見つけてきて描いたとする。そうすると普通は単にあるものを描いただけと考えがちだけれど、それを選んだには何かしら自分なりの選択が始まっているわけだ。言葉にならないそういったことを意識下にもってきて「ことば」にする。このことで自分の中に何か不思議な意識が芽生えるのだな。これが表現の第一歩だ。

 実際に絵は描かないのだけれど、表現ということは「自分の心の中を見つめることだ」ということが次第に見えてくるように思う。

 
暇だ。





まぁ暑いので、午後はほとんど来客なし。五時過ぎになってちらほらという感じです。場所はいいところですが、こう暑いと観光客も動きませんね。贅沢な空間です。独り占めに来て下さい。私は必ず在廊します。



 
  明日から神戸に帰省します。個展が始まればまたシャメだけになるかもしれません。でもまぁ出来るだけ臨場感のある報告をしたいと思っていますので、そんな雰囲気をお楽しみください。こうやって色んな個展会場から、作家自らその場で写真を送るというブログは数あるブログでも数少ないのではないかね。興味がなければ何も面白くないけれどね。まぁいいか。

 上の写真は昨日撮ったものと同じところ。実は私の自宅の庭ではない。でもまぁほとんど私しか使わない場所なので承諾を得て使わして貰っている。畑もこの右手にある。前にも話したけれど、隣は爺さんが一人で住んでいた。その人が亡くなって今のところ空き家になっている。こんな田舎ではよくある話なんだろうけれど、誰もすまなくなった家は急速に老朽化する。庭もまた草ぼうぼうの藪になってしまう。

 ということで、私が維持管理するということで只で借りているというわけだ。畑をやり始めて感じたことは小さな庭だけれど、放っておけばすぐさま草がびっしりと所かまわず一面に繁茂する。特に雨上がりが凄い。待っていましたとばかりに小さな芽をいっせいに押し出すのだ。そりゃみごとなものだ。別荘は雑草との戦いだということを聞いたことがあるけれど、まさに庭は雑草との根競べ。

 ところで、土草の匂いというのはとても心くすぐるものだ。なんだろう山の奥深くに入ってふかふかの落ち葉をふんづけたときの匂いと似ている。・・・・



 
 今日も暑かった。来客があったので、半日片付けと大掃除に翻ろうされる。家を綺麗にする方法はお客さんを迎えることだということをどこかで聞いた。確かに来客はどんな場合もそこそこがんばるものだ。

 午後の日差しは真夏独特だね。いつの間にやら梅雨もあけて、まったく凄い天気だ。昼寝するしかこの日差しをやり過ごす方法はない。明日は久しぶりの学校。テストも終わって課題も一応すんだ段階では、生徒もやる気がない。無論私もやる気がないのでビデオをみせる。

 若い教師の自殺の話が今朝の新聞に出ていた。先生をやりたくてがんばって教員になって、いざ自分が教壇に立ってはじめて理想と現実のギャップに悩むんだな。まぁどんな職業でも同じだと思うのだけれど、教員は学校出てすぐに一人で生徒の前に立たなきゃならないから大変だ。今までは、何の責任もない学生だったわけだからね、それに今の生徒は昔のように単純ではないし、親もまた協力的ではない。職業としては、まじめな人ほど、優秀な人ほど、最初の二三年はしんどいと思う。

 まぁ甘いといえばその通りなんだけれど、だけど本当につぶさないで一人前の教師に育てようとするなら、給料は半分でも見習い制度みたいなものが必要じゃないかな。でなければ残るのはものを考えない、いい加減な、体育会系の教員ばかりになってしまう。

 まぁだからといって悩む先生がすべていい先生だとも思わないけれどね。自分に合わないと思えば二三年で切りをつけたほうがお互いのためだろう。見極めが難しい。

 という私は一年しか正教員を続けられなかった落ちこぼれですから・・。
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