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勝手引用「放蕩息子の帰宅」
http://www5f.biglobe.ne.jp/~nobpar/colum/colum04-0501.html
「・・・略・・
あるとき、取税人や罪人たちがキリストの話しを聞こうと集ってきた。それを見ていたパリサイ人や律法学者たちが「この人は罪人を迎えて食事をしようとしている」と非難した。そこでキリストが彼らにたとえ話をする。その話しの1つが‘放蕩息子の帰宅’といわれている上記のお話だ。
この話の中で父はずっと彼の元で働き、言いつけを守っている兄には冷淡であるのに対して、家を出て放蕩の限りをつくし、父の財産を食いつぶしてしまった弟には温かい。普通では考えられないことではあるが、父を神、兄をパリサイ人や律法学者、弟を取税人や罪人をすると何となくわかってくる。
兄は確かに父のもとでその言いつけを守り暮してきたが、父のありがたさがわかっていない。特に何の思いもなく、ただそれが世間の常識だというだけで父のもとで働いているに過ぎない。彼の体は確かに父の近くにはいるが、その心には不満があり遠く離れているように思える。
一方、弟も最初は父などどうでもよかったに違いない。だから、財産を分けてもらった後、家を出て好き勝手な暮らしを始める。しかし、放蕩のあげく、身を持ち崩し、悲惨な暮しを余儀なくされたとき、初めて父のありがたさがわかり、出ていった家がいかに温かい場所だったかを知った。ボロボロになって家に帰って来たとき、弟は心から父を慕っていた。
この話はどんな罪を犯そうとも、悔い改めるのなら神は門を開き受け入れるというたとえ話だ。しかし、そういったキリスト教の教えだけに止まらず、この話にはいろいろな真実が隠されているように思える。
常識的で利口な生き方をしているが、不満でいっぱいになっている兄。失敗を繰り返し、遠回りの生き方をしながらも、それ故に何かしらを見出した弟。形ではなく、真実の心を重要視した父。
効率的に無駄なく生きるだけでは何か物足りない気がする。時には間違い、失敗を繰り返しながらも何かがそこに見つかれば無駄も無駄ではなくなるように思う。そしていつか帰りたくなるような家が見つかればいいと思う。」
おぉぞろ目の3だぜ。毎日更新して約10年かかる。悔しかったらやってみな。出来るようでできないぞ。まぁだれも褒めやしないから、自分で自分を褒めておこう。こういうほぼ毎日やるというのは、けっこう利くんだな。何がって?文章を書くにしても、楽器をやるにしても、そうそう、絵を描くことでもね。兎に角毎日やること、そうすれば何かが見えてくる。いや、見えてくることが多い。理屈じゃないんだな、色々言う前に毎日やること。そうすれば自然に取っ掛かりが見えてくる。自分の姿がおぼろに見え隠れしてくる。借り物でない自分の言葉でかけるようになるし、唄えるようになるし、描けるようになる気がする。
昨日の続きだけれど、宮崎進の話。舞踏の亡くなった大野一雄氏などもそうだったけれど、晩年は体の自由が利かなくなって、アルツハイマーも患っていたように聞いた。ほぼかすかに動く手を動かしながら、それでも表現しようとしていた。その姿は異様で見るものを圧倒するものがあった。
ご本人はどう感じているのだろうか、昨日の宮崎さんを見たときにも同じような神々しさを感じたな。宮崎さんは80歳ごろまで元気で元抑留されてたシベリアに行ったりした映像が放映されていた。ダンディで高名な画家という雰囲気だった。何年か前のサンパウロのビエンナーレに招待された様子もそうであった。だけど、そこにはまだ演じられた画家がいただけのように感じた。シベリアに行っても説得力はなかったな。
あのパーキンソン病を併発してからの姿はそのものが表現者であった。ダンディでもない、おしゃれでもない、カタカタと震える指と、絶え間なく口をもごもご動かしている老いた、衰えた醜い老人の姿が、かっこいいとおもった。ご本人はどう思っているのだろう。普通元気な自分を、かっこいい自分を映して欲しいと望むでしょう。老いて醜くなった自分なんて、全国に放送して欲しくないでしょう。
「自分の老い様をみろ」「死に様を観てくれ」「生きて老いて死んでゆくというのはこういうものだ」もっとぼろぼろになっても表現し続けるぞ!と言う声が聞こえた。人の、表現者の業なんだろうな。
そうありたいと思う。
明日はカウントがオール3のぞろ目になる。べつに何の祝い事もしないけれどね。3500ぐらいになると何かプレゼントを考えましょう。
日曜美術館で宮崎進の特集をやっていた。ほとんどテレビは観ないけれど、彼の生き方は一人の表現者として共感できるし、どんな風に老いてゆくのか見とどけたい作家でもあった。多くの作家はそこそこの年齢になると巨匠風になって作品が停滞してしまうか、後退してしまう。大体作品も小さくなって適当なところで満足してしまう作家が多い。
しかし、まぁ今日の宮崎さんには驚いたな。元気な時の彼しか知らなかったから、老いて病気を併発して体の自由がきかない、老人特有の微妙な体のふるえとか、歯の抜けた顔の表情とか、一変した容貌にまずカウンターパンチをくらった。
普通、ある程度の年になると、スタイルは大きく変えない。それから段々に分かりやすい、穏健な、表現のスタイルになる場合が多い。具象的な作家が、若い時のようにこれからどうなるかわからないような抽象的な作品になってゆくことはまれだな。彼の最近の作品を見ていると20代や30代のまだこれから何とかしてやろうという若い造形作家のエネルギーを感じるなぁ。姿かたちはまるで老いさらばえて、今にも朽ちてゆきそうな枯れた感じなのに、表現は充分若々しい。エネルギーに満ちている。
男性の作家は晩年は面白くない。大体大きな団体のトップになったり、会長になったりで、肩書きがつくことで満足してしまうのだろうな。それに比べて女性は老いて益々破天荒に面白くなる。子育てや、家事から解放されて、どんどん自由に描きたい様に、作りたいように作る喜びに満ちてくる。
晩年のいい男性作家は最近では土牛さんとか高山辰夫さん、山口薫、香月泰男、木村忠太、松田正平、須田剋太かな。好きな作家といった方がいいか。
(これは飛ばして下さい)そうそう、大学の夏休みは帰省せず、図書館から出来るだけ厚い借りて足をバケツに突っ込んで本だけ読んで暮らしている奴がいた。学食も閉じられてしまう夏休みは大学の山の寮に二週間ほど閉じこもって絵を描いた。一人合宿。
村上春樹はあまり好きではなかった。好きではない割りにほぼ全ての本を読んでいるのは家人がファンで新刊が発売されると必ず購入するからかな。何が触手を刺激しないかといえば、どうにもこうにも理論的でない何物かが前後の脈絡と関係なくでてくるからで、おいおい見て来たような嘘を描くなよ、と突っ込みをいれたくなるんだな。
けれど、そうだな、ここ最近はそれもありかなと許せるようになってきた。少しは文学が分かるようになってきたのだろうか・・・わからんけどね。いいじゃないか、見て来たような上手な嘘が書ければ、それも面白いじゃない。これ(1Q84)けっこう面白い。こんな言い方失礼だけど。
午後は久しぶりに髪をカットしに行きつけの美容院に行く。一度カットすると何ヶ月も放ったらかしになる。散髪は嫌いだ。美容院も過当競争で、ちょっとおしゃれなお店が出来たと思うと、ほとんどが美容院だったりする。これほどたくさんのお店があるにもかかわらず、やってゆけるのは技術があればほとんどお金はかからないからかな。
今日は珍しく夕立があった。少し涼しくなった。
例えば百貨店でも、土曜日は最上階の食堂で家族そろって食事して、屋上の遊園地で遊んで帰りましょう、というのが、ある意味ステータスであった頃は一番やりやすかったわけだ。ところが今はそんなことで満足するお客は一人もいない。
例えば、これが流行りそうだからこれを、あれがいいからあれを、というのであれば、いつしか疲弊してしまう。小さな商売ならそれでもいいだろう、でも百貨店という大きな商売をかんがえるなら、右往左往したくない。百年先を見据えた仕事をしてほしい。
創業時代、まだ時代が貧しかった頃、まず郊外を開発して住宅を分譲した。やがてそこで育った住民が鉄道を利用してターミナルの百貨店を利用する。そんな具合に彼らは長いスタンスで考えて仕事をしてきたわけだ。単に物を売るだけではなく生活そのものを開発して需要を生み出してきたのだな。
ハングリーに替わる新しい価値感を持ち込むということだろうか。いつまでも物販にこだわらない、新しい仕事を開発するということかな。
ここからはある種企業秘密になるのだけれど、教えてしまおう。例えば昨日話したものを教えるということにも共通する話なんだな。教える側が手取り足取り教えている状態というのは、教わる側は受身なんだな。確かに分かりやすいし、教える方もハウツーがマニュアル化しやすい。モチベーションでいえばまだハングリーな状態だ。
ここからが本当の教育なんだな。教わる側の気持ちに火をつけること、自ら進んで学ぶ姿勢に、能動的な状態まで持ってゆくことだ。そう考えると、物を売っているのはまだまだなんだな。何が幸福であるのか、自らが考えて生活を作ってゆく。そういった能動的な生き方の方法、考え方、生き方、遊び方、生活の仕方、アイディア、もっといえばそれらをひっくるめたライフスタイルを提案して啓蒙しながら、売ってゆくということかな。
こんな話に乗ってくる企業はいないかな。
多くの百貨店は創業時代は呉服屋だった。時代は着物から洋装になっていつまでも呉服に囚われていたのじゃ乗り遅れるというわけで、大きく方向転換した。物が少ない貧しい時代の大衆の要求だっただったのだろう、全般的にちょっと高級感のある百貨店となってここまでやってきた。いままた時代は大きく変わろうとしている。速い、安い、便利、ならばスーパーやコンビニ、ファミレスに負けてしまう。安いだけじゃ百円ショップもある。高級なら外国の有名ブランドがもっと付加価値をつけて売り込んでいる。百貨店はどっちつかずだな。存在価値が根本的に問われてる。このままではこの後10年はもたないかもしれない。
大手のデパートはそうとう危機感をもっているだろう。これから百年どうやって生き残ってゆくのか、何を売って行くのか、それはまぁデパートだけの話ではないのだな。言わばこれから百年の日本の有り方、生き方、過ごし方、そんなことにもつながっているのではないかな。そんなふうに思う。
何が求められているのかな。もっと言えば「人の幸せって何だろうか?」ということだ。
閑話休題
以前に書いた事があるけれど、中学校の正教員をやっていた時に気付いたことがある。こうやって色んな校則や規則でがんじがらめにして生徒たちをどうしたいのか、どんな理想をもって子供たちを指導しているのだろうか、最終的に目標としているのはこの国に役に立つ人材を育てるということなのだろうか、義務教育というのは無償であるということはそういうことなんだろうか・・などと疑問に思った。
国の役に立つ人材を育てると言うのであるならば、まぁ体制が変われば大きく価値変換を強いられることがあるわけだな。当然。しかし、教育というのは基本的に個人のものである気がしている。個人がよりよく、楽しく、充実して生きられるように、教えるのではなく、知ろうという気持ちに火をつけることだと思っている。教えられることは限られたものでしかないけれど、知ろう、」知りたい、学びたい、という気持ちに限界はない。これは国も体制も関係がない、体制が変わっても、国が崩壊しても、関係がない。そういった人を育てるのが教育だと思っている。まぁ結果的にお国のためになることはあっても、決してそれが目的ではない。
で、話は元に戻るのだけれど、多分これからは「物」を売るのではない気がするんだな。人はもう物では「幸せ」にはならないことに気がついたんだな。
だから最初デパートでの個展の話があったときはちゅちょした。「デパートの絵」とは端的言えばに商品ということだ。自分の絵が商品かどうか、商品として売れるのかどうかは別にして、明らかに売るという目的のために絵は描いていなかった。まぁ言ってみれば素人であったわけだ。
もう一つデパートの絵の特徴として「綺麗、細かい、分かりやすい」というものがある。だから私に話が来るとは考えられなかった。どれ一つとして合格していないからね。実際物を見て描くわけでもない。だから私のは絵ともいえない。私の個人的な想いでしかない。形を変えたオブジェのようなものだ。そんなものが一般的に売れるとは思えなかった、というのが本当のところだな。
そういうデパートでの個展のイメージを変えてくれたのが、お世話になったHさんだ。何よりも私の作品を「いい」と言ってくれたこと、そのことは大切なことだ。売れる売れないは関係なく、兎に角「いい」と言ってくれたこと。それによってどれだけ勇気付けられたか。今までも何人かは個人的に「いい」といってくれた人はいた。けれど、公の仕事人として鑑賞家として、デパートの企画人として「いい」といってくれたことは大きな自信になった。
今デパートは過渡期に来ている。一昔前デパートは「夢」を売っていた。どこで買うよりも高かったけれど、それに似合う付加価値があった。それにお金を払っていたわけだ。ところが色んな海外のブランドがそれぞれに付加価値、高級感を持ち始めて、自前のお店を持つようになって、デパートの時代は終わりを迎えつつある。どうやって生き残ってゆくのか、それぞれが戦略を考えているところだ。
大衆の消費をリードしてきたデパートがこれからどうなって行くのか、何を売ってゆくのか・・・また眠くなった。
物事の縁というのも同じようなことがある。凄くいいチャンスでありながら、まだ機が熟していないばかりに見過ごしてしまうことがある。チャンスの天使は前髪しかない、気付いて振り返っても後ろ髪はつかめないよというジョークだけれど、まんざら嘘でもない。
今回、前半はまるで人が来なかった。真夏で、特に今年は異常に暑かったということをさしひいてもそれは普通ではない。真夏に個展を開催するのは今年で6回目だ。何かが変わったのだ。私が変わったのかも知れないし、お客さんの意識が変わったのかもしれない。多分普通に毎年のように人が来ていれば気付かなかった、見過ごしていたことに気付かされた。これはとても大事なチャンスでもあるのだろう。そのことに気付くくかどうかは大きなことだ。
個展を開催していると、期間中に何人かのギャラリーのオーナーが訪れる。新規の画廊のオープンの話だったり、大体が貸し画廊の話で誰か借り手がいないかと探しているといった話が多い。今回も何人かオーナーが見えた。普段ならほとんど話を聞く気にもならないのだが、次の展開を考えていた時期だったので、気にしていたのかもしれない。
ギャラリーSのオーナー夫婦が来られたのも、休日に画廊めぐりをしているところだった。私は暇だったので、ギャラリーのドアー越しに街を行き交う人を眺めていた。たまたま向かいのギャラリーがお休みだったので帰ろうと振り向いた時に私と目があった。「あぁこんなところで個展をやっている」という感じで道路を渡ってこちらにやってこられて、ショーウィンドウの絵に興味を持ってくれた。絵が好きなご夫婦だと思ったので「どうぞ涼んでいって下さい」と声をかけたのが始まりだった。
詳しい事はまだ書かないけれど、そこで来年の10月に個展を開催することになった。それが夙川を訪ねた理由だ。