画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 2843
四月になりました。
今年もまた春の陣が始まって、多くの展覧会のDMが毎日送られてくる。一つ一つの作品は作家が膨大な時間をささげて勝ち取ったものなんだろうけれど、こうやってDM写真になってスマシタ顔で並べられると、何の魅力も感じない。切実なものが何も伝わってこない。ある意味飽食で満たされているんだな。そんなところからはなにも伝わってこないだろう。
あぁ、こういったグループ展や個展にもう飽きてしまったのだろうか、何のインパクトも感じないなんて寂しすぎる。立場を変えれば私のDMも同じように人様に受け取られているわけで、悲しいものがある。
こういった個人のメッセージを発表することが珍しかった頃はさぞかし興味を持って見られただろうし、自分の感じたものを何かの形で発表するということにとても魅力があったんだろう。でも、テレビや最近ではインターネットや携帯サイトなどが出来たために、もっと手っ取り早く何らかのメッセージを日々送ることが出来るわけで、まぁその方がどれだけ臨場感があって楽しいことか。
絵画だけではないけれど、根本的にというのか、美術館や画廊で展覧会をやる、わざわざ観に行くというカタチそのものがもう時代遅れなのかもしれない。
少し前に94歳の吉田秀和が何かに書いていたけれど、奥さんが死んでもうどんな音楽も聴きたくないと思った時期があったらしい。残された時間ももうそう多くない。さて本当に聴きたいものだけを聴くんだと思った時に、聴こえてきたのがバッハの音楽だった。あの天才モーツァルトでさえ「私が・・僕が・・」と耳障りだとね。
私の求めるものは美術や芸術ではない。絵でさえもないのかもしれない。最後の最後に静かに流れている通奏低音のようなものであればいいのじゃないかな。
四月になりました。
今年もまた春の陣が始まって、多くの展覧会のDMが毎日送られてくる。一つ一つの作品は作家が膨大な時間をささげて勝ち取ったものなんだろうけれど、こうやってDM写真になってスマシタ顔で並べられると、何の魅力も感じない。切実なものが何も伝わってこない。ある意味飽食で満たされているんだな。そんなところからはなにも伝わってこないだろう。
あぁ、こういったグループ展や個展にもう飽きてしまったのだろうか、何のインパクトも感じないなんて寂しすぎる。立場を変えれば私のDMも同じように人様に受け取られているわけで、悲しいものがある。
こういった個人のメッセージを発表することが珍しかった頃はさぞかし興味を持って見られただろうし、自分の感じたものを何かの形で発表するということにとても魅力があったんだろう。でも、テレビや最近ではインターネットや携帯サイトなどが出来たために、もっと手っ取り早く何らかのメッセージを日々送ることが出来るわけで、まぁその方がどれだけ臨場感があって楽しいことか。
絵画だけではないけれど、根本的にというのか、美術館や画廊で展覧会をやる、わざわざ観に行くというカタチそのものがもう時代遅れなのかもしれない。
少し前に94歳の吉田秀和が何かに書いていたけれど、奥さんが死んでもうどんな音楽も聴きたくないと思った時期があったらしい。残された時間ももうそう多くない。さて本当に聴きたいものだけを聴くんだと思った時に、聴こえてきたのがバッハの音楽だった。あの天才モーツァルトでさえ「私が・・僕が・・」と耳障りだとね。
私の求めるものは美術や芸術ではない。絵でさえもないのかもしれない。最後の最後に静かに流れている通奏低音のようなものであればいいのじゃないかな。
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はる 2842
小切手というのを始めてもらってどうやって換金するのか分からなかった。ということでその金融機関に電話をかける。私の頭が鈍いのだとおもうのだが、相手はわかりきっているものとしてマニュアル通りに答えるので、いっこうに理解できない。何か日本語をしゃべってはいるのだが、理解できないということがあるのだということが分かった。あまりしつこく聞くのもノータリンのようなので聞けなかった。実際アホなんですが・・。
ということでその金融機関の何とか支店までその小切手をもって行く。実はその支店はこの町には無くて隣町ににある。車で30分くらい。大した金額でもないのでいつか近くに寄ったときでいいのだけれど、一番憂慮するのは不渡りだったらどうしようということだな。
で、まぁ場所を探して出かけたわけだ。窓口で小切手を提示して見せると、これが裏書がないと普通は現金かできないそうだ。よくみると左上にBANKと書かれている。これは銀行振込専用だそうで、その銀行に口座があればそこに振り込まれるし、そうでない場合当然手数料がかかる。そういえば電話で聞いたときにそんなことを言っていたような気もする。
通帳など持っていなかったので、また自宅に帰って自分の銀行の通帳を持って再び出かける。知らないということは手間隙がかかるということだ。でまぁ電信扱いで振込み手数料が440円かかる。でおまけに実際に振り込まれたかどうかは二日後にしか確認できないらしい。なんと面倒なシステムなんだろう。現金でくれよ。
小切手というのを始めてもらってどうやって換金するのか分からなかった。ということでその金融機関に電話をかける。私の頭が鈍いのだとおもうのだが、相手はわかりきっているものとしてマニュアル通りに答えるので、いっこうに理解できない。何か日本語をしゃべってはいるのだが、理解できないということがあるのだということが分かった。あまりしつこく聞くのもノータリンのようなので聞けなかった。実際アホなんですが・・。
ということでその金融機関の何とか支店までその小切手をもって行く。実はその支店はこの町には無くて隣町ににある。車で30分くらい。大した金額でもないのでいつか近くに寄ったときでいいのだけれど、一番憂慮するのは不渡りだったらどうしようということだな。
で、まぁ場所を探して出かけたわけだ。窓口で小切手を提示して見せると、これが裏書がないと普通は現金かできないそうだ。よくみると左上にBANKと書かれている。これは銀行振込専用だそうで、その銀行に口座があればそこに振り込まれるし、そうでない場合当然手数料がかかる。そういえば電話で聞いたときにそんなことを言っていたような気もする。
通帳など持っていなかったので、また自宅に帰って自分の銀行の通帳を持って再び出かける。知らないということは手間隙がかかるということだ。でまぁ電信扱いで振込み手数料が440円かかる。でおまけに実際に振り込まれたかどうかは二日後にしか確認できないらしい。なんと面倒なシステムなんだろう。現金でくれよ。
はる 2839
敷石その後4
どこまで書いたかね。修理が終わったことを伝える。その後かかった経費を支払うということで決着がつく。で今日小切手が送られてきた。これで一件落着とあいなったわけだが、私が修理してお金を請求するという形となった。最悪の結果は避けられたけれど、これでよかったのだろうか。
基本的にお金はどうでもよくて、一番伝えたかったのは個人の苦情を簡単に握りつぶしてはいけないということを言いたかったわけで、そのことはあまり明確には伝わっていないようだ。まずい五月蝿い相手につかまったと感じていたなら、また同じことをやるだろう。
大体工事が終わって現状復帰した時に割れた様子がわかっていたにもかかわらず、それを黙って報告にこなかったこと自体罪がある。もう一つは連絡をとってもなかなか動かなかったこと、県や市の苦情係りに言ってもらってやっと少し動き出した経緯など、誠意ある対応が見えなかったことなど。
というわけでこの会社はまた同じ過ちをおかすだろう。そんなことで、この件は終了とします。
以下にその経緯
-----------------------
2/10 工事終了
2/12第1回目の電話をする、社長との面接
2/27第2回目の電話をする、後日連絡するとのこと。
3/02 市役所に苦情を持ち込む。後日連絡するとの留守電
3/13第3回目の電話をする、来週中に連絡するとのこと。
3/16相手から連絡、修理費を支払うことで決着がつく。
3/19修理完了
3/24完了の電話をする。
3/25支払いをするとの電話連絡あり。
3/27住所不明、氏名の確認の電話あり。
3/28小切手が着く。一件落着かな?
敷石その後4
どこまで書いたかね。修理が終わったことを伝える。その後かかった経費を支払うということで決着がつく。で今日小切手が送られてきた。これで一件落着とあいなったわけだが、私が修理してお金を請求するという形となった。最悪の結果は避けられたけれど、これでよかったのだろうか。
基本的にお金はどうでもよくて、一番伝えたかったのは個人の苦情を簡単に握りつぶしてはいけないということを言いたかったわけで、そのことはあまり明確には伝わっていないようだ。まずい五月蝿い相手につかまったと感じていたなら、また同じことをやるだろう。
大体工事が終わって現状復帰した時に割れた様子がわかっていたにもかかわらず、それを黙って報告にこなかったこと自体罪がある。もう一つは連絡をとってもなかなか動かなかったこと、県や市の苦情係りに言ってもらってやっと少し動き出した経緯など、誠意ある対応が見えなかったことなど。
というわけでこの会社はまた同じ過ちをおかすだろう。そんなことで、この件は終了とします。
以下にその経緯
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2/10 工事終了
2/12第1回目の電話をする、社長との面接
2/27第2回目の電話をする、後日連絡するとのこと。
3/02 市役所に苦情を持ち込む。後日連絡するとの留守電
3/13第3回目の電話をする、来週中に連絡するとのこと。
3/16相手から連絡、修理費を支払うことで決着がつく。
3/19修理完了
3/24完了の電話をする。
3/25支払いをするとの電話連絡あり。
3/27住所不明、氏名の確認の電話あり。
3/28小切手が着く。一件落着かな?
はる 2837
今日の新聞に投資の話が出ていた。幸いなるかな、今のところ今日生きるのに精一杯で、投資を考える余裕も無いのだけれど、だからこそ何とか上手い話はないのかという気持ちも分かる。
銀行にしても、証券会社にしてもサラ金と同じようにお金を回して利息を稼ぐというのは変わらない。何か物をやサービスを提供して利益を得るというのと根本的に違う。
昔から効率よくお金を稼ぐ方法は「お金に働いてもらう」ことだというのは常識になっている。小商いで小銭を稼いでいたのでは大きく化けることはないのだろう。
資本主義社会というのは最終的なかたちは「お金に働いてもらう」投資経済ではないかと思うのだ。資本を持っているものが、何かしらのデーターをもとにこれから伸びるであろう企業家や起業家に投資する、で上手くすればその利益を配当というかたち得るわけだ。
その情報をどこから得て、どう分析するのか、そこがその博打に似た面白いところでもあるし、怖いところでもある。まぁ多くの健康な市井の人々は遊びの感覚でトレーダーとして市場に参加しているわけで、その限りにおいてはお楽しみの範囲であるし、怪我することも少ない。
我々はというのか、今は非常に不安定なところにいる。定職を持っていてもいつリストラにあって職を失うかもしれないし、老後の年金も大して期待できない。老後のために今持っているなけなしの資金を「少しでもよい投資をしたい」というのは人情として当たり前だわな。
何故か時代の気分として手軽に手堅く投資することが当たり前で、格好がいいという雰囲気がある。まぁそれが先ほども書いたように遊びの範疇であるなら何にも問題は無いのだが、人は段々に欲をかくものだからね、問題もある。
アメリカ資本主義世界の優等生だからね日本は、どうしても「投資はいい事である」という前提がなければ成り立たない社会を作りたいわけだ。でもなぁ、今回の件(大きな証券会社の破綻、アフガニスタン侵攻など)をみてもかの国はあまり信じてはいけないような気がするなぁ。どこも自国が火の車になれば他国のことなど構っちゃいられないよ。
で、いつもの結論になるのだけれど、おたおたしないで覚悟を決めて生きてゆくことだな。地道に今ある生をゆっくり楽しんで、食べれなくなったら静かに生を閉じる。それでOKだ。
今日の新聞に投資の話が出ていた。幸いなるかな、今のところ今日生きるのに精一杯で、投資を考える余裕も無いのだけれど、だからこそ何とか上手い話はないのかという気持ちも分かる。
銀行にしても、証券会社にしてもサラ金と同じようにお金を回して利息を稼ぐというのは変わらない。何か物をやサービスを提供して利益を得るというのと根本的に違う。
昔から効率よくお金を稼ぐ方法は「お金に働いてもらう」ことだというのは常識になっている。小商いで小銭を稼いでいたのでは大きく化けることはないのだろう。
資本主義社会というのは最終的なかたちは「お金に働いてもらう」投資経済ではないかと思うのだ。資本を持っているものが、何かしらのデーターをもとにこれから伸びるであろう企業家や起業家に投資する、で上手くすればその利益を配当というかたち得るわけだ。
その情報をどこから得て、どう分析するのか、そこがその博打に似た面白いところでもあるし、怖いところでもある。まぁ多くの健康な市井の人々は遊びの感覚でトレーダーとして市場に参加しているわけで、その限りにおいてはお楽しみの範囲であるし、怪我することも少ない。
我々はというのか、今は非常に不安定なところにいる。定職を持っていてもいつリストラにあって職を失うかもしれないし、老後の年金も大して期待できない。老後のために今持っているなけなしの資金を「少しでもよい投資をしたい」というのは人情として当たり前だわな。
何故か時代の気分として手軽に手堅く投資することが当たり前で、格好がいいという雰囲気がある。まぁそれが先ほども書いたように遊びの範疇であるなら何にも問題は無いのだが、人は段々に欲をかくものだからね、問題もある。
アメリカ資本主義世界の優等生だからね日本は、どうしても「投資はいい事である」という前提がなければ成り立たない社会を作りたいわけだ。でもなぁ、今回の件(大きな証券会社の破綻、アフガニスタン侵攻など)をみてもかの国はあまり信じてはいけないような気がするなぁ。どこも自国が火の車になれば他国のことなど構っちゃいられないよ。
で、いつもの結論になるのだけれど、おたおたしないで覚悟を決めて生きてゆくことだな。地道に今ある生をゆっくり楽しんで、食べれなくなったら静かに生を閉じる。それでOKだ。
はる 2836
昨日の続き
仮にあの10回の場面で、韓国バッテリーが敬遠策を選んでいたら、今回のWBCは違うものになっていただろう。それは日本が勝つとか韓国が逆転したという話ではなく、多分さらりとした日韓の試合をほめる形で済んでいしまったように思う。ある意味盛り上がりが今ひとつ欠けたものになっただろう。
あの場面で韓国バッテリーが敬遠せずに勝負することを選んだことで、今回のWBCの全試合の中で特出すべき目玉というのか、最高に緊張感のある場面が演出されたのだ。
損得ということで考えるなら、韓国にとって敬遠策が一番得策だったわけだ。けれどその選択をすることで、この世界大会という真剣勝負の場がいっきにつまらない、思惑だらけのショーになってしまっていただろう。
多分あの場面はイチローしかありえないシーンだった。彼以外の選手であれば韓国バッテリーも敬遠策を選んだに違いない。世界大会などの大きな舞台を見ていると、時にこの場面でしか登場できないヒーローやヒロインが出てくる。満を持してと表現されるけれど、選ばれし者というのは時と場所をぴったり合わせて出てくる。多分そういうのを天才というのだろうな。
昨日の続き
仮にあの10回の場面で、韓国バッテリーが敬遠策を選んでいたら、今回のWBCは違うものになっていただろう。それは日本が勝つとか韓国が逆転したという話ではなく、多分さらりとした日韓の試合をほめる形で済んでいしまったように思う。ある意味盛り上がりが今ひとつ欠けたものになっただろう。
あの場面で韓国バッテリーが敬遠せずに勝負することを選んだことで、今回のWBCの全試合の中で特出すべき目玉というのか、最高に緊張感のある場面が演出されたのだ。
損得ということで考えるなら、韓国にとって敬遠策が一番得策だったわけだ。けれどその選択をすることで、この世界大会という真剣勝負の場がいっきにつまらない、思惑だらけのショーになってしまっていただろう。
多分あの場面はイチローしかありえないシーンだった。彼以外の選手であれば韓国バッテリーも敬遠策を選んだに違いない。世界大会などの大きな舞台を見ていると、時にこの場面でしか登場できないヒーローやヒロインが出てくる。満を持してと表現されるけれど、選ばれし者というのは時と場所をぴったり合わせて出てくる。多分そういうのを天才というのだろうな。
はる 2835
WBCをテレビ観戦した。日韓の決勝戦だ。最近はサッカー人気に押されて野球人気はやや衰えが見えるし、どちらかといえば日本のプロ野球はアメリカのマイナー球団のような感じさえする。そんなこともあってプロ野球などほとんど観ないので、選手の名前さえ知らないありさまだ。
サッカーはどちらかといえば狩人的な狩猟民族のスポーツだ。チームで追い込んでいって、ここぞと思うところでシュートする。頭で考えていろいろイメージしていると、一手遅れてしまうわけで、とにかく身体能力がほぼ全てのスポーツだ。
それに比べて野球は農耕民族のスポーツだ。どこか武道に似ているところがある。よく管理された自己統制された人格を求められるところがある。まぁこういったイメージは日本野球の作られたイメージなのかもしれないがね。
野球の本場のアメリカやキューバの野球を観ていると、明らかに日本の野球とは違うわけで、彼らの野球はパワーのある個人競技だなと感じる。今回日本がキューバに2連勝したのは、荒い個人のパワーだけで勝負するベースボールが日本的な野球に負けたということだろう。
それぞれの国に独特の野球のかたちが出来る。そうなって初めて野球が世界のスポーツになったわけで、本家のアメリカ野球だけがいつもかつというのであれば、世界のスポーツにはなれない。
アジアの野球といっても韓国の野球のレベルも凄く高いと思う。まぁ同じアジアの人間として似ているだけにやりにくい相手ではある。今回特に思ったのは、最後の場面でイチローとの勝負になった時、日本の野球なら一塁が開いているわけだから敬遠する。負けない野球のそれが定石なんだな。
ところが、韓国のバッテリーは他の走者は関係なく、打者イチローとの勝負を選んだ。例えそれで負けても勝負しないで負けたらくいが残ると考えたのだろう。ここのところがその国民性がよく現れている。
これはバッテリーと打者だけの話ではない。要するに国を代表しているということは、ほとんど大多数の総意であるということだな。意識しているかどうかは分からないけれど、あそこで逃げないで攻めるのをよしとする国民性というのがあるのだろう。同じアジアの野球でさえもその国民性によって微妙に変化する。そんなところが面白いと思った。
余談だけれど、清原はそういった韓国野球の素晴らしさ、国民性を踏まえてよく伝えていた。他の解説者は敬遠せずイチローと勝負するのは馬鹿ですねみたいなことを言っていたけれど、馬鹿はどっちだろう。清原自身は好きなキャラクターではなかったのでよく知らないで、ただの野球馬鹿と思っていたけれど、彼はやっぱり一流の役者だと思った。みなおした。私に見直されても何ほどでもないけどね。
WBCをテレビ観戦した。日韓の決勝戦だ。最近はサッカー人気に押されて野球人気はやや衰えが見えるし、どちらかといえば日本のプロ野球はアメリカのマイナー球団のような感じさえする。そんなこともあってプロ野球などほとんど観ないので、選手の名前さえ知らないありさまだ。
サッカーはどちらかといえば狩人的な狩猟民族のスポーツだ。チームで追い込んでいって、ここぞと思うところでシュートする。頭で考えていろいろイメージしていると、一手遅れてしまうわけで、とにかく身体能力がほぼ全てのスポーツだ。
それに比べて野球は農耕民族のスポーツだ。どこか武道に似ているところがある。よく管理された自己統制された人格を求められるところがある。まぁこういったイメージは日本野球の作られたイメージなのかもしれないがね。
野球の本場のアメリカやキューバの野球を観ていると、明らかに日本の野球とは違うわけで、彼らの野球はパワーのある個人競技だなと感じる。今回日本がキューバに2連勝したのは、荒い個人のパワーだけで勝負するベースボールが日本的な野球に負けたということだろう。
それぞれの国に独特の野球のかたちが出来る。そうなって初めて野球が世界のスポーツになったわけで、本家のアメリカ野球だけがいつもかつというのであれば、世界のスポーツにはなれない。
アジアの野球といっても韓国の野球のレベルも凄く高いと思う。まぁ同じアジアの人間として似ているだけにやりにくい相手ではある。今回特に思ったのは、最後の場面でイチローとの勝負になった時、日本の野球なら一塁が開いているわけだから敬遠する。負けない野球のそれが定石なんだな。
ところが、韓国のバッテリーは他の走者は関係なく、打者イチローとの勝負を選んだ。例えそれで負けても勝負しないで負けたらくいが残ると考えたのだろう。ここのところがその国民性がよく現れている。
これはバッテリーと打者だけの話ではない。要するに国を代表しているということは、ほとんど大多数の総意であるということだな。意識しているかどうかは分からないけれど、あそこで逃げないで攻めるのをよしとする国民性というのがあるのだろう。同じアジアの野球でさえもその国民性によって微妙に変化する。そんなところが面白いと思った。
余談だけれど、清原はそういった韓国野球の素晴らしさ、国民性を踏まえてよく伝えていた。他の解説者は敬遠せずイチローと勝負するのは馬鹿ですねみたいなことを言っていたけれど、馬鹿はどっちだろう。清原自身は好きなキャラクターではなかったのでよく知らないで、ただの野球馬鹿と思っていたけれど、彼はやっぱり一流の役者だと思った。みなおした。私に見直されても何ほどでもないけどね。
はる 2834
カウンターは別にして、訪問者の数を知る方法がある。それによると私のブログを訪問してくれるお客さんはほぼ40~50人で日によってほとんど変動が無い。これが多いのか少ないのか、よく分からないのだけれど、カウントを稼ぐ色んな対策をまったくしていない、無名の作家のブログにしてはそこそこ健闘しているほうかもしれない。
それにしても、ネットデビューはこの年にしては早いほうだと思う。HPを立ち上げたのは1999年の中ごろだ。なぜうろ覚えかといえば、最初は人様に立ち上げてもらったからだな。パソコンさえなかった。その頃のHPというのは実にのんきなもので、皆さんものめずらしくやたらとハデハデなページが多かった。最初の頃のHPは、むろん動かない、更新されない、家族写真みたいなもので、人様には全く面白いものではなかった。
その後、自分でパソコンを買って更新できるようになると、がぜん面白くなって自分の作品集も兼ねた、今のスタイルに落ち着いてきた。2000年過ぎには掲示板に日記をつけはじた。やがて独立した日記「絵描きのぼやき」になる。2005年あたりからブログに参加、現在にいたる。
カウンターは別にして、訪問者の数を知る方法がある。それによると私のブログを訪問してくれるお客さんはほぼ40~50人で日によってほとんど変動が無い。これが多いのか少ないのか、よく分からないのだけれど、カウントを稼ぐ色んな対策をまったくしていない、無名の作家のブログにしてはそこそこ健闘しているほうかもしれない。
それにしても、ネットデビューはこの年にしては早いほうだと思う。HPを立ち上げたのは1999年の中ごろだ。なぜうろ覚えかといえば、最初は人様に立ち上げてもらったからだな。パソコンさえなかった。その頃のHPというのは実にのんきなもので、皆さんものめずらしくやたらとハデハデなページが多かった。最初の頃のHPは、むろん動かない、更新されない、家族写真みたいなもので、人様には全く面白いものではなかった。
その後、自分でパソコンを買って更新できるようになると、がぜん面白くなって自分の作品集も兼ねた、今のスタイルに落ち着いてきた。2000年過ぎには掲示板に日記をつけはじた。やがて独立した日記「絵描きのぼやき」になる。2005年あたりからブログに参加、現在にいたる。
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