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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 2852
 ある雑誌を立ち読みしていたら、西欧の骨董の話が出ていた。今骨董が新しいのかな?

 古いものに興味があったのは子供の頃からだ。当時古いといっても壊れたラジオとか動かなくなったおもちゃや、鉄のガラクタとか木っ端だったり、ブリキの缶を集めていた。まぁそれは何かに転用して遊ぶ材料だったしたのだが、そういった意味では随分と変わった子供だったのかもしれない。

 雑誌を読んでいて気になったのは今をときめく村上某氏が盛んに骨董を集めているということだった。魯山人やデシャンを持ち出して骨董と現代美術に共通する「価値の捏造」について書いていたけれど、彼が骨董屋を見て回るのはそれぞれの店の捏造ぶりを研究するためだそうで、現代の錬金術師・山師の彼に言われてしまえば、骨董も色あせて見えてくる。

 何か違うだろうと思うな。骨董が持っている品みたいなものが彼の作品にはないように思うのだ。まぁひがみも大いに入ってはいるけれどね。
 
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開拓者
 どうしてもやりたいことがあるか?と問われればなにもない。やりたいことが見つかるまで探しつづけるという人がいるけれど、その人は一生見つけることは出来ないだろうな。よく似ているのは「本当の自分」を見つけるというフレーズ。まぁ自分探しと言う言葉になるのだけれど、前にも書いたけれどたまねぎの皮みたいなものだ。剥ぎ取ってゆけば何も残らない。結局今ある自分は影響を受けたさまざまな事や物や人の寄せ集めにすぎない。未熟でも今の私が「私の全て」なのだ。仕方ないそれを受け入れようか。

 二十歳の誕生日にお袋から油絵のセットをプレゼントしてもらった。明日はそれから37年目の誕生日だ。



開墾中・けっこうおもしろい。
  何をしているのかといえば、私の生活はほとんど何もしていないと同じだ。真剣に絵にむかっているのは一日の内何時間も無い。後はうだうだと鼻毛を抜きながらうだうだと考え事をしているようなフリをして、ほぼ一日の仕事が終わる。ほんとうは朝起きたらそのままアトリエに入って昼飯まで一仕事するといいたいのだけど、暇つぶしに時代小説などを読んでいる。これがけっこうはまってしまって抜けられない。

 午後からは畑仕事のために肥料やその他の道具をホームセンターに見に行く。このホームセンターは私にとってワンダーランドで一日いても飽きないほど魅力に満ちている。小さな耕運機が展示してあったので、よだれをたらしながら眺める。クワやその他の道具も購入する必要があるだろう。けれど予算がない。この次にしよう。

 着替えて土方仕事に入る。少しやればすぐさま疲れてしまう。これまた体力と根性が無いのでお茶を飲みながら休み休みやる。なかなか楽しい。私に無いのはやり続けるという根性だ。



 
はる 2849
 隣の家が空家になった話は少し前に書いたかな。80過ぎのジーさんが一人暮らししていたもので、時々親戚の家族が面倒を見ていたようだけれど、昨年の秋頃だっけなぁ、入院したとおもったらそのまま帰ってこなかった。

 私の家はその爺さんのうちと共同で一本の私道を使っている。俗に言う「旗地」というやつで、長い私道の袋小路に小さな地面がくっついている。住んでいる分にはあまり不自由は感じないのだけれど、いざ売却するとなると不動産的には一番価値の無い「腐れ土地」だろう。

 田舎に住んでいるのだから、さぞ広大な土地をもって広いアトリエで絵を描いているというイメージがあるけれど、実際は極々つつましい、日当りの悪い住宅地の一角に住んでいる。なぜこの場所に住むようになったかはまたの機会に譲りましょ。とりあえずは中古の家を買って自己流で改装しまくったわけだ。これが絵を描くより楽しかった。

 で、話は横道にそれてしまったけれど、その隣が空家で草ボーボーだったので、借りて小さな畑にすることにした。理想的には夏野菜の自給自足を目指したい。自分の食べ物を自分で作るというのが究極のスローライフでしょう。まぁあまり頑張らずにコンテナ栽培の延長上ぐらいのつもりでやるつもりだ。

 それはそうと、私ぐらいの年になると週末に帰農する人がおおいなぁ。わざわざ東京からこちらの方に農地を借りて週末に通っている人もいる。土にかえるというのか、自分の口は自分でまかなう、それが一番動物として理にかなっているそんな気もするのだな。

 社会が複雑になって活動期には人は土を離れてパソコンなどの架空の世界に住んでいるだけれど、だんだんそれに疲れてくる。食べることは自分の生命を維持するだけでよかったのが、段々に食うことは生きることと直接つながっていることに気が付いてくる。上手いものを食うということではなくて、何を食うかということはどう生きるかということと同じことなんだな。その最終的なカタチが自分で作ったものを食うということだ。

 



 
はる 2848
 定額給付金なるものが来た。何のためにこんな事をするのだろうか、理解に苦しむなぁ。せっかくある予算ならもっと有効な使い方があるだろうに。お金は使ってしまえばそれでおしまいだ。一時は金回りは良くなるかもしれないけれど、次を生むことはない。本当にこの国の10年、20年先を考えるなら、新しい需要を生む政策にこそ予算を使うべきだ。無策、無能意外何ものでもない。

 バブルの頃お金が余って市町村に一億円配った首相がいた。市町村は使い道に困って金の延べ棒にして村民に触らせた。ところが誰かが次第に磨り減ってくるよといわれたので急きょ取りやめになったとか。馬鹿みたいな本当の話。この国の今の政治家はだれも尊敬されない。やってはいけない、なってはいけない最悪の人間がなっているのではないかなと疑いたくなる。

 もう一つ。30年ほど前に一年だけ正規の学校の先生をしていたことは何回か書いた。その時に共済組合の入会の手続きをしたのだけれど、今回社会保険庁が取りまとめて統一の機関をつくることになったらしい。でその確認の連絡がきたのだけれど、何だかなぁその間の不始末のことを考えると、この官庁にそれだけの能力があるのか疑ってしまうな。ここにきてバタバタと何をやっているのやら、10年も20年も前から分かっていることだろう。

 今回のミサイルの話もあまりにもお粗末で、子供の遊びのようだ。政治の世界はよく分からない。まぁほとんどの国民が私を含めて素人なんだろうけれど、戦後60年やってきて到底いまのシステムでは対応できないのじゃないかな。

 と今日はぼやきまくりでした。

 



 
 かの北の国がミサイルを打ち上げたそうだ。平和ボケしたこの国は右往左往の大騒ぎ、騒いでいる間に日本をまたいでどこかの海に落っこちるだろう。昨日は昨日で間違いました!って二度もやらかして、今更警報出したところで、臨場感はない。あっという間に黄泉の国の亡者だよ。漫画よりマンガみたいな話だな。

 考えてみると、そうやって大騒ぎしてもらうために演出してるわけだから、まんまとしてやったりというわけで、もっと違う対応の仕方があるのじゃないかね。そんなものにひっかかっている輩もなさけないけど、よくわからんけれど、ノータリンといえばどっちもどっち。おなじようなものだ。なさけないねぇ。

 



新しい30号の地塗り
この状態では何を描くか何も決まってはいない。
でも何かイコンのようなものが描ければいいかなとは漠然と考えている。
全く違ったものになることも含めて、楽しみではあるな。

はる 2846
 季節はずれの風邪をひいてしまった。風邪はいつもたいてい喉から侵される。次に気管支になって、せきになって経過がよければそれで終わる。今回はいきなり咳になったので、風邪ではないと思った。熱もさしてあがらなっかったしね。今日は大分良くなったけれど、今度ははなが止まらない。花粉症も入っているかもしれんな。
 
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