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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 午後の一時裏庭に日が通る。ここに来た当事あったコデマリは何時の間にか影をひそめて、反対に私たちが植えた青かえでや花桃や豊後うめなどが勢いを増した。大きな金木犀は二階の屋根より大きくなって隣の樋を詰まらせているようだ。今年は何とか少しは剪定したけれど、いつまでこんなことができるのだろうか。それにしてもこんな裏庭でも、春になるといっせいに芽吹いて、毎年五月の新緑の頃は一番美しい。

 ほとんど手入れもしないので、まるで雑木林のようなありさまだ。これから夏になるとやぶ蚊の温床になる。隣近所のはなつまみだろうか。しかし、私はこの混沌とした雑草も含めた雑木林が好きなんだ。何だかどこにでもあるようなしゃれた洋風の庭とか、盆栽のような松や楓が絵のように取り澄ましたような日本庭園など面白くない。消毒も水撒きも施肥もしないので、自然淘汰されていつのまにか消えてしまう木も有る。下草が枯れてやがては自然の堆肥になってゆく。。ときどき繁茂しすぎると剪定する程度。私はただそうなるように見ているだけ。これって私の絵の描き方と似ている。

 庭木もやっぱりその住人を現している。そのことに気づいている人は少ないだろうな。洋服や靴などには気を使うけれど庭の体裁には気配りしないのはおかしいな。絵を描くのと全く同じことだと思うんだ。絵だけ特別おしゃれな絵を描いても実生活がおしゃれじゃなきゃそれは嘘だろう。色んな顔つきをしているけれど、それはまったくあなた自身であり、私自身でもある。どうでもいいならどうでもいい庭になる、その人の好みや嗜好がそのまま出てくるのです。とても興味深くありませんか?
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F君きみはここにいる。
はる 2883
 実は昨日から東京にいる。今日は国展の最終日で色々もろもろの片付け、そして打ち上げとなる。カタログのスタッフは8人でかかっている。一時のことではあるがそれなりに一致団結してことにあたる。最盛期には何泊か泊り込みでやる、それゆえ何かしらの連帯感、仲間意識というのが芽生えて、まぁいっとき学生時代のような面白さがある。

 いままであまりそんな風にカタログなどを見たことはないのだけれど、実際はこういったスタッフが陰で働いていたわけで、こうやって自分がやってみて初めて分かることも多いな。

 絵描きなどという仕事は、ほとんど自分だけの事だけを考えている自己中な人間で、組織で徒党を組んでやることは不得意な連中なのだが、学生時代や社会生活の中で身に付けておかなくてはならない、徒党を組んでやる楽しさみたいなものを、私などは還暦近くなって初めて知った感じがする。しかし、やっぱり疲れるなぁ・・。何度もやりたくはない。

 



隣の畑の様子
 何と言うことはないものだけれど、自分が植えたものと言うのは気になるものだ。大して世話を焼くわけでもないのだけれど、種をまいたものは発芽して、やがては大きく茎や葉っぱを伸ばしていつのまにかそれらしいカタチになってゆく。

 お袋は実家が農家だった割にはお百姓仕事を好まなかった。当時の農家の仕事の過酷さを知っているから、今更お百姓の真似事などしたくなかったのかもしれない。それでも裏庭に小さな畑を作っていたこともあった。きゅうりやトマトイチゴなど季節の野菜をその枝から直接もいで食った覚えがある。時々小さなイチゴを見つけて敷き藁代わりに草を敷いたことなどを思い出す。

 あれからほとんど本格的な畑などしたことはないのだけれど、そんな古い記憶が土を触っているとよみがえってくる。自分にもそんな一面があるんだと今ごろ気が付いた。新しい発見かもしれないな。



 
はる 2879
(主治医の話)
  健康な人でも血糖値が150を超えると自然にオーバーフローで糖が出てきてしまう。普通はそうならないようにインシュリンが出て正常範囲を保つようにコントロールするのだが、その制御が利かなくなって、いつも血糖値が150を超えてしまうのが糖尿病という厄介な病気である。

 食べたものは一度胃でゆっくり消化される。胃は消化だけではなく、腸に行く前のストックの効用もあるわけで、一度に吸収がおこらないようにコントロールされている。特に糖は一番最初に吸収されてまぁ疲れた身体を回復させたりするわけだ。ところが、胃を摘出した場合、食べた物が直接腸に入って吸収される。とどうなるかといえば、血糖値がいきなり150を超えてしまう。で結果的に糖が出てしまうということになる。

 病気ではないのだが、無自覚にこれを長く続けているとインシュリンのコントロールが出来なくなって結果的には擬似的な糖尿病になるらしい。胃を摘出した人が注意するべき事柄の一つである。

 無計画に、無自覚に、無制限に糖分を摂取することを控えなければならないようだ。まぁいずれにしろ気をつけた方がいい年齢では有る。

 


 
 これは、コラージュをしているところです。インド綿がほとんでですが、自然素材のプリント地を適当に画面に貼り付けてゆきます。まぁいいかげんといえばいいかげんなんです。何が出てくるのか、何描くのかも決めていない。この後水性の絵の具をたらし込んでほとんどプリント模様は見えなくなってしむのですが、どこかでちらちらと見えるのが何かしらのイメージを呼ぶわけです。

 アクリルのエマルジョン樹脂というのはかなり強固な合成樹脂で、木工用のボンドに近い接着力をもつ。こうやって木材と布を交互に張り合わせてゆくと、人が作った造形物としては鉄などの金属などより強固なものが出来るのではないかと思っている。例えば天然の樹脂といえば太古から漆の樹脂とか膠なども天然の樹脂の範疇にはいるだろう。こういった漆器などは長い間土の中に入っていてもほぼそのままの状態で出土したりする。鉄などはさびてぼろぼろになるのに比べてはるかに強固だということになる。

 こうやって布や土や絵の具を幾度もなく張り合わせて何かしらの創造物を作ってゆくと、確かにここにある変わらない手触り、肌触りみたいなものが、何となく心地いい。そういった中から私が描くのではない、見つけた形がイメージとして具体的になってくればいいのかなと思っている。

 私の絵は描かれたものではない。私の絵は絵ではない。



 
はる 2877
 銀座のギャラリーを探さなくてはならない。これがなかなか問題だとは思っている。若い頃、そう30代で銀座で個展をやろうと決めた頃は、体力もあって自分なりに履歴や作品集を持って片っ端からたずねて歩いたおぼえがある。今はもうそんな体力は無い。

 むろんその頃は企画になる(画廊のお眼鏡にかなう)とは考えてはいなかったので、お金さえ出せばどこだって出来た。ただこれも問題が多い。銀座には貸し画廊はやたらと多いけれど、安かろう悪かろうではないけれど、無名の作家が名も無い貸し画廊でやっても誰も来てはくれないのだな。

 反対にこちら側が画廊の履歴というのか、これまでにやった作家のメンバーを見て、その中で全部は企画ではないだろうけれど、将来的にその画廊の企画作家になりえるだろうか?ということを考えてゆかねばならない。まぁこれはあくまでも作家として食べてゆこうかと考えた場合だけれどね。

 作家は自分の作品をとことん大事にする。まぁ当然だけれど、それが商品として流通するかと言えばほとんどの場合、値があってないようなものなんだな。ここのところがまことに微妙だ。客観的な値段などないからね。画廊というのはそういったある種の幻を売っているところなんだな。だから普通の商売とはちょっと違う。

 オーナーは自分がこれだと思った作家に眼をつける。そして企画して何年かかけて世の中に認めさせてゆく。まぁそれほど大げさなものでなくても、その作家付のコレクターを作ってゆけばいいわけだ。知ってる人は知っているというので充分だ。そういったものだろう、絵画というものは。どこかの雑誌ではないけれどカタログを作って販売するものではない。

 画廊も商売でやっているわけだから、お互いに持ちつ持たれつの信頼関係が築けるかどうか、はっきり言えば画廊に儲けさせなければ相手も本気にはならないのだな。そこのところを勘違いすると長くは付き合えない。

 長く付き合える画廊を探さなくては。

 



 
はる 2876
 バッハは宇宙の音楽だな。胎児が聞く母親の心音に近いのかもしれないな。今日はFMでバッハの特集をやっていたけれど、ジャズ風にアレンジしてもバッハの真髄は消えない。五百年の時間を一気に旅できる。いい時間を過ごした。

 



 忌野清志郎が亡くなった。個人的にはそれほど思い入れもないのだけれど、歌唄いとしてはいつも大衆の側にいて、その姿勢には共感するところがあった。芸能というのは所詮ひかれ者の怨み節のようなところがあってね。体制側からのお墨付きや奨励を受けたものは面白くも可笑しくも無い。まして保護されたものなどいつかは消えてしまう運命にある。

 50代の後半ということで自分と同じ世代であり、彼らが出てきた頃も良く知っているので何となく親近感がある。高田渡などもそうだけど、一時代を築いた彼らもそろそろあちらの世界に旅立つ奴も出てきたな。

 
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