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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 2862
 東京2日目
 今日も美術館に缶詰でした。大きな作品の撮影につきあう。疲れました。

 後、光風会という日展系の団体の展覧会を観る。私が属している団体の何でも有りのハチャメチャの会風に比べて良くも悪くもオーソドックス静かな感じを受けた。どちらがいいというコメントは意味がない。そういう会風なのだ。自分に合った会に出品すればいい。出品する以上、いい評価を得て受賞したり会の構成員になることを目指すべきだ。

 私は何年か光風会に出品していたことがあるので、わりと馴染のある作家も多い。私の大学の恩師がこの会の重鎮だ。前にも書いたけれど、日本のこういった団体はもう既に百年以上の歴史があって、日展を頂点に大きなピラミッドを築いている。絵をかかない人にっとってほとんど違いはわからないだろうけれど、日展系と在野というのは大きな違いがあるのだ。

 そうだなぁ、わかりやすく言えば、自民党と共産党ぐらいの違いがある。もちろん日展が自民党だよ。だから絵描きというより政治的な成功を収めたいとおもうなら、光風会から日展に出品して行くのが一応の筋だ。で将来芸術院の会員になる。いや批判しているのではなく、それも一つの生き方だと思う。

 私は嫌だと思ったからやめた。それだけのことだ。

 



新国立美術館のロビー
 東京ライフ1日目
 会員、準会員の馬鹿でかい作品の撮影、疲れた。明日は、時間が取れれば春陽会を見にゆく予定。



 
はる 2860
 午後一番に絵を取りに来る。搬入を頼んでいる運送やさんとはもう長い付き合いになる。公募展にしても個展にしても搬入出は最初は自分で車を運転してやっていた。その方が色々自由だし何より予算が少なくてすむ。いつの頃からか全ての運搬を彼にお願いするようになった。97年の神戸での最初のは大きな作品もあったのでこれもお願いした。それからだろうか。

 彼の軽トラックは少し変わっている。我々が運搬を頼むようになって絵画運送に特化した荷台になっている。普通の軽トラックの規格だと我々のような大きな絵を縦に並べては積み込めない。斜めにすれば充分入るのだけれど、そうすると数乗せる事ができない。で、彼は特注した。ここだけの話なんだけれど、車検の時は普段の状態に、絵を運ぶ時はスルスルと拡大するようになっているのだ。他言は無用だ。

 さてさて、明日から東京です。どんな絵にめぐり会うのか楽しみではある。
 



 
はる 2859
 明日絵を取りに来る。今年も国展が始まる。それにつれて私も約一週間の泊り込みになる。今年と来年はカタログの仕事の役回りなので仕方ないなぁ。

 絵を町の公民館で教え始めて5年ほど経ったかな。最初は5人ほどではじめたけれど、最近は少し増えて10人前後になった。生徒といっても全員私より年上だから人生の先輩ではあるわけで、そこらあたりは戸惑うところがあったけれど、まぁ最近は偉そうに人生訓をしゃべったりして冷や汗をかいている。まぁ物事を教えるというのは鉄面皮にならなければ無理なところもある。

 今年中央の団体展に初入選した方がいる。絵を描くことは人と競い合うことではないので、入選や受賞は目的ではないのだけれど、まぁ人のやることだからそういった目の前の餌につられる事もまた楽しからずやということで大いに奨励している。

 団体展の存在意義が最近はやや薄くなって、少しお金を出せば銀座のど真ん中で個展やグループ展を開催できる機会があるわけで、団体展は無用の長物のように言われるけれど、まぁ趣味で本格的に絵を始めた方など底辺を広げると言う意味では充分に意義あることのように思うな。それに「同好の志」の集まりというのはなかなか楽しいものだ。プロを目指すというのであれば団体展だけではどうにもならないけれど、充分に存在意義はあるように思うな。



 
はる 2857
 昨日から新学期が始まって私の授業も滞りながら始まった。新学期は何やかやと行事が多くて授業がまともに進まない。まぁ毎年のことなので心得てはいるのだけれど、今日も午前中の授業だけで午後は特別なカリキュラムでカットになってしまった。私は定時制の授業も持っているので夕方までまるっきり空いてしまった。

 やることが無いので寝るしかない。やたらと長い休憩だな。これで時給がつけば文句はないのだが、学校の都合で授業がつぶれてもカウントしてくれない。わざわざここを空けてあるのだから半分でもカウントしてくれるとありがたいのだが、今の派遣社員やパートのおば様と変わらない。底辺の労働者は使い捨てと同じ。学校の講師でも実態は変わらんな。

 もう30年近くこんなことをやっている。非常勤という仕事はそういった仕事なんだ。正規の構成員ではない。身分的には何の保証も無い。何か他に自分の仕事を持ちながら、臨時に片手間にやるならそこそこの仕事ではあるけれど、命をかけてやる仕事ではない。とはいいながら人相手だから、そこそこ一生懸命やってしまうんだな。生徒はシビアに見てるからね。そこが難しいところだ。

 学校というのか管理職というのか上にたつひとは案外そういったことを踏まえて人を使っているのじゃないかと勘ぐる。というのは、教育というのは手を抜けないところがあって、手を抜くととたんに生徒は言うことをきかなくなる。生徒は触覚的な感覚で教師を見ている、すきあらば楽しようと待ち構えている。それでもいいと全く無責任でいられるならそれも一つのやり方だとおもうのだが、長くは続かないと思うなぁ。

 だから上にたつひとはとてもずるい。どうやっても手加減できないということを知りながら、基本的な労働条件をどんどん切り詰めて来る。切って切ってきりつめられても、それでも生徒の前に立った場合一生懸命やってしまうことを彼らは承知しているのだ。それで全く何も保証しないというのは上手いよな。自分のふところは全く痛まない。嫌なら代わりはいくらでもいるよ居直っている。

 まぁもう私はいいけどな。でも次にやる人はそこらあたりの労働環境をしっかり改善した方がいいように思う。他人事だけど、このままだともっと悪くなるだろう。教育者という人間的にも一番保護されなければならない職業でありながら、非常勤講師という職業は基本的な労働条件にも合致しない劣悪な労働環境で働いている。やろうと思っている人は、やめたほうがいい。
 



はる 2854
 元来が怠け者で根性なしでグータラな私なので、百姓仕事など今までやったことがない。今までの経験では農業高校に非常勤で行っていたものだから、その当時トマトとナスの苗をもらって挑戦したことがある。収穫したおぼえが無いので実は出来なかったのかもしれない。

 放っておいても出来る梅や柿をもいで梅酒にしたり梅干にしたことはあるけれど、バジルやルッコラのようなハーブ系は簡単に育つけれど、実のなる野菜や果物は上手くいった経験が無い。難しいように思うな。出来れば無農薬で育てたいので尚むつかしいだろう。

 小さいながら今回は普通の庭を畑に開墾することからはじめたので畑そのものに愛着がある。小さな石や草の根、今まで植えていた木の根っこなど相当ザクザクと出てきた。未だに出てくるので取りきることは不可能かな。

 畑の大きさは5mx5mほど、大体地表から20CMくらいスコップで掘り込んで土をやわらかくした。それから全体に石灰を撒いて土壌をアルカリ性する。ついでに有機肥料と堆肥を土に混ぜ込んだ。これだけで充分疲れてしまった。夕方からの作業だけれど3日ほどかかった。

 で、今日早速色々な野菜の苗を買ってきて植え込んだ。一見それ風には見えるけれどここからが本来の仕事だろうな。どうなることやら、時々報告しよう。

 少し話題をかえて

 人としての最終的な思い描いているカタチというものがあるだろう。

 例えば政治的な人間、どこかで自分の力を覇権という形で使いたいとか理想というカタチで実現したいと思っている人間。

 例えば言葉は思いつかないけれど経済的な成功を一番に考える、そういった生き方を是とする人間。

 例えば学問に一生を捧げるとか、特定の宗教に帰依するとか、修行するとか、実社会での成功より精神的な満足を是とする生き方、仮に哲学的な人間としよう。

 まぁ私などは中途半端だけれど、ぎりぎり最後の部類に入るわな。で、具体的にどんな生活が考えられるかとつらつらと考えると、「晴耕雨読」的な生活が最終的な理想のカタチかなと思う。こころのどこかに、漂白か老荘の「小国寡民」があるな。でとことん最後、仕上げは旅にでるというわけだ。

 でまぁそこらあたりに近づきつつあるのかな。 まだまだ紆余曲折あるだろうけどさ・・。

 



 
 コラムの投稿サイトにもう一年ほど投稿している。といっても新しいコラムではなく、ここに書いたコラムの一週間分を適当にセレクトして投稿するわけだ。それからまた一か月分をまとめて自分のメルマガ「あそびをせんと」で月イチで配信している。まぁ一粒で三回相撲をとっているようなものだな。

 どれもさして多くの人が読んでいるとは思わないのだけれど、とにかく毎日何かコメントを書くという習慣はできたように思う。何と言うことは無いコメントも多く、自分でもほとんど読み返すことはない。まぁ自分の足跡のようなもので、鑑賞するものでもない。毎日刻み付けるメモリーだ。

 しかし、これが以外に役立っていることもある。ものを考えるということは書かなければ堂々巡りであることが多く、ほとんどの場合散漫なまま終わる。こうやって書きながら考えるとある程度まとまって来るように思うな。静かに自分の心の声に「みみをすます」こんな時間がわりと好きだ。
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