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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 「1Q84」で面白いと思ったところ。主人公の一人の女性が、まぁある種の逃亡者なんだけれど、それが段々と一人の男に追い詰められてゆく。全く世の中と係わり合いを持たなければ絶対に見つかることはないのだけれど、それが段々に追跡者の影が見えてくるところ。

 で、どこからそれが崩れてゆくかというと、結局は自分の内部にある一番触れて欲しくないところだったり、弱点だったりするところからだというのだな。隠せばかくすほどそこからぼろが見えてくるといったことだろうか。

 こんなところにもなかなか鋭い考察があるなと思う。

 例えばある人の逆鱗に触れてかんかんに怒り出したとか、または反対に全く気振りにも見せないとか、というところは反対にその人が一番気にしているところであるし、弱点でもあるわけだな。全くどこもかしこも満遍なくこだわりがない、気にしないなどというひとはある意味で、馬鹿かのーたりんか凄い人格者だろうな。

 人はどんなに完璧に装ったとしても、その装いが本人の自覚の下で行われている以上どこかでぼろがでるのだな。何が怖いのかといえば、結局自分の中にあるお化けが怖いわけで、空想できない人間にはお化けは存在しないということだ。

 これは結局何度も繰り返して出てくるテーマで、自分を表現しようとしている行為にのなかには装った自分がいるだけで、それはまだ本物ではない。それ風ではあるけれどまだ本当の自分には出会っていない。更にやっているうちに探している自分の姿そのものが見えてきて、びっくり仰天するわけだ。有為が無為になってはじめて表現と言えるのではないかな。これもマトリシカ人形だな・・。

 よく分からん文章だけど、そのまま載せる。



 
 まだまだ今日も暑かったです。明日から授業が始まります。なんとなく憂鬱・・・。



 
 一番最初のサントリーホールのコンサートがヨーヨーマだった。天井桟敷の一番上の座席で彼の姿は豆粒ぐらいにしか見えなかった。けれど何だか凄くうれしかったのを覚えている。最近は忙しくなったと言うこともあるけれど、コンサートにわざわざ東京までというとやや億劫で、もう昔のように最終便のバスに乗ってというようなことは出来ないなぁ・・。

 東京はやっぱりそういった意味でも色々と刺激的な街だな。年取ったら都会のマンション暮らしというのも、経済的に悠々自適が許されるなら考えてもいい。まぁほとんど私には縁のないはなし。

 京都の町屋に住みたいという願望はまだ消えてはいない。あと海の見えるところに住みたいというのもある。まぁこうやって夢見ているだけで終わってしまうのかもしれませんね。全ての場所や人間関係を断ち切って新しく構築するのはなかなかくたびれることでしょう。

 


 
 

 
 チェロの練習曲をネットで探していたら、ピアソラのリベルタンゴにぶつかった。もう随分前になるのだけれど、チェロ弾きのヨーヨーマがこのリベルタンゴを引っさげて世界中を演奏旅行していた時があった。たまたまチケットが手に入ったので、わざわざ東京のサントリーホールにこのピアソラの名曲を聴にいった。普通のクラッシクのコンサートと違ってジャズのような自由な雰囲気があって面白かった。当時はピアソラの名前さえ知らなかった。

 いまでこそ、このリベルタンゴはテレビのテーマ曲に使われたりして有名になってしまったけれど、当時はとても不思議なそれで感動的で魅力に富んだ音楽だった。バンドネオンの響きが哀愁があってとてもいい。今日久しぶりに聴いたら、思わず泣けてきた。

 ボサノバなんかもそうだけれど、ラテン系の音楽はどこかアフリカのリズムが残っていて、人の心の奥底から共鳴する感動がある。



 
 夕立。一瞬のうちに周りは水の底。でもまぁそのために夜はすごしやすくなった。虫の音のシンフォニーが今日は凄いだろう。季節は確実に秋になっている。



 
 携帯でこんな写真が撮れる。かなり拡大しても画面が荒れないから、画素数が大きいのでしょう。シャメが投稿できるようになってほとんど毎日写真を一点載せている。何もない時はアトリエの写真を載せる事にしているが、どこかに行けばその時の臨場感のある写真が撮れたらいいなぁなどとにわかカメラマンは思うのである。



 
 チェロを始めて何年くらいたったでしょうかね。無謀にもバッハの無伴奏の楽譜を買ってきて自分流に弾き始めたのが今から20年前だ。無論独学でほとんど無手勝流で弾いていた時期がほとんどなので、少しまじめに練習したり飽きて放っておいた時期もあるから単純に年月をいっても仕方ない。

 独学だと嫌なことは全くやらないので、気ままでいいけれど上達は望めない。何年やってもいっこうに上手くならなければ自然にやめてしまうということになる。何か楽器はやりたいと言う気持ちは随分と昔から持っていて、クラッシックギターをそれも独学でこそこそとやってみたり、リコーダーをやったり、ハーモニカをやったり、そうそうヴァイオリンもやったことがあったな。どれもこれも一時のことで長続きはしなかった。

 誰かにレッスンを見てもらうことの大儀さは分かっていたけれど、兎に角続けるためには否が応でも人につく必要があると考えた。一ヶ月に一度しかレッスンには通わないので、ほとんど独学と変らないのだけれど、決定的に違うところは、レッスンの一週間前ぐらいは重点的に練習するというところだな。これでは上手くはならないのだけれど、長い人生の趣味として楽しんでやるにはちょうどいいのかもしれん。

 絵もそうだけれど、自分でやるのが一番面白い。人が演奏しているのもそれはそれで楽しいのだけれど、たかが「チョウチョチョウチョ」でも自分で弾けた時はどんな名演より感動するのだな。楽器一つ習うことで見えてくる、気付かされることってけっこうある。第一にチェロならチェロの指の動かし方から弓の運び方ビブラートのかけ方などなど、今まで気にもかけなかったことが興味の対象として見えてくる。これって大きく言えば人生の楽しみ方の奥義ではないだろうか。

 この夏はチェロの練習をよくやった。昼間とてもアトリエで仕事できる状態ではないかったので、本を読んで昼寝するか、二階に上がってクーラーをつけてチェロの練習をしていた。イメージはかっこいいけれど、そんなにいいものではないのであしからず。継続は力なり、ゆめゆめ忘れないように・・。



 
 いつものブログを読んでいたら「余命半年といわれても今の生活をしていますか」という風なことが書かれていた。皆さんはどうなんでしょう。

 この話を聞いたときに思い出したのが、前にも書いたけれど高校三年生の時のS君の話、皆でワイワイと半年しか生きられないとどうする?などとたわいもない話をしていた。多分受験勉強に嫌気が差してそんなくだらない話しでごまかしていたのだろうけれど、おちゃらけて銀行強盗してお金をたんまりと懐にしてしたいことをやる・・何もしないで寝て暮らす・・などなど大したことは出てこなかった。

 秀才のs君はまじめな顔して「私はどうあっても今の受験勉強していると思います」とこたえた。みんなはその答えの正当性にがくぜんとして自分を恥じたね。そうなんだな、将来がどうであれ今やれることを淡々とやる。それがすべてなんだ。



 
 昨日は久しぶりのクロッキーだった。二ヶ月個展とぶつかったりして参加できなかった。最初に絵を描く仲間と申し合わせてクロッキーの会を立ち上げた。こんな田舎だと地元のモデルというのが難しい。すぐに身元がバレてよからぬうわさになってしまうだろう。

 幸い東京が近いこともあって交通費込みでお願いすると、けっこうそういった需要もあるらしくて、モデルさんたちにとっても出張の手当てがちょっとついて、それに小旅行の気分も味わえて人気があるらしい。今まで断られたことはない。もう15年ぐらい続いているのではないだろうか。純粋に営利ではないこういった研究会は珍しいのではないだろうかね。

 設立会員は私とあと一人になってしまったが、二人とも本画のほうは全く違う絵を描いているけれど、お互い基本的に描くことが好きなんだと思う。なんだろうなぁ、結局少しでも上手くなりたいと気持ちがあるから続いているのではないだろうか。これでいいやと思えないからやり続けるのでしょうね。

 クロッキーの面白さは線だと思うな。慣れないとどうしてもずるずると同じような緊張感のない線を引いてしまう。一本の線にはいつも言うのだけれど、この線でなければならない、ここでなければならない場所というのがある。まぁ描いている時にはほとんど何も考えていないのだけれど、醍醐味は一発で決まった時だな。これがなかなか気持ちがいいものだ。

 日本人は欧米人に比べて線の意識が高いと思う。それは今なら漫画とかアニメとかが世界規模で認められていることで証明される。昔は浮世絵などの版画だったけれどね。まぁそれの延長上にあるとは思うのだけれどね。

 それと少し話は違うのだけれど面白いことを聞いた。どこだったか忘れたのだけれど。日本語の表示が漢字交じりの表意文字だから絵と文字が同じ脳の分野で認識されるから、欧米人の表音文字と違って左右の分野が混乱せずにスムースに物語と溶け込むというようなことを言っていた。こじ付けかも知れないがなかなか説得力がある。今は3Dが主流になりつつあるけれど、我々日本人には目新しさはあるけれど、特に必要ないのじゃないかなどと思うな。

 線と立体の話はまた続きを書こう。
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