画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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小学校の頃、教科で何が好きか?ときかれたら、理科と答えた。算数はそれほど好きでも得意でもなかったけれど、一応理数系ということで自分ではそこそこだと思っていた。理科が好きだったのは天体の観測とか自然の不思議を解き明かしてくれるところが気に入っていたように思う。後実験とか観察とか実際に自分の手や目や耳を使って何かするというのが好きだったのだろう。
図画工作や家庭科、音楽はもちろん何よりも好きだった。小学校でもこの教科は専門の先生が教えていた。だからよけいに特別な感じがして好きだったように思う。今はどうなのか知らないけれど一年に一度は全校写生大会があり、遠足みたいに弁当を持ってどこか近場に出かけた。みんなは画材が入る画板を持っていたけれど、私の家にはそんなものがなくて画用紙をくるくる巻いて筒にして持っていった覚えがある。
今でいう付属教科の方が本教科より成績がよく、親兄弟には頭が上がらなかった。でもまぁ五人も兄弟がいればそういった芸事が好きなガキが一人ぐらいいるものだ。学校生活では主要5教科だけが大きく評価されるけれど、実際の生活の中ではどちらかと言えば付属教科の方が役に立つし、楽しく生きると言うことにおいて大事なことが含まれているように思う。
我が家の家訓は「質実剛健」でほとんど芸事には理解がなかった。だからそういった嗜好は極力隠していたように思う。今だから思うのだけれど、もし家が芸事に理解があって絵を描くことなどを勧められたりしたら、反対にやらなかったように思う。進学する時の選択としても、美大や芸大ということは全くなかった、というのか考えもできなかった。
20代前半の葛藤は、そういった子供の頃から培われてきた生活習慣とか嗜好、何を是として否とするかという自分の中にある体制と自我との戦いだったのかなと思う。全ての人がそうだと思うのだけれど、普通にクリアできる人もいれば、そこのところが上手くクリアできないひとがいるように思うな。これは自分の内部の戦いなのでなかなか人には理解してもらえないだろう。
30になった時に学校の正規の教師を辞めた。この時にやっと自分をはっきり獲得した気がした。世間的には定職を持たないフーテンになってしまったけれど、心の中はすがすがしくうきうきとしていた。今でもその気持ちは変わらない。不安定な生活だけれど生きることは愉しい。
けっして自慢ではなく、私と同じような志向を持って苦しんでいる人には、こんな生き方もあるのだよと伝えたいと思うな。
図画工作や家庭科、音楽はもちろん何よりも好きだった。小学校でもこの教科は専門の先生が教えていた。だからよけいに特別な感じがして好きだったように思う。今はどうなのか知らないけれど一年に一度は全校写生大会があり、遠足みたいに弁当を持ってどこか近場に出かけた。みんなは画材が入る画板を持っていたけれど、私の家にはそんなものがなくて画用紙をくるくる巻いて筒にして持っていった覚えがある。
今でいう付属教科の方が本教科より成績がよく、親兄弟には頭が上がらなかった。でもまぁ五人も兄弟がいればそういった芸事が好きなガキが一人ぐらいいるものだ。学校生活では主要5教科だけが大きく評価されるけれど、実際の生活の中ではどちらかと言えば付属教科の方が役に立つし、楽しく生きると言うことにおいて大事なことが含まれているように思う。
我が家の家訓は「質実剛健」でほとんど芸事には理解がなかった。だからそういった嗜好は極力隠していたように思う。今だから思うのだけれど、もし家が芸事に理解があって絵を描くことなどを勧められたりしたら、反対にやらなかったように思う。進学する時の選択としても、美大や芸大ということは全くなかった、というのか考えもできなかった。
20代前半の葛藤は、そういった子供の頃から培われてきた生活習慣とか嗜好、何を是として否とするかという自分の中にある体制と自我との戦いだったのかなと思う。全ての人がそうだと思うのだけれど、普通にクリアできる人もいれば、そこのところが上手くクリアできないひとがいるように思うな。これは自分の内部の戦いなのでなかなか人には理解してもらえないだろう。
30になった時に学校の正規の教師を辞めた。この時にやっと自分をはっきり獲得した気がした。世間的には定職を持たないフーテンになってしまったけれど、心の中はすがすがしくうきうきとしていた。今でもその気持ちは変わらない。不安定な生活だけれど生きることは愉しい。
けっして自慢ではなく、私と同じような志向を持って苦しんでいる人には、こんな生き方もあるのだよと伝えたいと思うな。
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今googleで『絵描きになる方法」と打ち込んで検索すると何と260万件の情報の中でトップで私の2010/3/24の記事が表示される。少し前から検索項目で『絵描きになる」で私のブログに来る人が多いなと思っていたのだが、そういう理由だったようだ。無論私は何の細工もしていないので、そういった意味では凄く純粋に意味のあることのように思うなぁ・・。例えばどこかの教室の宣伝になるとか、それでどこかに利益があるというものではないので、自慢してもいいかもしれない。
インターネットが世の中に出てきた頃、新聞や雑誌と違ってどうやってこれが商売に結びつくか、色々とやってみたようだ。まぁ一番ネットらしい商売で成功したのがアマゾンなどの検索と流通をうまく結びつけた商売だろう。これは革命的にあたった。今まで探すことが容易ではなかった貴重本や品薄ものを簡単に見つけることが出来るからね。
次にオークション商売かな。フリーマーケット的な不用品を凄く安い値段で手にすることができる。後はカタログ販売のような今までの延長上にある販売方法かな。しかし、これはなかなか見つけてもらうことが大変で、楽天とかヤフーのバーチャル商店に参加するしかない。個人商店ではなかなか見つけてはくれない。
SEO対策というのが一時はやった。検索エンジンでトップ10くらいに名前が挙がるように小細工するわけだ。どういうシステムでそんなことが出来るのかしらないけれど、今でもランキングの王道はそういったことでなりたっているのではないかな。
いずれにしても、最初から私はネットで商売するつもりはなかった。例外的に画集とかカタログ、版画みたいなものはこれからもネット販売することはあるけれど、オリジナル作品そのものはネット販売はしない。基本的には個展会場に来てもらって実際に作品と対峙してもらいたい。
このHPは作家の日常生活を晒してどうやって作品が生まれるのか、どんな生き方をしている輩なのかを見てもらって、作品理解の手助けになればと思っている。まぁ、これがいいのか、悪いのかよく分かりませんがね。
インターネットが世の中に出てきた頃、新聞や雑誌と違ってどうやってこれが商売に結びつくか、色々とやってみたようだ。まぁ一番ネットらしい商売で成功したのがアマゾンなどの検索と流通をうまく結びつけた商売だろう。これは革命的にあたった。今まで探すことが容易ではなかった貴重本や品薄ものを簡単に見つけることが出来るからね。
次にオークション商売かな。フリーマーケット的な不用品を凄く安い値段で手にすることができる。後はカタログ販売のような今までの延長上にある販売方法かな。しかし、これはなかなか見つけてもらうことが大変で、楽天とかヤフーのバーチャル商店に参加するしかない。個人商店ではなかなか見つけてはくれない。
SEO対策というのが一時はやった。検索エンジンでトップ10くらいに名前が挙がるように小細工するわけだ。どういうシステムでそんなことが出来るのかしらないけれど、今でもランキングの王道はそういったことでなりたっているのではないかな。
いずれにしても、最初から私はネットで商売するつもりはなかった。例外的に画集とかカタログ、版画みたいなものはこれからもネット販売することはあるけれど、オリジナル作品そのものはネット販売はしない。基本的には個展会場に来てもらって実際に作品と対峙してもらいたい。
このHPは作家の日常生活を晒してどうやって作品が生まれるのか、どんな生き方をしている輩なのかを見てもらって、作品理解の手助けになればと思っている。まぁ、これがいいのか、悪いのかよく分かりませんがね。
足の部分がなければ私の作品のような写真ですが、自宅の屋根の部分です。いい色に退色して適当に錆びも浮いてマチエールも少しついて来ました。が、屋根としてはそういうこといっさいがマイナス要素でありまして、錆びはさび落としで削ってさび止めしなければなりません。屋根全体となると小さい家でもけっこうな重労働でして、今日は日中は日差しがきつくて汗だくになって、もうへろへろです。前回屋根のペンキを塗ったのはいつだったろうか?記憶にないのはけっこう前のことだということでしょう。今回はまだペンキ塗りまではやりませんが、近いうちにやらなければならないでしょうな。
家も古くなってくると色々とメンテナンスが必要になってくる。ボイラーなどは自分では交換できませんが、それでも一応ふたを開けて分解掃除をするつもりだった。でもまぁこれは素人が手におえる代物ではないことが開けてみて分かった。屋根の修理などもそうですが、樋などもよく詰まったり壊れたりする。まぁ人を頼めば簡単なことなんだけれど、出来るだけ出来ることは自分でやることにしている。
手間ひまをかけるか、お金をかけるかという選択なんだけれど、私は前者を選んだ。普通に仕事しているとそんなふうには暮らせない。どちらでもいいと思うのだけれど、ある時期にはっきりと意識して選択する必要があるでしょうね。細かいことだけれど、日々の生活というのは手間ひまがかかるということだな。まぁそういった雑用も含めて日常生活を楽しめるかどうかでしょうね。自由業とはいうけれど、好きなことをだけをやっているわけではない。
家も古くなってくると色々とメンテナンスが必要になってくる。ボイラーなどは自分では交換できませんが、それでも一応ふたを開けて分解掃除をするつもりだった。でもまぁこれは素人が手におえる代物ではないことが開けてみて分かった。屋根の修理などもそうですが、樋などもよく詰まったり壊れたりする。まぁ人を頼めば簡単なことなんだけれど、出来るだけ出来ることは自分でやることにしている。
手間ひまをかけるか、お金をかけるかという選択なんだけれど、私は前者を選んだ。普通に仕事しているとそんなふうには暮らせない。どちらでもいいと思うのだけれど、ある時期にはっきりと意識して選択する必要があるでしょうね。細かいことだけれど、日々の生活というのは手間ひまがかかるということだな。まぁそういった雑用も含めて日常生活を楽しめるかどうかでしょうね。自由業とはいうけれど、好きなことをだけをやっているわけではない。
松本へいったのは、決して遊びではありません。車の運転は得意ではありません。最近どうも三半規管の耳石が不安定のようで長いこと車の運転などをすると、少し酔ったような感じになる。これも加齢によるものかどうかわかりませんがね。
下のロベール・クートラスの画像を追加しました。いや、私は全く知りませんでしたが、それなりに知る人ぞ知るのマイナーでも有名な作家だったようですね。その作家の姿勢というのか生き方がおもしろい。古い昔のタロットカードのようでありながら、どこか素朴な護符というのかお守りとか小さなイコンのようで、そんなところがまたいいなぁ。それにしっかり何々教といった宗教臭さや、説教じみたところもなく、純粋に自分だけのために描いたものという感じがする。
大きな絵でなくても、小さく手のひらにのるような作品でも充分魅力がある。是非本物を見てみた。
下のロベール・クートラスの画像を追加しました。いや、私は全く知りませんでしたが、それなりに知る人ぞ知るのマイナーでも有名な作家だったようですね。その作家の姿勢というのか生き方がおもしろい。古い昔のタロットカードのようでありながら、どこか素朴な護符というのかお守りとか小さなイコンのようで、そんなところがまたいいなぁ。それにしっかり何々教といった宗教臭さや、説教じみたところもなく、純粋に自分だけのために描いたものという感じがする。
大きな絵でなくても、小さく手のひらにのるような作品でも充分魅力がある。是非本物を見てみた。
何とか解析でみると、中国の方が時々このHPを訪れてくれているようだ。まぁとても広い国だから我々のような狭い島国に生きている国民感情はなかなか理解できないだろうなと推測する。
良くも悪くも我々の気持ちの中に国境=海岸線というイメージがあって、おおいなるものも含めて優れたものは全て海の向こうからやってきた。古い時代は中国のとんでもない大きな文物に尊敬して憧れて真似をしてどうやら言葉さえも器用に真似て作ってしまった。まぁ足元にも及ばない大いなる大国であったわけだ。
文明開化以降我々の感覚がどちらかと言えば西欧化してしまったからかもしれないが、どうも最近の彼の国はおかしいと思うのだ。おかしいというのか、集団としてのかの国は姿の見えない巨大な力のようで、個人の権利や他国のことなど知ったことではない!という無言の圧力があって、どうも恐ろしいのだな。それがまぁ集団としての国の力ということかもしれないけれどね。
反対に、我らの国はまことに情けない集団で、「おい、こら!」と恫喝されたら、「はいはい、すみませんでした」といとも簡単に尻尾を振ってしまう輩の集まりでね。国としての方針も気概もないのか!といいたい。なら、最初っからかっこつけないで、へいこらしてろよな。かっこ悪すぎだ。
良くも悪くも我々の気持ちの中に国境=海岸線というイメージがあって、おおいなるものも含めて優れたものは全て海の向こうからやってきた。古い時代は中国のとんでもない大きな文物に尊敬して憧れて真似をしてどうやら言葉さえも器用に真似て作ってしまった。まぁ足元にも及ばない大いなる大国であったわけだ。
文明開化以降我々の感覚がどちらかと言えば西欧化してしまったからかもしれないが、どうも最近の彼の国はおかしいと思うのだ。おかしいというのか、集団としてのかの国は姿の見えない巨大な力のようで、個人の権利や他国のことなど知ったことではない!という無言の圧力があって、どうも恐ろしいのだな。それがまぁ集団としての国の力ということかもしれないけれどね。
反対に、我らの国はまことに情けない集団で、「おい、こら!」と恫喝されたら、「はいはい、すみませんでした」といとも簡単に尻尾を振ってしまう輩の集まりでね。国としての方針も気概もないのか!といいたい。なら、最初っからかっこつけないで、へいこらしてろよな。かっこ悪すぎだ。
こういった風景を見て懐かしい気持ちになるのは私だけだろうか。よくわからないのだけれど、自分の中にある原風景みたいなものかもしれない。舗装されていない砂利道が延々と遠くまで続いていて、はるか向こうに穏やかな山が見える。途中に崩れかけたような小屋がある。
毎日何かしらの写真を撮るとということになると、自ずからその人の趣味と志向が出る。そんなところからも何か読み取れるかもしれないな。最初はそれなりにかまえて撮るのだけれど、そのうちにかまっていられなくなって地が出てくる。
保護されたものというのは弱いなと思う。何でもそうだけれど、例えば文化事業などでも補助金が出たとすると、それを目当てに色んな人が右往左往する。本来そこには存在しないようなものまで無理やり登場したりして場を盛り上げる。それでその場は大喝采で大成功のように見えるわけだ。ところが根付いていない行事は時とともに跡形もなく消えてしまう。
芸能や文化のようなものは保護するとたちまちのうちにその魅力は消えてしまうように思う。本来そういった芸事というものは大衆と共にあって、大衆に支持されて始めて存在できるようなものではないのかな。芸術の名の下にどうもそこらあたりが勘違いしているように思う。反対に大衆に受けたからといってそれが何年も先に芸事として残っているかどうかはわからない。
奨学金とか補助金、助成金などというものは百害あって一利なしと思った方がいい。「本当に凄い奴は放っておいても出てくる」ということかな。
毎日何かしらの写真を撮るとということになると、自ずからその人の趣味と志向が出る。そんなところからも何か読み取れるかもしれないな。最初はそれなりにかまえて撮るのだけれど、そのうちにかまっていられなくなって地が出てくる。
保護されたものというのは弱いなと思う。何でもそうだけれど、例えば文化事業などでも補助金が出たとすると、それを目当てに色んな人が右往左往する。本来そこには存在しないようなものまで無理やり登場したりして場を盛り上げる。それでその場は大喝采で大成功のように見えるわけだ。ところが根付いていない行事は時とともに跡形もなく消えてしまう。
芸能や文化のようなものは保護するとたちまちのうちにその魅力は消えてしまうように思う。本来そういった芸事というものは大衆と共にあって、大衆に支持されて始めて存在できるようなものではないのかな。芸術の名の下にどうもそこらあたりが勘違いしているように思う。反対に大衆に受けたからといってそれが何年も先に芸事として残っているかどうかはわからない。
奨学金とか補助金、助成金などというものは百害あって一利なしと思った方がいい。「本当に凄い奴は放っておいても出てくる」ということかな。
油彩画を描いていた時は一応H型という据え置き型の大きなイーゼルがアトリエを占領していた。漫画などで画家と言えばそういったイーゼルに絵を立てかけて、絵の具を山盛りにしたパレットを持って絵を描いている姿が描かれているけれど、私の場合そうやって絵を描くことはほとんどない。
気がつけばアトリエの床に直接座り込んで、どこにでも絵を立てかけたり寝ころがしたりしながら描き込んでいる。いつも同じ調子で同じように絵を描くこともない。やりながら考えて、上手く行かなければ水をぶっ掛けて流してしまう。一度ボンドで張り付いた布はちょとやそっとでは引き剥がせない。カンナをかけるかヤスリをかけるかペンチでもって引きちぎるしかない。その跡がまた面白い効果が出ていたりする。
パレットなどというしゃれたものもない。いいものを使ってもアクリルの場合すぐにだめになってしまう。筆やナイフもすぐに固まって使い物にならなくなる。だから生徒の残り物で充分だ。↑の水入れは古い洗面器だし、絵の具を解く皿は使い捨てのどんぶりだ。これが非常に役に立つ。
工場か左官屋さんかペンキ屋さんの仕事場に近いように思うな。
気がつけばアトリエの床に直接座り込んで、どこにでも絵を立てかけたり寝ころがしたりしながら描き込んでいる。いつも同じ調子で同じように絵を描くこともない。やりながら考えて、上手く行かなければ水をぶっ掛けて流してしまう。一度ボンドで張り付いた布はちょとやそっとでは引き剥がせない。カンナをかけるかヤスリをかけるかペンチでもって引きちぎるしかない。その跡がまた面白い効果が出ていたりする。
パレットなどというしゃれたものもない。いいものを使ってもアクリルの場合すぐにだめになってしまう。筆やナイフもすぐに固まって使い物にならなくなる。だから生徒の残り物で充分だ。↑の水入れは古い洗面器だし、絵の具を解く皿は使い捨てのどんぶりだ。これが非常に役に立つ。
工場か左官屋さんかペンキ屋さんの仕事場に近いように思うな。
↑の写真は130号の途中過程。まだ何も見えてはいない。雑多なもの厚い麻布(ドンゴロス)や薄いプリント地の綿布、壁土やもちろん絵の具などが渾然と重なって一つの造形物になっている。出来るだけ無意識にほとんど夢遊病者のようにオートマチックに絵の具をたらす。
この辺りだけを見ると戦後すぐあたりのアメリカの抽象絵画に近い。デクーニングやポロック、ジャスパージョーンズなど、フランスのデビュッフェなども好きだな。多分新しい安価な画材、塗料とかアクリル系の水性絵の具が登場してきたおかげで、大きな画面にふんだんに使うことができたということも関係しているのではないだろうかね。今までの油絵の具でしっくりゆっくり描いてゆくという絵画とはどこか違う。
油彩絵画の伝統と言うことであれば西欧には連綿とした歴史があるわけで、建国二百年ぐらいの歴史しかない彼の国はスタート時点で完全に負けているわけだ。最初の頃はそれでもヨーロッパの当時の巨匠を招待したりして文化的な遅れをひっしになって取り戻そうとしていた。それはそれで上手く根付いたところもあったけれどね、やっぱりアメリカ的な表現になるのは先ほども書いたけれど新しい画材とめぐり合ってからだと思う。
私が今の画材に出会ったのは93年頃に自宅の改装をした時だ。床のフローリングを貼る時にはボンドを使ったし、外壁を塗る時は安いアクリル塗料を買ってきた。穴を埋めるにはパテを使ったし、左官屋さんのように和風の京壁も塗った。これらの経験から得たものは多い。
最初の頃は建材やさんからセメントを着色する顔料を随分と購入してきた。これは画材店から買うよりも随分と安かった。今でもその時に買った弁柄などは使い切らずにある。ところがこういった顔料には成分が書かれていないことが多い。今まで伝統的に左官屋さんが色粉として何の疑いもなく使ってきたものだろうけれど、あらためて考えると成分表示のない顔料は怖いと思った。
と言うことを経て、弁柄や砥粉や黄土、胡粉など明らかに成分が分かっているもの以外は画材店から購入することにした。それもあるけれど段々に使う顔料が土製のものに限られてきた。今は成分をみてアクリル絵の具と変らない物はそのままアクリルもつかう。
材料が変る事で絵も随分と変わると思う。多分今の描き方は水性の絵の具でなければ考えつかなかっただろうし、油彩は油彩の得意とする表現方法があるしそれを否定するつもりは全くない。
だから、これは好みの問題なんだろう。こういった色々なものが渾然と一体になったようなものが好きなんだな。幼い頃に泥遊びをした記憶だったり、糊をメリケン粉からつくって新聞紙を丸めたものにべたべた貼って人形を作ったり、紙と布を貼り合わせて自分だけのノートを作ったり、木を削ってお守りをつくったり、そんなことが遠い記憶として今の仕事に結びついているように思う。
この辺りだけを見ると戦後すぐあたりのアメリカの抽象絵画に近い。デクーニングやポロック、ジャスパージョーンズなど、フランスのデビュッフェなども好きだな。多分新しい安価な画材、塗料とかアクリル系の水性絵の具が登場してきたおかげで、大きな画面にふんだんに使うことができたということも関係しているのではないだろうかね。今までの油絵の具でしっくりゆっくり描いてゆくという絵画とはどこか違う。
油彩絵画の伝統と言うことであれば西欧には連綿とした歴史があるわけで、建国二百年ぐらいの歴史しかない彼の国はスタート時点で完全に負けているわけだ。最初の頃はそれでもヨーロッパの当時の巨匠を招待したりして文化的な遅れをひっしになって取り戻そうとしていた。それはそれで上手く根付いたところもあったけれどね、やっぱりアメリカ的な表現になるのは先ほども書いたけれど新しい画材とめぐり合ってからだと思う。
私が今の画材に出会ったのは93年頃に自宅の改装をした時だ。床のフローリングを貼る時にはボンドを使ったし、外壁を塗る時は安いアクリル塗料を買ってきた。穴を埋めるにはパテを使ったし、左官屋さんのように和風の京壁も塗った。これらの経験から得たものは多い。
最初の頃は建材やさんからセメントを着色する顔料を随分と購入してきた。これは画材店から買うよりも随分と安かった。今でもその時に買った弁柄などは使い切らずにある。ところがこういった顔料には成分が書かれていないことが多い。今まで伝統的に左官屋さんが色粉として何の疑いもなく使ってきたものだろうけれど、あらためて考えると成分表示のない顔料は怖いと思った。
と言うことを経て、弁柄や砥粉や黄土、胡粉など明らかに成分が分かっているもの以外は画材店から購入することにした。それもあるけれど段々に使う顔料が土製のものに限られてきた。今は成分をみてアクリル絵の具と変らない物はそのままアクリルもつかう。
材料が変る事で絵も随分と変わると思う。多分今の描き方は水性の絵の具でなければ考えつかなかっただろうし、油彩は油彩の得意とする表現方法があるしそれを否定するつもりは全くない。
だから、これは好みの問題なんだろう。こういった色々なものが渾然と一体になったようなものが好きなんだな。幼い頃に泥遊びをした記憶だったり、糊をメリケン粉からつくって新聞紙を丸めたものにべたべた貼って人形を作ったり、紙と布を貼り合わせて自分だけのノートを作ったり、木を削ってお守りをつくったり、そんなことが遠い記憶として今の仕事に結びついているように思う。
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