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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 アーチストなど何だかよくわからない。職業でもないし、肩書きでもない。久石譲ではないけれど芸術家にはすぐになれる、「私は芸術家です」といえば明日からでもなれる。「あいつは芸術家だからな」といえばやや非難めいたニュアンスが含まれている。ろくでもないガラクタを作りやがって・・というような。

 私の20代などそこらに生息している野良犬のようだった。目標など何も見えず、闇雲に歩き回って頭をぶつけている盲人のようだった。今描いている絵が芸術だとも思えなかったし、これを続けていけば何とかなるとも思えなかったし、はたして自分は絵描きになりたいのか、それさえよく分からなかった。

 本当のこと言えばつい最近まで、人様に自分のことを「絵描き」などというのがはばかられた。それほど売れていないということもあるけれど、人が汗水たらして働いている日中にフラフラしているのは申し訳ないようなそんな心もちがあったね。結局遊びの延長みたいなものだから。農耕民族の生真面目さが少しは残っているんだろうな。



 
 勝手引用
http://resonance-1111.tumblr.com/post/1249986323
細野晴臣『分福茶釜』より
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「・・・モノをつくるっていうと、みんな「自分的」なものばかりつくるでしょ。ぼく自身もそうだったから、それはよくわかる。でも、自分が編み出したと思っていたリズムも、実は昔からあったもので、そのことがわかったときに、モノづくりっていうのは何かが自分を通して過去から未来に通っていくだけだっていう風に感じたの・・・・」
 



 
 私が二十代の頃「就職しないで生きる」という魅力的なタイトルの本が出版されましたが、これは期待したようなハウツー本ではなく、自分の生き様を書いたエッセイ集でした。私たちの世代はカウンターカルチャーのど真ん中でありまして、ヒッピーというのかフーテンというのか要するに既成の体制の中で生きるよりも、ドロップアウトというのかな落ちこぼれてしまう方を選択するような価値観がかっこいいと思われていた時代なんですね。

 学生運動もやや下火になって、どうせ体制はびくともしないだったら、オイラ一抜けたといった諦めの居直りかもしれませんね。私にはそんな大それたポリシーがあったわけではありませんが、「就職しないで生きる」生き方に凄く憧れましたね。

「地球の上に生きる」というヒッピーのバイブルのような本がありまして、まぁ一種のロマンチックな自給自足の夢を描いた本ですが、未だにこれはそんなに古くはないように思いますね。今で言うならオーガニックな自然派の生き方の見本のような話です。この本を読んでこんな風に生きたいと思った同じ世代は多いのじゃないだろうか。ソローの「森の生活」なんていうのもありました。

 普通の公務員の家に育ちながら、どうしても毎日仕事や学校に出かけるというのが嫌でたまらなかった。今で言うなら登校拒否とかニートみたいなものかな。絵を描いているなどというのはただの方便、嘘でしかない。本当のところは「働きたくない」それだけかもしれないな。今頃になってこんなことを暴露しても醜悪でしかないな。

 それでもよたよたと「就職しないで生きて」これたのは奇跡的なことだ。




占い師
 
 音楽家の久石譲が何かに書いていた。「芸術家は誰にでもなれる、自らがそう宣言すればいい。私は多くの人に支持される音楽家でいたい」この大衆性と芸術性というのはなかなか両立するのは難しいように思う。それでもどちらがかけても本当の力にはならないのじゃないかな。

 さて、少し仕事をしなければ。



 
 上の写真なんかでもそうだけれど、緑から青のグラデーションは人の心を和ませる効果があるように思う。遠い宇宙から地球を見た場合、他の天体とはまるで違う美しい青い球体が浮かんで見える。青いのは空気や水があるからで、その水が水蒸気になって雲を作ったりやさしく地上を包んでいるからだ。そう考えると青というのは生命の色ということが出来るかもしれないな。

 誰かが書いていたけれど、誰もいない黄土色の砂漠のど真ん中で、草も生えないような過酷な環境の中で生きていると、それはそれは激しい生存の欲求が出てきて『生きるか死ぬか」二者択一的な宗教が出てきて当然だ。反対に我々のようなどこでもかしこでも草木が繁茂して、二三日放って置けばかびて腐ってしまうようなモンスーンに生まれて暮らしているような民族には、どこにでも神がいるようなそんな多神教しか生まれないと言うようなことが書かれていた。

 もちろん、いいか悪いかなどという単純な話ではなく、人は生まれて育った環境に風土にどうしても左右される、それが当然な理だということだな。

 閑話休題
 今日新聞にこんなことが書かれていたな。人は生まれる時に狭い産道を通ってくるので、生まれてきた時のストレスが大人になっても随分残っているらしい。脳梗塞で倒れた方にある種のストレッチをしてゆくと一瞬輝く瞬間があるそうだ、それを「自分の体が帰ってきた」と表現していた。健康体であるとなかなか自らの傷というのかストレスというのが見えない、意識されない。まぁそれを意識せずに一生暮らせるならそれでもいいのだけれど、自分が弱くなった時や、体が弱っている時に一気に噴出してくるから、始末に悪い。

 同じような話だけれど、少し前に村上春樹のロングインタビューでこんなことが書かれていたね。

 「小学校の頃の話で、自分は極普通の中産階級の子供で、特別いじめられもしなかったし、傷つきもせずに育ってきたと思ってきた。だから何の問題意識もなく30近くなるまで小説を書こうとは思わなかった・・、という風に考えていたらしい。ところが小説を書き始めて、どんどん自分の中を下ってゆくと今までなんでもなかった子供時代が違った目で、感覚で捉えるようになった。

 親とか学校とか、まぁ色々な意味で既成の体制があるわけだ。子供は生まれて最初はそこそこ幸せに暮らしてゆくのだけれど、ある意味でどこかで規制がかかる。教育とか、しつけとか、規則とか、常識とか、世間体とかなんがか分からない、世の中の常識みたいなものに暗黙のうちに傷つけられているんだな」

 ストレスのない生活などない。どういう形にしろ多かれ少なかれ人はストレスの中で生きてゆかなければならない。生きると言うこと自体がストレスだからな。まぁいずれ必ず誰しもが全くストレスのない世界に行くことだけは確かなんだけれどね。それまでの辛抱かな。




キトラ古墳の壁画
 
 色の好みというのは変らないそうだ。しかし、色を意識的に使う仕事をしていると、好むとか好まざるという理由で色は選んでいないように思う。だから自分は何色が好きだったのかよく分からない。ブルー系統をよく使っていた頃もあるし、最近のように暖色系統ばかりを使っている頃もある。

 色んな新色が出れば使ってみたくなるのが人の性だが、そうやっていろんな色を集めてもやがて使う色は元の色味に戻っているものだ。今は出来るだけ色々な絵の具は買わない。混乱してしまうので、ほとんど使う絵の具は三原色に白と黒に決めてしまった。まぁ白でも胡粉の白と絵の具の白は違うのだけれど、基本は五色にしている。こうすると絵の具のことで迷わないで済む。

 かなり前から地塗りは赤が60%、黄が30%、青が10%ぐらいになった。これは一つの絵の色の配分にも近い。主調色が60%で反対色が10%、他が30%となる。この数字に何か意味があるものではない。

 眠いので続きはまた。



 
 彼岸花はちょっと怖いような雰囲気がある。でも好きな花の一つだ。
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