画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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「1Q84」で面白いと思ったところ。主人公の一人の女性が、まぁある種の逃亡者なんだけれど、それが段々と一人の男に追い詰められてゆく。全く世の中と係わり合いを持たなければ絶対に見つかることはないのだけれど、それが段々に追跡者の影が見えてくるところ。
で、どこからそれが崩れてゆくかというと、結局は自分の内部にある一番触れて欲しくないところだったり、弱点だったりするところからだというのだな。隠せばかくすほどそこからぼろが見えてくるといったことだろうか。
こんなところにもなかなか鋭い考察があるなと思う。
例えばある人の逆鱗に触れてかんかんに怒り出したとか、または反対に全く気振りにも見せないとか、というところは反対にその人が一番気にしているところであるし、弱点でもあるわけだな。全くどこもかしこも満遍なくこだわりがない、気にしないなどというひとはある意味で、馬鹿かのーたりんか凄い人格者だろうな。
人はどんなに完璧に装ったとしても、その装いが本人の自覚の下で行われている以上どこかでぼろがでるのだな。何が怖いのかといえば、結局自分の中にあるお化けが怖いわけで、空想できない人間にはお化けは存在しないということだ。
これは結局何度も繰り返して出てくるテーマで、自分を表現しようとしている行為にのなかには装った自分がいるだけで、それはまだ本物ではない。それ風ではあるけれどまだ本当の自分には出会っていない。更にやっているうちに探している自分の姿そのものが見えてきて、びっくり仰天するわけだ。有為が無為になってはじめて表現と言えるのではないかな。これもマトリシカ人形だな・・。
よく分からん文章だけど、そのまま載せる。
で、どこからそれが崩れてゆくかというと、結局は自分の内部にある一番触れて欲しくないところだったり、弱点だったりするところからだというのだな。隠せばかくすほどそこからぼろが見えてくるといったことだろうか。
こんなところにもなかなか鋭い考察があるなと思う。
例えばある人の逆鱗に触れてかんかんに怒り出したとか、または反対に全く気振りにも見せないとか、というところは反対にその人が一番気にしているところであるし、弱点でもあるわけだな。全くどこもかしこも満遍なくこだわりがない、気にしないなどというひとはある意味で、馬鹿かのーたりんか凄い人格者だろうな。
人はどんなに完璧に装ったとしても、その装いが本人の自覚の下で行われている以上どこかでぼろがでるのだな。何が怖いのかといえば、結局自分の中にあるお化けが怖いわけで、空想できない人間にはお化けは存在しないということだ。
これは結局何度も繰り返して出てくるテーマで、自分を表現しようとしている行為にのなかには装った自分がいるだけで、それはまだ本物ではない。それ風ではあるけれどまだ本当の自分には出会っていない。更にやっているうちに探している自分の姿そのものが見えてきて、びっくり仰天するわけだ。有為が無為になってはじめて表現と言えるのではないかな。これもマトリシカ人形だな・・。
よく分からん文章だけど、そのまま載せる。
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