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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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「 風景画を描いている私」と言うタイトルはどうでしょう。 携帯のカメラは全てに焦点が合うからこんなことが可能になる。ちょっとボケているけれど、遠景の山と筆がほぼ同じピントで合うというのはどういう原理なんでしょう。
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 昨日は地元の美術団体の審査と飾り付けがあって一日美術館につめていた。もうここと関わりあって30年近くになった。昨日も書いたけれど小学校以来絵を描いて賞状もらったのはここが初めてだった。まぁ良かったのか悪かったのか分かりませんがね。

 何か書くつもりだったが、眠くなったので又明日。



 
はる 2931
 ☆さんへのメール
 そうですね。あわよくばという気持ちは賞を取ったことがある人は必ず持つと思います。あの本当にうきうきするような、華々しい、少し勝ち誇ったような高揚感は、一度味わうと癖になる蜜の味ですね。それは楽しい期待でもあります。

 私が本格的な油彩画ではじめて賞を取ったのもここでした。もう30年も前の話ですがね。やっぱり飛び上がるほど嬉しかったですよ。その後いくらか受賞経験がありますが、あの時の感動以上の受賞はありませんでした。

 賞はいいように働けば励みになります。反対にそれだけになれば何か物欲しげな、そんな気持ちはなくても人様に受けを狙うような、そんな下心が見えてきて自分でも嫌な気持ちになったりします。

 ★さんは嬉しそうでしたね。今回のことを踏まえて、もう次の絵の構想を楽しそうに話してくれました。彼は自分のために絵を描いています。描くことを楽しんでいます。絵がかけることが楽しくて、嬉しくて、ただそれだけで充分だという気持ちが伝わってきます。

 まぁ他の人の評価は無理に無視する必要はないですが、そういったことも含めて絵を描いていることを楽しんでいるんだということでしょうね。これでいいのだと思います。これで充分です。そう思います。

 



 
 アトリエの音響はこれだけです。それもあまり聴きません。イメージとして優雅にバロック音楽でも聴きながら絵を描いている感じですが、全く音は邪魔になるのです。昔から何かしながら他のことは出来ません。このラジオは小さいながら短波も聞けるすぐれもの。


榎並和春個展DM
いつかみたところ
山口画廊
2009 7/15~8/3
千葉市中央区春日2-6-7

043-268-1560
オーナーのコメント
「深い趣を湛える地塗りの上に、亡羊と浮か
び上がる魂の形。風化した岩壁に刻ま
れた、古いイコンの様なその作風は、内
なる瞑想の旅路へと、見る者をいざなう。
思索する画家、榎並和春の世界。激しく
変転する現代にあって、変わらない何か
を希求する、その静かなる祈りの調べを」
 
 三万五千年前の鳥の骨で出来たフルートと、マンモスの骨で出来た女性像が出土した。人類と言うのは何と素晴らしい種族なんだろうか。そういえば人を埋葬したらしい古代の塚からは骨の化石と共にたくさんの花の花粉の化石が出土したと聞いた。食べることや着ること住むことと同じかそれ以上に人は身の周りを飾ったり、悲しい嬉しい時に音楽を奏で、ビーナスに祈りを捧げたのだ。



 
 例えば、老後が困らないだけの蓄えをするべきだ。という前提で考えるとそれじゃ出来るだけいい会社に勤めるべきだし、そのためにはいい大学へ、いい高校へ、皆と何も変わらん発想となる。まぁそれが楽ではあるな。

 何だろう、とりあえずとやってしまうと、次々とつながってみんなと同じでいることが、いいことだ、皆と同じ価値観で生きるべきだという風になる。抜けられなくなるんだな。特に最近はマスコミのせん動に乗せられる。何かが流行れば右へならえ、ワァーとなると訳がわからなくなる。我々は物事を批判的に見る、考えると言う習慣が身についていない。親方日の丸で一つの方向に向きやすいところがある。

 本当は自分の人生は自分で決めていい訳だ。無論その分責任は取らなきゃならいのだけれど、自分で自分の命の責任は取らなきゃね。よく言うのだけれど、「最悪でも死ぬだけだろう」そう思うんだな。それだけ覚悟して生きてゆけばおたおたすることはない。他人と同じでなくていい。

 まぁそりゃ、少しでも蓄えが欲しい。楽に老後は暮らしたい。人情としてよく分かる。もしそう考えるならサラリーマンやって平平凡凡やてばよかった。それを止めたい以上、頑張って意地張って、泣き言いわないで、やせ我慢しなきゃ、ならないのだ。それがダンディズムだろう。インフルエンザが流行ってマスクかいに走るようなことはしたくない。

 大事なコンセプトは「喜捨する」ということだ。全て捨ててしまうのだ。喜んで。命さえもね。保身にまわらない。言い訳しない。それが私の選んだ生き様だったはずだ。今更こんなことでおたおたするんじゃない。絵を描くということは絵を描く生き方を選んだということだ。それ以外はすべて捨てるんだな。それが死ぬまで満足してし尽くして生きる唯一の方法だ。
 
 



 今日は午前中は雨。午後からは快晴となり気温もどんどん上がった。足元がぬかるんでいたら外に出るのはやめるつもりであったが、まぁ大丈夫。来週出れるかどうかわからないので、スケッチに出ることにする。私は学校の自転車で生徒の後をついてゆく。自分で言うのもおかしいけれど、自転車はよく似合うのだよ。間違うとホームレスになる。だからできるだけ真っ白なシャツを着ることにしている。上手いとか下手くそはどうでもいいのだ。彼らの記憶に絵を描いたことが残っていればそれでいい。しかしまぁ疲れるのだな。暑いし。

 



 
はる 2926
 「ほいと」という言葉を知っていますか?「祝人」と書いて「ほぎひと」から「ほいと」になったと辞書には説明されている。「祝人」という字面はきれいですね。どんなに美しい姿形をしているのか、その字からは想像できません。

 我々が子供の頃、まだ正月には「いわいびと」がまわって来た。鼓と太鼓を持ったおじさん二人が羽織はかまで、「あぁめでたいなぁ、めでたいなぁ」と唄いながら角々をまわって行くのだ。「漫才」というと吉本など芸人を指すようだけれど、昔の漫才はそうではなかったのだ。

 「ごぜさん」というと盲目の門つけ芸人でとんでもなくつらくて暗いイメージだけれど、ある種の階級社会で一番底辺にある彼らが生きてゆくすべは芸を売って少しばかりの稼ぎを得るしかなかったのだ。

 今「ごぜ」で調べてみると、わが町には「ごぜ」さんがたくさんいたらしい。明治の6年に大きな弾圧があって壊滅したようだ。30年も住んでいてほとんどそんな話を聞いたことがない。驚きだな。また少し調べてみたい。

 



 
はる 2925
 Tさんへのメール
 最近「スローフード」の山梨支部の立ち上げに少しばかりかかわりを持ちました。普通スローフードと言えば「食」だけの話になりがちですが、スローライフ・「ゆっくり生きる」というふうに解釈すれば一種の生き方の哲学ということになって、それならば賛同できるということでかかわりをもった訳です。

 ご存知のように「スローフード」はアメリカ発の「ファーストフード」のアンチとして登場したわけですけれど、ゆっくり食べる、すなわちゆっくり味わいなが人生を楽しむという、まことにイタリア発祥らしい考え方ですね。安い、速い、便利が全て良いわけではないぞということだと思います。

 例えば「余暇」といえば「暇な時間、暇つぶし」的な発想をしがちですね。しかし本当にレクレーションということを考えれば「クリエイトの再生」でなければならないわけで、単に「暇つぶし」的な発想では再生まではいかないように思う。我々はどうも貧しい時代が長かったもので、「暇は悪」といった考え方をしがちだ。「いそがしい」ということが「ひまがない」ということがとりもなおさず「いいこと」となるように育てられた。

 一億総中流意識と言われて久しいけれどまだまだこの「余暇」の使い方が下手くそだな。この「余暇」の考え方がこれからの生き方に大切なコンセプトになるように思うな。仕事は仕事で大切な時間なんだけれど、それと同じかそれ以上に「自分の時間」余暇を上手く使えるかどうかがその人の人生の充実度に関わってくるように思う。文化というのはそういった「自由な自分の時間」と密接に関わってくるので「スローライフ」という生き方に賛同するわけだ。

 結局「自由な自分の時間」を使って何をするか?といえば、ごろごろと寝転がって休んでいてもいいわけだけど、もっと積極的に考えると「自分の心の中を探索する」時間と考えると本を読んだり、音楽を聴いたり、絵を描いたりすることがその手助けとなる。趣味というのは「暇つぶし」ではない。もっと積極的な時間の使い方なんだな。そこのところがまだ充分に教育されていないように思うなぁ。

 「スローフード協会」はNPOなので営利目的では使えないけれど、若い彼らは地域密着型の農家と連絡を取り合って、直接的な農産物はもちろんワインなどの二次的な産物も関係して、顔の見える生産者と都心の利用者の仲介的な仕事をしてゆくらしい。地産地消がいまスローガンとして注目されていますが、実際に仕事としてどこまでやってゆけるのか未知数ですが、山梨が経済的にこれだけ落ち込んでいるいま、彼らの活動が起爆剤となって注目されれば面白いなぁとおもいます。
 



第19回 スクエア展
併設・深沢弘昭個展
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