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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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    「遠い記憶」 2010個展に寄せて  

 お腹の中の赤ちゃんの成長は、生物の発生からの進化の様子ととても似ているそうです。それと同様に一つの作品が出来てゆく過程は、作家の過去から現在までのスタイルの変遷を少しずつ見せているように思います。一つの作品は突然そこに現れてきたのではなく、今までの経験や体験が何らかの形で沈み込んでいて自然に出てきます。一つのスタイルは作家の生き様でもあるように思います。

 さて、ある程度地塗りがいい感じに仕上がってくると、そろそろ画面の中にイメージを見つける仕事になります。ほとんどの場合、最初のインスピレーションはありきたりでつまらないものが多いようです。面白くないアイデアは思い切って捨てます。そうやって何度もなんども繰り返して自分の心の中を覗き込むような仕事をしていますと、少しずつ何かが熟成してきます。時に、自分では絶対描けない様な作品になったりします。

 私の仕事は様々な事柄の底の方にある「遠い記憶」を探し出して、誰でもが共感できるものに形を変える事ではないかと思っています。それが出来たかどうか、今年もまたそんな作品を並べます。御来廊こころよりお待ちしております。
 
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  今日は一日個展の雑多な準備をする。この土曜日から個展が始まる。自ら企画して展示やオープニングの手配やパーティの準備をするのは今住んでいる地元でしかやらない。コンサートの企画は今年で6回目だけれど、個展そのものはもう20回は下らないだろうな。

 自分の中では一年の始まりがここからで、一年を通して何か箇所か全国をまわる。絵を描くだけでも大変なのに個展会場に詰めているのは疲れるでしょうとよく言われる。そう体力的にはね、けっこうしんどいけれど、けっして大変ではない。絵は描くこともそうだけれど、綺麗に額装しておしゃれして、展示されて人様に見られてはじめて作品になる。私はそういった出会いの場にいることが決して嫌いではない。むしろそれを楽しみにしているなぁ・・。可笑しいのかね。

 人によっては絵は排泄物と同じで、一度からだから出たものは自分とは関係がないと大げさに言う人もいるけれど、私はそうは思わないな。

 今年の「個展に寄せて」の中にこんな箇所がある。「・・私の仕事は様々な事柄の底の方にある「遠い記憶」を探し出して、誰でもが共感できるものに形を変える事ではないかと思っています・・」

 何かしら、多くの人々に感じることが出来る共通のメッセージを発信したい、共有したいと思っている。そんなことが出来たかな?疑問だけれど、また今年も楽しみに来てください。



 
 はる 3422
 今日は一日美術館で当番。美術館の庭は県内のどこの公園よりよく管理されていて美しい。それにしても周りにしゃれたカフェやレストランがないのはどうしてなんだろう?どこの美術館でも館内のレストランはけっこう流行っているのに、ここのお店はどこか「共産主義の国のレストラン」のようだ。美味いものを上手に出してお客さんに歓んでもらおうという意識がまるでない。嫌ならとっとと帰んな、あんたに買ってもらっても給料は変らないんだから・・そんな声が聞こえる。

 それじゃ仕事をしててもつまらないだろうなんて、ひとごとながら同情してしまう。
 



 
 一宮のカフェ「KIVIS」さんが個展の宣伝をしてくれました。ありがとうございました。
http://kivis.blog100.fc2.com/blog-entry-233.html

喫茶KIVIS
0553-47-6244
山梨県笛吹市一宮町中尾651

 



 
 「猫の後ろ姿」さんが個展の紹介記事を書いてくれました。
http://ameblo.jp/e-no4765/entry-10696770731.html

 今日は一日額装をした。

 今使っている額は日本製なんだけれど、ごたぶんにもれず日本の技術者が海外に出向いてその土地の安い人件費を使って作っている。こんなことをしていればいずれ本国じゃ物が作れなくなるのは明らかに見えているのだが、兎に角経費を安く上げるにはそれしかないようだ。

 こういった工芸品だけではなく、ありとあらゆる技術が海外に出て行ってしまってもう取り返しがつかないところまで来ているのだが、何の手もうたないのは情けないというのか、どうしたらいいのかよく分かりません。当然、今の若い人は確実に手仕事が出来なくなっている。

 単に手先が不器用だ、というだけではすまないことでね。ものを考えるというのは頭だけで考えるのではなくてね、手を動かしながら、実際に目で確認しながら・・・・・眠いのでまた明日。




私の巣
 今日は東京でした。今帰りました。ではでは。



 
 昔の県展、今は県民文化祭という、の搬入があった。どこの県でも一年に一回はある年中行事の一つだけれど、趣味で絵や工芸品を作っている人にとっては県内では一番大きな公募展ではなかろうか。年年歳歳若い人の搬入が少なくなって、搬入の様子を見るとちょっと寂しい感はあるけれど、それでもまぁ一生懸命趣味に打ち込んでいる人たちにとっては目標にしている公募展ではある。

 午後は個展のDMを郵送する。約500枚。報道関係にはもうすでにだしてあるので、ここに三日取材の電話があった。無料で載せてくれる新聞の情報欄はありがたい。地元で展覧会を開催する場合、自主企画なのでマスコミ関係者がこれをご覧になったら是非よろしくお願いします。

 その後今開催中の個展をのぞいた。
 
 遠山はるみ個展
2010 11/1~12/12
桔梗屋・美術館通り展アートギャラリー
055-227-1752




小池歩個展
10月26日(火)~11月21日(日)
BAR  SLOW
山梨県甲府市丸の内1−19−21
tel/fax 055-226-8625
http://www.bar-slow.com/

 この間町中の芸術祭で展示させてもらった同じカフェで小池歩さんが個展をやっている。アンバランスで頭でっかちなじゃがいものような人物がゴロゴロとした不思議な画風だ。それが広々としたスローの店内と絶妙にマッチしている。寒い街中を歩いて暖かいコーヒーでも飲みながらゆっくりくつろいで下さいな。

 絵は美術館や画廊のようなきっちりとした空間で観るものと勘違いしている人が多い。もちろんそれも正しい見方である場合もある。例えばもうすでに歴史上の価値が決まっていて、普通の状態で見せたのでは保存上問題があるとか、研究発表のために関連した作品を世界中から借りて展示しているとか、一人の作家の大回顧展であるとか、大きな力と経済力がなければ展示できないような場合など。

 音楽もそうだな。正装してきっちりと座席に座って一言もしゃべらないで、身じろぎもせず耳を傾ける。案外それって苦痛なんだな。多くの場合眠気が襲ってくる。もともと日本の芸能などは物を食いながらお酒も適度に飲んで、おしゃべりを楽しみながら見たものじゃないのかな。全てではないだろうけれど。今でも相撲などは飲み食いは自由だよな。

 シャンソンやジャズはもともと酒場で唄われたり演奏されたりしたものだ。実際に生活の場で楽しんだものじゃないかな。大道芸の音楽家やダンサーは路上が舞台だ。下世話だけれど、その方が本物だし、生きている。私はその方が好きだな。

 お茶を飲みながら、何か食べながら、おしゃべりをする。ふと会話がとまった時に自然に絵が目に入る。日常の生活の場にアートが普通にあること、そのことが特別なことでないそのことの方が大事だと思うな。

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