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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 3697
 今日の夕立は凄まじい嵐だった。雷もすごい音だったけれど。雨が降るまで外にでて稲妻を鑑賞していたけれど、まぁ綺麗なもんだ。ピカピカピカと光って、バリバリバリと空をかぎ裂きする。花火の比ではない。

 夏の風物詩で、まぁ見ていて飽きない。結構恐ろしいけれど、スカッとしたものだ。原発とは違う。こいつはいつまでも隠隠滅滅と体を蝕んでゆく。見えないからいやらしい。あと二十年俺たちがいなくなっても、こいつは残る。役に立つものなら結構だが、どこにも持って行きようがない。そんなものどうして使ったんだ。全く、無責任だよな。

 今日は眠い。また明日。
 
はる 
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はる 3696
 今日も一日が終わりました。夕立があって夜は少し涼しくなりました。何を書こうか?頭の中には何もない。

 毎年夏休みのこの頃に秋に向って個展の準備をする。具体的に言えば小品をずらりと並べて描く。よく集中力が続きますねと言われるけれど、自慢じゃないが私に一番かけている能力は集中力だと思っている。

 だから並べてはいるけれど、だらだらと少し描いては面白くないなぁ・・と次の作品に移ってゆく。何か一つの作品を最後まで集中して仕上げると言う事ない。根をつめて書き込むということがない。だから何かいつも不完全燃焼状態で、ぐずぐずしている。のべつ幕なしにアトリエにいることはいる。でも仕事ははかどってはいない。

 最近は居直って、集中してのめり込んではだめなような気もしている。描き込んでいかにも仕事しましたよといった作品は私の性に会わない。適当にいい加減、中途半端で、ずぼらで、不器用、どこにでもあって、誰にでも描けそう、そんな絵がいいのじゃないかな・・・。

 
 
 



 
はる 3694
 さて、今日の写真何が良くてシャッターを切ったのか?わかりません。あえて言うなら、遠くにかすむ山々と入道雲、それと人工的な一直線の道路と案山子のような送電線の対比が面白いかな。毎日何か写真を載せることにして何年たったかな。そうなると一応頭の片隅にその事が残っていて、気がついたときにシャッターを押す事にしている。忘れる事も多いのだけれど、そうするとアトリエの風景でごまかすことにしている。

 まぁこれも私の意識の一部であるから、ほぼ毎日載せていると、語ろうとは思わなくても自然に私というものが出て来るものだろう。案外言葉より正確に私を表現しているのかもしれない。こうやって毎日、何事もなく淡々と過ぎてゆく日々を、兎に角、何かしら表現してゆく事というのが、とても大切なことのように思うのだな。

 人の一生というのは99.9999%こういった何気ない日々で出来ている。確かに突然とんでもない天災が襲ってくることもあるのだけれど、それは人生の0.00001%もない。だから人生の本質はこういった何気ない日々の中にあるということだ。それをないがしろにしては人生を見誤ってしまうだろう。

 ところで、この写真はお分かりのようにケイタイのカメラを使っている。ケイタイを持ち歩くという習慣がなければこういった写真を撮るということもなかっただろう。これも時代の眼ということかな。ところで、カテゴリーを「ポケットの窓から」とした。「シャメールより」とするより少しは洒落ているかなと思った。

 ちなみに、「ポケットの窓から」で検索したら、なんと一番だった。何事も一番はうれしい。



 
はる 3693
 日本年金機構なるものから何度もお知らせが来る。確かに私はバイトを含めて色んな職業に短期間ついたことがあるので、その都度年金を申請したり止めたりしたのでつながりが分りにくいということがあるとは思うのだけれど、「年金定期便」だとか「年金の記録を確認するお知らせ」だとかが何度も同じような書類がくると、おいおいこの機構は一体何をしているのだ。大丈夫か?と心配になる。無駄だな。何にしてもシンプルなのが一番で、一目で馬鹿でも分るそんなシステムにして欲しい。

 閑話休題
 いまだに「絵描きのなり方」という検索項目でこのブログにやってくる人がいるね。何を期待しているのか、まぁ薄々分るのだけれど、○○のなり方」などというハウツーものを期待するとあてが外れるだろうな。もしそんな技法書があれば私も欲しい。



 
 どうも風邪が今ひとつ抜けきらないでいる。夏風邪は治りにくいらしい。

 たまに伺うブログにこんなことが書かれていた。
「吉川春水 昨日今日明日」
http://kikkawaharumi.blog68.fc2.com/blog-entry-1184.html
・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・昨年9月から我が家の屋上に取り付けた太陽光発電が稼働を始めました。床面積80平米弱の家の屋根だから広さは大したことありませんが、天気の良い日は順調に発電を続けてくれています。

おかげさまで請求書ベースで言えば、5,6,7月の3カ月間の電気代、ガス代の払込合計金額が23,413円。それに対して東電に余剰電力を売った金額合計が31,920円。差引8,507円のプラスが出ました。

太陽光発電設備一式の導入コストはかなりの金額でしたが、政府、都、区からの補助金分を差し引くと、10数年後には導入コストが回収できそうな勢いです。

・・略・・

原発を続けるか否かが問題になっていますが、原発にかかるコストを太陽光発電の補助金にし、今後新しく建てる個人住宅、集合住宅、ビル、工場には太陽光発電装置をつけることを促進すれば、今後の電力事情が随分と変わるのではないでしょうか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 彼女のブログを読んでいると女性が一人で仕事しながら堂々と生きている様子がうかがわれ頼もしく思われます。まぁそのことは差し置いて、とても理系の女性とも思われないのですが(もし違っていたら失礼)自宅の屋根に太陽光発電を施設したようだ。

 その結果5,6,7月は余剰電力を売ったらプラスになったと書かれている。このことは革命的なことだな。まぁ色々な条件があるから一概にはいえないのだけれど、どこかの電力会社が夏場は電力が不足するから計画停電だとか、そのためには原発がぜひとも必要だとかのたまっていたけれど、単純に考えて各戸がそれぞれに太陽光発電にすれば反対に夏場は電力が余るのではないか。

 単純に考えて電力会社も一民間企業であるから、利益が全てに優先するわけだ。だから兎に角出来るだけ多くの人に無駄遣いしてもらったほうが企業としてはありがたいわけだな。節電を本気になってやれば自分たちの首を絞めるわけで、普通に考えてそんな事は企業の理念に反する。

 だから政府と一体になって国策という大義名分で原発を推し進めるわけだ。我々はどうも国策と言う言葉に弱いところがある。水戸黄門の印籠のようなものか、多くの人を思考停止状態にする。「国策」と言う言葉は戦前の「お国のため」と同義語で、まぁお国のためなら少々の犠牲は目をつぶるかとなってしまう。

 まぁこれが今までの大きな間違いのプロローグだな。何回も書くけれど、これは戦前に日本が戦争へと進んでいった過程とそっくりだ。一部の人間が国策の名の下に戦争へと駆り立てたのではない。それを知っていながら薄々分っていながら止めようとしなかった多くのその他大勢がいたということだ。積極的にすすめはしなかったけれど、進んで反対しなければ同意したとされても仕方ないのだな。このことでまたもや我々は判断をあやまってしまった。

 良く考えて、賛成、反対の声をあげることだ。意見をいうことだ。黙っていてはいいように利用される。そのことはどうしても伝えておかなくてはいけない。



 
 少し長いたびから帰ってきました。今回は風邪をひいたということもあって疲れた。写真は大阪駅の北の再開発ビルの様子。私が居た頃とは全く違う様子に唖然とする。どこか東京の真似をしているような洒落たデパートや駅ビルがてんこ盛り。大阪らしさがしだいになくなって行く気がする。やがては日本中どこに行ってもリトル東京ばかり。

衆議院厚生労働委員会から児玉龍彦氏 2011.7/27
 
 http://www.youtube.com/watch?v=DcDs4woeplI&feature=youtu.be

 印象に残った言葉「七万人の人々が住んでいたところを追われて路頭に迷っているのに、一体あなた方政府はこの何ヶ月間何をしているのですか!」



 
はる 3689
 七月がもう終わってしまう。あっという間のことだ。例年七月のこの時期に神戸で個展をしていたので、何も無いのは何となく寂しい。恒例のギャラリーSのグループ展も今年はパスした。グループ展というのも何だかよくわからない。一人一人がお客さんを呼べる力があるなら別なのだが、私が毎年出品しても単に寄せ集めの展覧会に過ぎない気がしてね。悲しいけれど、それが現実だ。もう少し力をつけてから出品することを考えよう。

 「こころのデッサン」に「猫の後る姿」さんがコメントを書いてくれました。
http://ameblo.jp/e-no4765/entry-10969568322.html



 
 お袋の新盆があってその後お墓を新しくしたので、入魂というのか名称はよく知らないのだけど、新しいお墓に先祖のお骨をまとめて入れたりそんな儀式を炎天下の中兄弟が集まってやった。お坊さんもたいへんだろうけれど、喪服を着て炎天下に立たされるのはけっこうつらかったな。こちらがミイラになりそうだった。

 自分たちはどうするのか、いまのところ深刻には考えてはいないけれど、後20年もすればひつようになるわけで、お墓を持つのか、永代供養にしてお墓など持たないのか、どこかに散骨して遺影か位牌だけ目印においておくか、全く何も持たないか、そんなことを考えなきゃならない時が来る。

 自分の両親は無事に送った。これで一応の区切りはついた。

 七月も終わる。
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