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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 今だから言えるのだけれど、子供が考えてもわかること、止め方が分からないような機械をどうして作ったのだろう。

山口画廊・画廊通信より勝手引用
http://home1.netpalace.jp/yamaguchi-gallery/room/room.cgi?mode=koumoku&no=25
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・略・・
 この度の惨事であらためて人間とは、自然というまな板の鯉である事を思い知らされた。しかし無力な鯉だって、あらがう意地ぐらいはあるのだ。普段と変わりなく画廊を開き続ける事、これだけが私に出来る唯一の抵抗である。と、格好のいい事を言いながら、そもそも悠長に休める余裕など無いのが、実状ではあるのだけれど。
 確かに今、大難の時である。しかし、こんな時だからこそ芸術に触れたい、心に潤いを持ちたいとご来店される方も、必ずやいらっしゃる事と思う。その方々にこそ絵画の放つ声は、温かな励ましとなって届くだろう。
 こんな事があってつくづく思う事は、芸術はそれだけで希望である。たとえそれが絶望を語るにしても、優れた芸術は必ず希望を宿す。私は、元来芸術の持つであろう、その光を信じたい。それは、いかなる災厄も決して消す事の出来ない、強靭な精神の光である。
 
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 いよいよ色々な放射性物質が出てきた。今後原発の周りの土壌はこのまま終息したとしても、確実に汚染されてゆくだろう。人体にすぐさま影響がでることはないという報道がなされてはいるけれど、そんなことを言えばなんだって許されることになる。すごい騒音の中にいても「直ちに害になるものではない」、水が多少汚れていても「直ちに害になるものではない」、睡眠薬を飲んでも多用しなければ「直ちに害になるものではない」、反対に考えれば長く常用すれば、健康ではいられないということを意味しているのかな。

 まぁ今はどうするのか責任を追及してもはじまらない。決まっていることは、ここを棄てて我々は生きては行けない。ここでしか生きては行けない。根性を決めるしかないということだ。

 少し前の話にもつながることだけれど、確かに我々は原発を少し簡単に見すぎていたのかもしれない。どこかの馬鹿が「天罰」などということをほざいていたけれど、原子力をもはや自由にコントロール出来た、自然を我々の手の内に収めたというふうに勘違いしていたのかもしれない。イカルスの神話を思い出す。

 けれど、すべてが悪かったわけではない。しくじって、失敗して、ぼろぼろになったけれど、だからこそ得るものが多いのだ。多分このことがなければ原発は安全なものとして更に増え続けたであろう。人は自然を超えたとおごったままだったかもしれない。

 これを糧にして、今度こそ真剣に世界で一番省エネで安全で効率のよい社会を作ってゆくべきだろう。それしか生きるすべはない。我々が残せるのはそんな「夢の物差し」しかない。

 「あきらめることはない」「泣くことはない」
 



 
  いつものように時間は過ぎてゆく。何も変わらないのに、元には戻れない。


 
409ad0ff.jpg

加島 査個展
2011 3・12~3.21
ギャラリーパーシモン
山梨市上神内川1262-5
0553-88-2039
 
 



 
 久しぶりにろうそくの生活。ただ祈るだけだ。



 
 一生懸命生きている人がいる。精一杯やってくれている人がいる。私などが暖かい部屋で何もしないで批判するすることは控えるべきだと思って書かなかったけれど、あまりにも無責任で腹が立ったので書く。 

 原子力安全・保安院などといういかめしい団体が国の中央官庁の出先機関で東電などの監督官庁ということになるのだろうか。(東電などは半官半民のような企業で、形は民間だけれど実際は公のものだろう)

 この人たちは何も仕事をしていない。役人として淡々と机の上の書類を見ているだけだ。質問されてもなんら自分たちの言葉で答えることができない。一番大事な専門職でありながら、現場のことは何も知らない。事故が起きたらどうするのか、現場を知らなければ想像することはできないだろうな。

 このやりとりがそれを物語っている。
http://gigazine.net/news/20110315_nisa_interview/

 東電なども昔の国鉄とか専売公社みたいなもので、体質的には親方日の丸の役人的な体質があるのかな。今回の計画停電などという暴挙は普通の企業からは絶対に出てこないだろう。もし仮にそれを実施しなければならない状態になったとしたら、民間ならばもっと消費者の側に立った計画を立てるだろうし、何よりも広報にもっと力をいれるだろう。こんなお上の伝令みたいな発想にはならんだろう。人をなめてるなぁ・・。何とか対応しようとするのはある意味日本人のまじめさと、今回被災された方たちへの愛情だろう。それをいいことにこんな無計画を押し付ける東電という会社はとんでもない会社だ。

 無論前線で命を張って仕事をしている人たちには頭が下がる。でも多分その人たちは正規の人でなかったりするんだな。お前らが命張って最前線で仕事しろよと言いたい。

・・・・・・・・・・・・・・
 明日以降の計画は、基本的には朝一番が順番にずれて行くらしい。正確ではないので正しいのを知りたければ東電のHPを当たってくださいな。

16日
1、6:20~10:00 グループ4

2、9:20~13:00 グループ5

3、12:20~16:00 グループ1

4、15:20~19:00 グループ2

5、18:20~22:00 グループ3

 どこのグループン属するかはここで見てください。
http://gigazine.net/news/20110314_rolling_blackouts_list/
 



 
 震度5というのを始めて経験した。ゆっさゆっさとゆれる家の中で「早く収まってくれ」と祈った。棚の本がばらばらと落ちてきて、描きかけの絵がばたばたと倒れた。洗面器がひっくり返って水浸しになった。アトリエは壁をぶちぬて六畳を二間くっつけた空間になっているので、たぶん地震には一番弱いだろうと思っている。

 段々強くなってきて我慢できずに外に出たら、近所のばあさんが地面に張り付いて怖いようと叫んでいた。すぐにテレビを見たけど、まだ大したニュースにはなっていなかった。そのまま目医者の予約が入っていたので、病院へゆく。その待合室で津波のニュースをやっていた。大波が川を逆流,あふれた水が田畑を飲み込んでゆく。あぁこれは大惨事だ、凄いことになるだろうと思った。

 神戸の震災の時も、最初の報道は大したもんじゃなかった。今回は津波があるので事はもっと重大なことになった。人間の営みなど自然の前ではひとたまりもない。自然に泣けてくる。

 原発のことは心配だった。今はとにかく無事沈静化させて、その後「原発はいらない」という方向にもってゆこう。無能なお役人に管理させるにはあまりにも危ない火だ。



 
はる 3549
 先輩の祝賀パーティがあった。本人はこんな時期に祝賀でもないがと恐縮がっていましたが、決まったことを粛々と行ってゆくことも大事なことでしょう。みんながみんな自粛する必要もない。おめでとうございました。

 明日から計画停電が始まる。どうなるのか全く予測がつかないので、やや不安な気持ちでみている。それではろうそくが必需品と思って買いに出掛けたが、どこも売り切れでさすがに気がつくのが遅すぎた。まぁこれも仕方ない。ないときは寝るしかない。戦時中みたいな話だな。昼間はいいけれど、夜は困る。四月一杯までということだが、定時制の学校はどうなるのだろうか。

 なんだか切ないね。
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 1グループ、6:20~10:00  16:50~20:20

 2グループ、9:20~13:00  18:20~22:00

 3グループ、12:20~16:00

 4グループ、13:50~17:30

 5グループ、15:20~19:00

3/14の予定
 東電のHPがアクセス殺到で開かないので違うページをリンクしておきます。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/disaster/495980/

 ちなみに山梨はこちら
http://jyoshi-bu.iza.ne.jp/jyoshi-bu/tepco/yamanashi.pdf

 甲府市は
 グループ3は以下の町
 羽黒
 平瀬
 富士見
 宮原
 山宮

 他の町は全てグループ4
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 明日は
グループ3
 12:20~16:00

グループ4
 13:50~17:30

 



 
はる 3546
 骨董にもいろいろあるけれど、どちらかと言えば工芸的なものよりオブジェのようなものの方が好きだな。どんなにいい皿や茶碗を見せられてもあまりぴんとこない。ところが古いオブジェのようなものは全て良く見える。アフリカのドゴン族のお面や鍵など一目見ると欲しくなる。

 ↑の骨董は中国の六朝時代の俑で、骨董好きならたぶんよだれがでるだろう。日本の土偶などもそうだが、俑も葬儀のための埋葬品である場合が多い。だからどこか痛んでいる場合もおおいのだが、この俑はどこにも傷がない。まぁ骨董の怖いとところで、これが全くの本物かというのはだれもわからんわけだ。自分の眼力だけがよりどころになるわけだ。本物なら普通に家一軒買える値段だそうだ。なかなか恐ろしい。

 しかしまぁ、この馬の形といい人物とのバランス、弁柄と胡粉?の彩色が適度にはげていい風合いだな。

 話は変って、県立の美術館で私の大学の後輩たち卒展をみた。自分の後輩たちというのは妙に気になるもので、卒業生だといえば何となく人情的に応援したくなる。まぁそれが高じると学閥とか門閥につながってくるので、ほどほどにしておいた方がいいのだろうけれど・・。まぁ、私が気にするほど相手は気にしていないもので、どちらかと言えば片思いに近いものかもしれない。

 もともと教育学部の美術専攻というのは美術の専門家を育てるコースではない。教師と言うのはどんな科目であっても基本的に同じであって、その教科の専門を使って生徒を教育するという仕事なんだな。絵描きが片手間に絵画教室で絵を教えているのではない。

 と言うわけで、それを差し引いてみても、まぁ我々の頃もそうだったけれど「何でもあるけど、何もない」という印象は免れないなぁ・・。応援したいんだけどな・・。
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