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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 なでしこのサッカーを観て感じる事は、一言で言えば「さわやか」であるということか。反対に胡散臭いというものはどこかやっぱり「お金」にかかわるところから匂ってくるもので、例えば男子のサッカーのようにプロが絡んでくると、単に優勝というプライドをかけて戦うというひたむきなところが少し翳ってしまうところがある。

 だからといって彼女たちが一生懸命でなかったかといえば、お金は絡んではいないけれどそのひたむきさというのは、見ていてウルウルするぐらい感動的だ。まぁ今の日本の女性の力強さを良く表しているように思うな。

 閑話休題

 男というのは空理空論、原理原則、机上の話が大好きだ。もちろん個人差もあるのだろうけれど、大体においてそうやって今の社会が作られてきたようなところがある。例えば国を作る時にその国の柱であるところの法を考える。まず全体を統一した秩序みたいなものを考える。そうしないとどことなく心もとなく、不安になる。宗教などもそんなところから男が作ったものじゃないだろうか。

 群れを作る、徒党を組む、社会を作るといった場合、こういった能力というのは多分大切なことなんだろう。

 けれど、ある程度社会が成熟してくると、こんどはそういった規制が決まりが動きの取れない融通のきかない、すごく脆いものに変ってくる。名前だけの組織になったり、既得権を維持するだけの見せ掛けのものになったりする。一度出来たものはなかなか止める事ができない、優柔不断なお荷物になってしまう場合が多い。

 いっそのこと、しばらく女性にこの国を任せてみないか。
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  なでしこジャパンが世界一になって大騒ぎ。サッカーなど何も興味がないが、それでもどこからともなく騒ぎが漏れてきて、やっぱり嬉しいものだ。ここのところいいことがなかったのでねぇ、日本は。

 アメリカやフランス、ドイツ西側の先進国が女子サッカーのメジャーだとすれば経済的に裕福な、女性の地位が認められている国々ということだろうか。女性が堂々とボールを蹴っていてもとがめられない、そんな国だということだろうかねぇ。それにしても日本の女性たちの体は小さくて他の国のパワーの半分ぐらいしかないように見えた。そんなハンディを特徴にかえて、新しいサッカーを目指したところが良かったのではないかな。にわかファンが知ったようなことを書くのを止めましょう。

 夜になって台風のために雨が凄くなってきた。

 

 

 



 
 午前中、山口画廊さんが作品を届けてくれた。完売でもない限りこの仕事が残っている。作品を取りに来てくれて、飾りつけをして、接客して、整理して、作品を返却する。私はそのうち何日か在廊するだけ。まぁ厳密に言えば作家は作品を描けばいいわけで、それ以上の仕事は作家のあずかり知らぬことなんだけれど、私のようなほぼ無名の作家はそう簡単ではない。

 それに私は作品とコレクターが接する唯一の場である画廊にいることが嫌いではない。コレクターがどんな奴がこんな作品を描いているのか興味があるように、どんな人がこの作品に興味を持つのかとても気になる。本当は作者は顔を見せないで裏方に徹した方が、効果的であるきもするのだが、まぁこれもあれも含めて私と言う作家だから仕方ない。諦めてもらおう。

 午後からは野暮用で東京。帰宅は午前様。



 
「市中の隠」
http://www002.upp.so-net.ne.jp/viviplan/charo.html

「・・露地とは茶室に付属する庭で、茶室とひと続きの茶の湯の場として組み立てられ、必ず専用の道が用意された。町屋ではそれは隣家との間の細い通路であったりした。それで昔は<路地>と書かれた。利休は「数寄は路地入りにて見ること肝要」と、茶の湯は露地口を入るときから始まることを力説している。
 また、茶の湯の礼法は封建社会における慣習とは異なり、平等な人間関係を基礎にしたものであったので、茶の湯の世界は住まいの中にありながら、日常性を越えたところになければならなかった。「市中の隠」「山居の躰(てい)」が理想とされたのである。路地は世俗から隔離するための結界であり、「浮き世の外の道」とされた。
 そこで、聖が侘び住まいする山里の草庵を範とし、どのような狭い場所にも山居の趣をかもし出す巧みな作庭がなされたが、あくまで茶室への道を主体としたものであった。だから茶人たちは「ろじ」と呼び、精神的な含みを込めて<露地>の文字を使うようになった」

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 「市中の隠」と言う言葉があると教えてもらった。元々は茶の湯からでて来た考え方らしい。まぁ日本の文化はあまりに直截な自慢や表現を好まない。キンキラのゴテゴテを成金趣味とか田舎染みているとかいって嫌った。

 まぁ高い文化いうのは嫌味な年寄りみたいなもので、知っている人には分るけれど、知らない人には教えないようなところがあって、ひたすら隠して分る人にはわかると納得する、そういう意地悪なところがあるな。そこがまた面白いところだ。骨董とかお茶の世界はそんな話のてんこ盛りだ。

 今日も暑かった。地元の美術団体の展覧会の今日は総会やら授賞式などで忙しかった。  

 

何だか、凄くお洒落でかっこよくないか。
 



いらっしゃいませ
あそび亭
 
 例えば、山に入って修行をする人を仙人という。やがて谷に下りてきて俗人となる。もう少しひねると、山に入っているのはまだまだ修行中だ。山中にこだわってはまだまだ本物ではない。本当は街中で市井に埋もれて暮らす事の中に意味があるように思う。田舎の田舎暮らしは当たり前で面白くない。街中の田舎暮らしが面白いとかってに思い込んでいる。所詮ひねくれものの悪あがきみたいなものか。見逃してくれ。



 
はる 3672
 田舎には田舎の独特な匂いがあった。家畜の下肥の匂いだったり、畑や田んぼから匂ってくる土の匂い、草木が腐って醗酵した堆肥のにおい、そういうものが相まって独特な香りをかもし出していた。今はどこの田舎にいってもそんな匂いがない。まぁどちらかと言えばあの匂いの方が本当なんだろうな。

 少し前に今借りている隣の畑の草むしりをしていたら、そんな昔嗅いだ土の匂いがした。あぁそういえば田舎ってこんな匂いがしたなぁと懐かしくおもった。都会の人からみると随分と田舎に暮らしているようだけれど、ここらあたりは街中とあまり変らない。大きなビルがないだけかな。

 管総理が将来的に原発に頼らないエネルギー政策を目指すというようなことを言ったらしい。まぁ今更とは思うけれど、是非ともそうあって欲しい。どう考えてもそうするしか、人類の生き残る道はないと思うのだな。

 国土の何分の一か知らないけれど、戦争に負けたわけでもないのに失って、そこに住んでいた人々の人生を奪って、台無しにして、国民のほとんどの人間に放射能の被曝の恐怖を、ここ何十年も味あわせて、不安にさせて、子孫に多大な負の遺産を残して、未だに何の解決も出来ないでいる原発になぜ恋恋としなければならにのか、私には全く理解できない。

 夏は暑くて、冬は寒い、そんな生活を選ぶことだ。

 



 
はる 3671
 暑い日が続く。そういえば、夏休みというのはいつもこんなかんかん照りの日々だったなと思い出す。じりじりと焦げ付くような太陽が恨めしく思ったものだ。

 小学校の高学年の頃までは淡路島の母方の田舎に兄弟でよく泊まりに出かけた。今から考えると夏休みに五人もの子供がぎゃーぎゃー騒ぐのが耐え切れなかったので、分散させたのではないかと思う。

 田舎の母の実家から見れば、ろくでもないガキが転がり込んで迷惑そのものだったろう。今でも兄弟が集まるとその時の話がよくでる。期間的には4,5年の話なんだけれど、子供の時間と言うのは長く、印象深く、強烈に残っている。

 当時はまだ自動車など庶民の暮らしの中にはなくて、田畑はもっぱら牛や馬を使って耕していた。街中の生活しか知らない私にとって日常生活の中に牛や山羊鶏と一緒に生きている暮らしというのが、とても不思議だった。

 こうやって言葉にすると、凄く簡単に理解したようにみえるけれど、そういった暮らしは今の生活と比べると実にエコでシンプルで理想的なくらしのように見えるけれど、反対に不衛生で不便で不自由なものだったように思う。

 何を選択するかということかな。昔は良かったという後ろ向きな発想は何も生み出さない。そうではないのだな。新たな選択だと思うんだ。

 どうだろう。

 



 
(最も美しくかつ最も深淵な経験とは不可思議の感覚です。それがすべての真の科学の源泉なのです。この感性を奇妙に思う人、不思議におもったり、驚きに心奪われない人というのは、もはや死んだも同然です。我々の鈍感な仲間がそれらを簡単な形で理解できる、最高の知恵や最もまばゆいほどの美しさ--この知識--としてそれ自体を明確にし、我々にとって計り知れないことが本当に存在するのかどうかを知るためには、この感覚が本当の宗教心の中心にあるのです。
−−アルバート・アインシュタイン−精神と科学の合体)

 



 
 夏本番でいよいよ暑くなってきた。アトリエにはもともとクーラーがないので、午後からは仕事にならない。裸に近い格好で、本を読みながら昼寝することにしている。それでもじっとりと汗ばんでくる。もっともこういった暮らし方は嫌いじゃない。日本の夏はじりじりと暑いものだ。打ち水したり、すだれを立てかけたり、風鈴をつってみたり、そんな工夫で夏を乗り切ってきたものだ。窓を小さく作って風通しを悪くして、閉め切ってクーラーをまわすというのはどう考えても、日本の風土には合っていない。

 オール電化でどんどん電気を使って原発をどんどん増やして行けばいいというのは、どこかで上手く騙されていたんだな。今回の災害は一つのきっかけに過ぎなくて、いずれは破綻していたように思うなぁ。

 それにしても年金問題もそうだけれど、いずれ大きな問題になるだろう赤字国債などにしても日本の官僚たちはこの国をどうしようとしているのだろうか、政治が全く求心力がなく、でたらめをやっているにもかかわらず、何とか騙し騙しやってきた官僚の力は認めるけれど、結局はその場しのぎの仕事しかやってはいない。これもいずれは破綻する。

 今日で千葉の山口画廊の個展は終了した。しかし、今しばらく(二三日)は作品は展示してあるようだ。見逃した方は連絡してから見に行ってください。

 次の個展は秋の夙川(兵庫)です。しばらくは暑いアトリエにこもって制作ですな。ではでは。



 
 「猫の後ろ姿」さんに千葉の山口画廊の個展を紹介してもらいました。ありがとうございました。
 http://ameblo.jp/e-no4765/entry-10948323627.html

  審査にでていつも思う事は、まぁそれが当たり前といえばその通りなんだけれど、微妙にずれている。特に多数決で物事が決まってゆく過程で、どこかが微妙にずれてゆく。

 例えば優れた作品を一点だけ選ぶといった場合、多くの場合最高でも5票とか6票とかそんな程度で、後はそれほど差のない得票差が延々と続く。もちろんダントツに素晴らしいものがあれば別だけれど、押しなべてどんぐりの背比べだった場合、それが顕著に表れる。その年の代表作と言うものが審査員の5、6名の支持を得た程度のものであれば、それは代表作とはいえない。

 反対に連名で複数の作品を選んだ場合、特に後の方には無難などうでもいいような作品が選ぶ。そうすると結果として多くの得票を得るのが、その多くの人が最後にぎりぎりで入れたような無難な、悪くすると最悪な作品が選ばれてしまう。

 それでも、多くの人に支持された事には違いないということで、そのままそれが最高賞だったりする。なんであれが選ばれるの?と審査員の多くは不思議に思うわけだ。だれも積極的に一番に推したわけでもない作品が、結果的に選ばれてしまうというマジックが行われてしまうのだ。

 審査員制度をつくって何人かが選んだとしても、やっぱり最終的にはどこか微妙にずれる。審査員が作家だった場合、かなり偏向した眼で選ばれてしまうし、評論家などの場合、実際に作品を作るわけではないので、それもまた頭でっかちで、素直に聞けないところがある。明らかに時代の風みたいなものも影響する。

 まぁ結論めいたことになるのだけれど、結局はどう決めても決定的なものはない。人が選ぶ限り絶対というものはない。反対に言えば、そんなものは決められないといった方がいいかな。どう決めても結局は確かなものではない。一時の慰め、気の迷いにはなるけれど、全人生を賭けるほどのものじゃない。それのために方向を見失ってはならないということか。

 不特定多数の支持を得るよりも、もっと大切なのは結局は個々人の圧倒的な支持をえることで、絵を描いてなんとか暮らして行こうと考えたなら、その事の方がどれだけ大切かということだ。コンクールで受賞してもそれはその一時に過ぎない。時代の風を受けて何となく一世を風靡したように惑わされるのだけれど、案外すぐに忘れられてしまう。本当に根強いのは個人の支持をたくさん持つことだと思う。そこで得た支持というものは決して古くはならない。

 絵描きの場合、それは個展という形で、じっくりゆっくり休まず繰り返して観てもらうしかない。そういった地味な活動をしてゆく事の方が、コンクールで一発世の中に認められるという方法を取るより確かではないかと思ったんだな。で、97年以降はコンクール出品は一切やめて、年3,4回の怒涛の個展開催に切り替えた。今もそれを続けている。
 
 
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