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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 小品のアイディアというのはとても難しい。普通絵は何かしら具体的なものを描写されていて、それが何であるか分るというのが最初の一歩でしょう。何が描かれているのか分らないものなどほとんどの場合、作品にはならない。凄く名前のある人なら別だけれどね。

 だから最初は何か具体的な物や風景をスケッチやデッサンを基にして作品にして描いてゆく。ところがスケッチを基に描くのは簡単な事だけれど、ただそれだけで終わってしまう。誰が描いても大した違いはない。また一枚のスケッチからニ三枚も描けばそれでネタは尽きてしまう。

 右のものを左にして、さらに何かを加えて組み合わせても高が知れている。それに自分自身が描く事に飽きてくる。年に30枚も描かねばならないのだから、最初の一年はなんとかしのげても、次の一年はもうアイデァが尽きてしまう。

 それでも4,5年は何とかやれていた。しかし、そろそろ限界に近づいていたように思うな。自分自身がもう面白くなくなって来たんだな。

 油彩画を止めるきっかけもそこらあたりにあったのだと思うな。
 
 物を描写するという基本的なことから離れた場合、モチーフは自分の心の中を見つめるしかない。これがまたなかなか難しい仕事で、それが絵になって見えるものになって、それに多くに人を巻き込めるようにはなるには時間がかかる。

 今日はここまで、もう少し書くつもり・・。
 
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はる 3641
  震災から三ヶ月が過ぎた。何かが変ったかといえば、何も変っていないような気もするし、まったく変ってしまったようなきもする。政治はあいも変らず茶番ばかりを演じていて、日本の不幸はこんな政治しか持てないというところから始まっている気がするなぁ・・。

 なぜ未だに一企業である東電が事故処理に当たっているのだろう。もう既に一企業が何とかできる規模をはるかに超えてしまっているだろう。下手すれば日本の国土が半分になるかもしれないという事態なのに政府はなぜ傍観して指図しているだけなんだろう。東電などは基本的に営利を目的にした私企業なんだから、安全より儲けを選択するに決まっている。そんな企業に事故処理を任せていいのかね。

 「健康に直ちに影響はない」などと言ったのは、基本的に放射能の被害がどういうものか知らなかったからだと思うな。日常生活していたら、普通に生活していたら「原発は安全だ」という宣伝で洗脳されているから、爆発するなど考えもしなっかたからね。爆発したら放射能のチリが撒き散らされて、ほぼ全員が被曝するなど、もし知っていたらあのような対応はできなかっただろう。

 で、本当は国民の側に立って一番最初に警告を発しなければならなかった組織は原子力安全委員会だったんだな。これがまったく役人根性丸出しで、何の役にも立っていなかった。こやつらが一番悪い。仕事していない。何知らぬ顔でテレビの前に出ていることが許せんな。

 地震がおきたら原発は壊れる、壊れたらどうなるかということを彼らは知っていた。知っていたにもかかわらず、知らない振りして済ませていた。基本的に事なかれ主義で、自分たちの担当の時期さえ無事に過ぎてしまえば、後はどうでも良かったからだ。何もおきないでくれ、おきてしまえば運が悪かっただけと考えていたはずだな。「すみませんでした」と頭を下げさえすれば、時がやがて解決してくれる。今までもそうだったからね。

 
 



 
はる 3640
 一日下地のコラージュから次の壁土を塗り込んだりする。小さい作品は同時に70~80点取り掛かる。ほぼ一年分の下地を一気に作ってしまう。ただこれがそのまま作品になる事はほとんどなくて、気に入らないとどんどんつぶして上に描いてゆくので、おおよそ二倍以上は描く事になるだろう。これが多作なのか、少ないのかよく分からないけれど、私にとってこれが限界かな。

 一つ一つにはあまりこだわらない。どんどん作業を続ける。何も考えない、考えていては前に進まない、無作為状態。面白い、いいと思ったものがいいと自惚れている。今は考える時ではない。どんどんやる。体育会的なノリでやってゆく。

 今の状態だけ見ればほぼ抽象画だな。でもこれでもけっこういい作品があるんだな。下手な絵を描くよりずっといいと思う事がよくある。まぁ言ってみれば自然の一部を切り取ったみたいなものだからね。私と言う人間を通して表現されてはいるのだけれど、私はほぼ無意識状態で作為的なものが抜け落ちているからだ。だからそうするためにには一つ一つで留まって考えていてはいけないのだな。これも修行みたいなものだ。

 で、ここからが難しいのだな。この中に自分のイメージを見つけるのだけれど、描けば描くほど作為的でつまらない絵になってゆく。でまた壊す、描く、壊す、の繰り返しになる。どこで終了するかだな。

 イメージもまたどんどん搾りだす。とことん搾ってもまだまだ出て来る。自分を出すなんてことはまだ甘っちょろい。とことん出して、自分を通り越してその向こうにあるものまで出してしまう。出てしまったというところまでゆく。そこまで行かなければ本物にはなれないのじゃないかな。



 
はる 3638
 山口画廊の画廊通信が送られてきた。毎回楽しみにしている。勝手転載します。不都合があれば削除します。
http://home1.netpalace.jp/yamaguchi-gallery/top.cgi

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画廊通信 Vol.91   花であること

 毎年11月頃、地元の甲府で榎並さんの個展が開催されるのだが、その回から以降1年間の個展には、すべて同じタイトルが冠せられる。よって今回の「遠い記憶」は、昨秋から続く今期のテーマである。個展のパンフレットに、画家はこのようなコメントを寄せている。

 お腹の赤ちゃんの成長は、生物の発生からの進化の様子と、とても似ているそうです。それと同様に一つの作品が出来てゆく過程は、作家の過去から現在までのスタイルの変遷を少しずつ見せているように思います。一つの作品は突然そこに現れてきたのではなく、今までの経験が何らかの形で沈み込んでいて自然に出てきます。一つのスタイルは作家の生き様でもあるように思います。

 さて、ある程度地塗りがいい感じに仕上がってくると、そろそろ画面の中にイメージを見つける仕事になります。ほとんどの場合、最初のインスピレーションはありきたりでつまらないものが多いようです。面白くないアイデアは思い切って捨てます。そうやって何度も何度も繰り返して自分の心の中を覗き込むような仕事をしていますと、少しずつ何かが熟成してきます。時に、自分では絶対に描けないような作品になったりします。

 私の仕事は様々な事柄の底の方にある「遠い記憶」を探し出して、誰でもが共感できるものに形を変える事ではないかと思っています。それが出来たかどうか、今年もまたそんな作品を並べます。御来廊こころよりお待ちしております。

 以上、画家ご本人の個展紹介である。これ以上くどくどと解説じみた事を言うのも、無粋というものだろう。だから今回は視点を変えて、榎並さんの文章家としての側面を、お話したいと思う。

「ブログ」という名称が、いつ頃から一般的になったのかは忘れたが、榎並さんは「ブログ」という言葉が出来る遥か以前から、ホームページを自ら作成して、日々のエッセイを公開していた。ちなみに、現在のカウントは3600番台、という事は軽く10年を越える計算になる。日々の雑感はもちろん、芸術論・宇宙論・人生論・折々の時事問題に到るまで、その快刀乱麻にして縦横無尽、飾らないストレートな物言いは、当り障りのないどうでもいいようなブログばかりが蔓延する中で、誠に小気味良く面白い。時おり、話の途中で「眠くなったので、また」と寝てしまったりするので、こちらはその続きを待っている訳だが、翌日は全然関係のない話になって、忘れた頃に続編が復活したはいいけれど、また寝てしまったりという具合で、その脈絡のなさもいい。

 震災以降は、いち早く原発報道の信憑性に異議を唱え、国民への欺瞞に満ちた対応を舌鋒鋭く批判し、独自の観点からの考察を発信し続けている。毎日欠かさず更新されているので、ここではほんの一部しかご紹介出来ないが、この一年ほどのブログから芸術に関する発言にテーマを絞り、印象に残った言葉を抜粋してみたい。

2010.09.25 表現というのはどうにも不思議なもので、食うに困らない、切羽詰まったものでないところからは、人を心の底から揺さぶるようなものは、出て来ない気がします。もう後がない、やむにやまれぬ、土壇場のところから、本当のものが出て来るのでしょう。

2010.12.07 新しいこと、誰もやっていないことばかりに囚われていると、一向に新しいものは出て来ない。なぜならそれは、今の延長上にあることだから。言ってみれば、誰でもが遅かれ早かれ考え付くことだからだ。縦の物を横にするといったバリエーションでしかない。
 本当の独創というものは、元に戻った源泉から問い直すことからしか、出て来ないと思う。

2011.01.05 大きな団体に属していると、自然にある種のピラミッド型のヒエラルキーが出来る。自然、なんとなく一般の人たちより優位な立場にたってものを言うことが多くなって、いつの間にか自分が偉い人になった気になっていないかな。そこのところ充分に注意しないと、間違いを起こす可能性があるな。
 何も偉くない。ただの風来坊だ。ただの旅芸人みたいなものだ。

2011.01.09 評論家を目指して勉強中という若い人が来た。「これは誰々の影響を感じますね」「この部分は誰それですね」と分析する。確かに当たってはいるのだけれど、あまり気分のいいものではない。
 どんな作家であろうと、作品であろうと、誰の影響も受けない全くのオリジナルということはありえない。一つの作品は、作家がそれまで受けた影響の総まとめのようなもので、どれだけ多くを受け入れたかが作品の奥行きの深さ・重さになって来るように思う。謎解きしたところで、最後には何も残らない。

2011.02.08 多くの人は「私を見て」というために絵を描いている。だからどの絵にも「私が、、僕が、、」という自己主張の声しか聞こえない。一点や二点なら聞いてもくれるだろう、でも大体が飽食で気持ち悪くなる。私は反対に見る人を「引き込もう」と考えている。出すのと入れるのでは180度違う。何か共通の想いを持つこと。誰にでもどこにでもあるものを探すこと。

2011.02.09 少し見えたと思った取っ掛かりは、セザンヌだった。今から考えると、彼の絵は自己主張しているようでしていない。「私が、、僕が、、」と言う声が聞こえないのだ。淡々と内に向って、ただひたすらに根源へと向って降りている。

2011.05.15 できるだけ「わざ」を見せないようにする。まあ決して上手くはないのだけれど、筆が走るところを見せないとか、お洒落な配色をあえて外すとか、上手さを見せるなら徹底して上手ければそれも持ち味になるのだろうが、そこそこ上手い程度じゃどこにでもいる。だから徹底して外すことを良しとしている。
 好みの絵もそういった絵が多いな。上手さが見えると「なあんだ、あんたはそれを見せたいのか」と、底が見えたようでがっかりする。下手くそな、無器用な、作為の見えない絵がいいな。まあ、傲慢な独り言だ。見逃してくれ。

 こうして過去のブログをひっくり返していると、幾らでも抜き出したい言葉が出て来てしまうので、この辺で切り上げようと思うのだが、もう一つだけ、初回展の時に寄せて頂いた言葉を掲載しておきたい。どうして一昨年のブログなのに、ここで特別に取り上げるのかと言うと、自慢したかったからである。私はこれを読んだ時、胸が熱くなった。ここまで言ってもらえたら本望だ、思い残す事はないと思った。以下、その時の抜粋である。

2009.07.20 銀座には200も300も画廊がある。それも雨後のたけのこのように出来ては引っ込んで、また新しく出来るといったことを繰り返している。そのほとんどが一般に貸し画廊というレンタルスペース専門の、画廊とは名ばかりの展示場でしかない。本来画廊とは画廊のオーナーの眼力を問う場であって、金さえ出せば出来るようなレンタルスペースは、画廊とは言わないのじゃないかな。銀座みたいな場所だから経営は成り立つけれど、画廊の本来の仕事をしていない。

 私がもし画廊をやるなら、貸しスペースなど一切やらないな。独断と偏見で自分の好みを一方的に押し付ける。私が選んだ、私が見い出した、いいと思った作家のみを扱って誰の意見も聞かないその代わりにだめだったら、その責任をとってやめる。そういったものだろう、画廊というのは。生きるか死ぬか、真剣勝負の場所だ。

 山口画廊のオーナーは、そんな画廊本来の仕事に情熱を傾けている。ほぼ一ヶ月に一人の企画、年間で12~3人しかやらない。これだけ聞いてもその姿勢がわかる。なんとか報いたいと切に思う。

 昨年のブログの中で、榎並さんは石原吉郎という人の詩を取り上げている。不勉強にして、初めて耳にする詩人だったが、一読して何か異様な気迫を感じた。深い内省の中から、揺るぎない決意を秘めて、厳しく起ち上がる言葉。今回ブログをさかのぼっていたら、思いがけずその詩に再会する事になったのだが、震災を越えて今、この詩は津々と更なる輝きを発するようである。

 調べてみるとこの詩人は、戦後シベリヤの強制収容所に、8年もの間抑留された経験を持つ人であった。だから「花であること」と題されたこの詩の中で、「花」という言葉の持つ本当の重みは、たぶん私達には分からない。徹底して無抵抗で脆弱な存在、否応なしに翻弄され、踏みにじられ、為すすべもなく消えゆくもの……。

 震災以降、芸術に何が出来るのかという問いを、よく耳にする。芸術の存在意義が問われる、困難な設問である。しかしそもそも芸術とは、実用から離れた純粋な表現であった筈だ。とすれば、元来芸術に実用価値はない。よって災害や戦争といった極度の暴力の前で、芸術はあらがう一切の手だてを持たない。この「何も出来ない」

「何の役にも立たない」という覚悟から、芸術は始まるのではないだろうか。作家はただひたすらに役に立たないものを、命を削って作り上げ、世に送り出す。それをどう受け止め、どう活かし、どう役立てるのかは、徹底して受け手に委ねられている。芸術の存在意義は、むしろ受け手が作りゆくものではないか。

 ならば送り手である芸術家の為すべきは、せめて受け手にまで響き到るような、強靭な「花」を咲かせる事だ。強大な力に翻弄され、為すすべもなく蹂躙されてなお、幾度も幾度もその下から、よみがえり咲き直す、力ある一輪の花を。

 昨年の個展に際して、案内状には「こしかた(一輪の花)」と題された作品を使わせて頂いた。一人の女性が、かけがえのない思い出に囲まれて、祈るが如く捧げ持つ一輪の花。それは人生という歩みの中で、ささやかに彼女の咲かし得た、誠に小さな一輪であったのかも知れない。しかし榎並さんはその物言わぬ花に、誰の心にも清らかな微笑みを灯す、確かな質実の力を宿したように思える。

 前述した石原吉郎の詩を、最後に記したい。


 花であることでしか
 拮抗できない外部というものが
 なければならぬ
 花へおしかぶさる重みを
 花のかたちのまま おしかえす
 そのとき花であることは
 もはや ひとつの宣言である
 ひとつの花でしか
 ありえぬ日々をこえて
 花でしかついにありえぬために
 花の周辺は的確にめざめ
 花の輪郭は
 鋼鉄のようでなければならぬ


  山口画廊 / 山口雄一郎

 




2011年 6/22(水)~7/11(火)
第56回・榎並和春個展
個展タイトル「遠い記憶4」

千葉・山口画廊
〒260-0033
千葉市中央区春日 2-6-7
春日マンション 102
Tel.&Fax. 043-248-1560

 
 今月の22日からの千葉の山口画廊の個展のDMが仕上がってきた。このDMになっている作品のタイトルは「逃避行」だ。この作品を描いた頃はまだ東関東大震災がおきる以前のことで、もちろん原発の放射能もなかった。今から考えると随分と平和な世の中だったんだなと思う。ほんの少し前だけれど、それ以前とその後というのは人生観を違えるほど変ってしまった。

 常識の中では物事から逃げるのは卑きょうだということになっている。逃げていたのでは何も解決しないのだとね。けどね、それが出来る人なら雄雄しく戦って行けばいいのだ。でもそれがみんな出来るかといえばそうじゃないね。私なんかはだめ人間だから、あまりにも大きなプレッシャーがかかると逃げ出してしまう方だろうな。

 逃避行はけっこう私の人生そのもの、生き方だったりするな。どうだろうか。



 
 はる 3634
 恒例のスケッチに出る。学校の近くの小さな川辺に大きなケヤキが並木になっているところがある。こうやっておとなしく絵を描いている様子はなかなかいい。白い髭の爺さんが孫たちを連れて絵を描いているほほえましい光景に周りからは見えるであろう。が、内実はそうでもなくて、けっこう脅しをくれているので、仕方なしにやっているところもあると思う。

 彼らには芸術の選択権はなくて強制的に美術を選ばされている。だから当然好きでもない、嫌々しぶしぶやっている奴もおおいだろうな。でもまぁ、こうやって嫌々でも絵筆を持ったという経験はやがていつかは思い出となって彼らに残ってくるのだ。今日も「一期一会」の話をしたのだけれど、絵を描く機会など社会にでると全くない、いずれ退職して暇になったらと思っているかもしれないが、暇になっても絵など描かないのだ。いまここで絵を描く事が最後なんだ、たぶん。

 絵など描かなくても暮らしてはいけるだろう。何も不足は感じないで一生絵と関係なく生きてゆく事は可能だ。でもなぁ、考えてみてくれ。古今東西、おびただしい絵や彫刻やオブジェなどが、人類の財産として宝物として残されているんだな。それはなぜなんだろうとね。

 まぁそんなことを話をしたけれど、彼らには何も伝わっていないかな。



 
  今の仕事のやり方になって今までと大きく違うのは、絵の具の使用頻度がすくなくなったということだろうか。絵を描いているという時間より物を作っている工作している、布を切ったり貼ったりしていることの方が断然多くなった。絵の具の変わりにどこからか買い集めてきたプリント地の布が絵の具に変って下地の色やマチエールになる。

 元々私は工作少年のなれの果てのようなところがあって、無い物は自分で何とか工夫して作ることに生きがいを感じる子供であった。私の部屋の片隅には家中の要らなくなった箱や布や壊れた道具が集まってガラクタ置き場のようになっていた。

 何でも糊で固める今のやり方のルーツは紙粘土でつくった人形にあるきがするな。元々はリアルな動くロボットを作りたかったのだけれど、そのうちに人形になってしまった。紙粘土も新聞紙とのり(こののりも自家製の糊でメリケン粉で作った)でつくったものだ。

 油絵などよくは知らなかったけれど、どこかで手に入れたラファエロの絵を板に貼ってニスを無って油彩画のような雰囲気にしたり、ガラスに裏からカラーマジックで絵を描いてステンドグラスのようにして飾ったおぼえがる。やっていることは基本的に今と変らないなぁ。

 先日新聞の仕事の話に音楽家の松任谷正隆の話が出てた。自分は好きな事をしてきたんだから、別に売れるとか売れないなどというのは考えてこなかった。好きな事をやる、やり続けることの方が大事じゃないか、という風な事が書かれていた。まぁ成功した彼だからいえることだけれど、基本、仕事というのはやりたい事、好きな事をやりたい。家族とか収入とか色々考えるとなかなか思うようにはいかないのだけれど、やりたい事やって、例えば一生うかばれなくても、それはそれでいい人生だと言えないかな。この歳になったからいえるのかもしれないけれどね。



 
裸婦クロッキー展
6/4~6/19
(6/13休廊)
三彩洞
甲府市貢川1-1-12
055-226-8393
私も二点ほど出品します。
はる 3631
 毎年秋になる今年の稲の生育状況なるものが発表されて、今年はややいいとか豊作だとかランク付けされる。これは個々の田んぼの生育状況から全体の状態を推測して判断するのだろう。

 似たようなことだけれど、選挙結果などもまだまだ開票状況が半分にも満たないのに早々に当確が出たりする。ほとんど間違う事がないのはいつも不思議だなぁと思っている。

 確立の話は二次世界大戦のころから盛んに研究された始めた新しい学問だ。その頃から開発され始めたコンピュータと連動する事によって情報さえ正しく入力されれば、かなりの正当性のある予測ができるようになった。

(文部科学省が放射能影響予測スピーディなるもので早い段階で知りえた情報を発表しなかったということを今ここで話題にするためにこの話を持ち出したのではない。しかし、このことは今回の原発問題を象徴する出来事だな)

 すこし理屈っぽくなります。我慢して読んでください。

 「いま」の私は「10年前の私の選択」の結果になるわけだ。もっと言えば私が生まれてから今までの連続した選択の結果が「いま」の私を形作っている。ゆえに「いま」の自分というのは過去の自分の集積したもので、いまに過去が凝縮していると考えらる。「いま」の自分から過去の自分を推測する事はそう難しくない。稲の作柄のように今の一瞬を見ることで、今までの自分を知る事が出来る。

 そして同じように、今の延長に未来があって、将来どんな人生になろうが、必ず今を始点にした延長線上に未来の私があるわけで、また同じように「これからの私」というものも推測できる訳だ。

 もう幾度となく話題にしているので、新しくはないのだけれど、この話を一人の人生の話ではなく時間を無限大に引き延ばせば宇宙の生成の話になり、そして永遠の未来の話にもなる。

 一人の人間の「いまここ」の中に永遠が見えるということだ。 

 お疲れ様でした。
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