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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 3739
 こんばんは。反原発のデモはどうだったのでしょう。行けなかったので、ブログで反対のメッセージをおくります。
 「原発は緩やかに廃止、太陽光発電やその他自然エネルギーの研究や普及にその予算をつぎ込むこと」

 「小さな国、少ない国民、不便な道具でも大きな国に負けない、素晴らしい文化を持って、ゆっくり丁寧に誇りを持って生きてゆけるんだということを世界にアピールすること」

 
 
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小林宏 個展
2011 9/18~25
21日休み
ギャラリーイノセント
甲府市丸の内2-12-3
TEL 055-222-4402 




深沢弘昭個展
2011 9/17~9/25
11:00~18;00
三彩洞
甲府市貢川1-1-12
055-226-8393
はる 3737
 「日々礼賛」 下書き

 私事ですが、今年二月にお袋を見送りました。それに来年四月で亡くなった親父の年を越えます。それがどうしたと言われればこまるのですが、これからの20年をどう生きるのかと考える節目にはなりました。

 三月には信じられないようなことが起きてしまいました。ごく普通に暮らしてきた何気ない日常が、突如断ち切られて明日からはもうないという、そんな日が来ることがなかなか信じられませんでした。深い悲しみと不安と怒りが今も消えません。

 何気ない日常がいかに大切でいとおしい事か、そんなことを痛切に感じた一年でした。

「日々礼賛」は私の造語です。種を明かせば谷崎潤一郎の「陰影礼讃」からとりました。今を生きる私だから当然震災のことも頭の片隅にありました。けれどその事を直接的には表現したいとは勿論考えていません。私なりの意味は「何気ない日々がすべて」という気持ちをこめたつもりです。

 祈りと懺悔と感謝、それらが表現出来たかどうかわかりませんが、今年もまたそんな作品を並べます。御来廊こころよりお待ちしております。



 
 カマキリの共食いを見た。食われていたのはオスだったのかな。自然は無駄がない、けれど苛酷だな。



 
くだらない時代小説が好きで、いつも懐に文庫本をしのばせている。テレビや映画と違っていつでもどこでもホンの少しの時間でも読むことができるので、時間つぶしにはもってこいである。普段の生活の中にはけっこう細切れの捨て時間というものがあって、何かをやるには足りないけれど、ただ漫然と過ごすにはもったいないという時間が多い。例えばちょっと買い物に付き合って車で待っている時間とか、ご飯を食べて満腹になって少しごろんと寝転んだ時とか、夜寝る前のまどろみ前の数分とかね。

 こんな楽しみを発見したのは最近の事だな。もっと昔子供の頃から読書の楽しみを知っていたら、もっと違った人生だったかもしれないな。すこし損した気分。

 そんな馬鹿小説でもところどころいい言葉がある。まぁあまり書き留めることもないのだけれど、下の「善人は不善人の師、不善人は善人の資」という言葉に何かを感じた。前半の「善人は不善人の師」これは分る、でも後半の「不善人は善人の資」って何だと思った。まぁ元々は老子のはなしだそうだから、どこか人を食ったようなたとえ話なんだろうけれどね。

 その「天秤」をもった女性のタイトルを考えていた。昔からこの天秤というのは「善悪のはかり」と言う意味で象徴的に用いられることが多い。最後の審判ではないけれど、人生の最後に今までやってきたいいこと悪いことを推し量られて天国に行く人と地獄に落ちる人がジャッジされる、そんな意味かな。

 んでまぁ、完全に善だけの人なんているのかな、反対に悪だけの人というのもいないのじゃないか。いいと思った行為も違う面から見れば悪だったということもあるわけで、反対に最悪だとおもったことも、取り方にによれば良かったということもある。

 善と悪は表裏一体のもので、必ず両面あるんだな。だから簡単にこれは善、あれは悪とは決め付けられないということだな。「不善人は善人の資」というのはそのことを言っているんだと思ったわけだ。



 
はる 3731
 「平均律」と「ボヘミアン」の違いについて、続きを書きましょう。例によって思いついたまま書き進めるので、つじつまはあわないかもしれませんがあしからず。

 「平均律」は言ってみれば外からの色々な条件で出来上がっている。どういうことかといえば、例えば絵を描く動機自身がコンクールのためであったり、公募展でいい評価を得たいというスケベ根性が根底にあったり。例えば、和風な雰囲気を取り込みたいと言うのは自分の欲求というより、どちらかと言えば日本人であるならこうあらねばという義務感のようなもので、西洋に対抗するなら東洋的な手法を取り入れるべきだ・・とか。構図は源氏絵巻などの吹き抜け屋台風に斜め45度あたりから眺めた目線にするとか・・頭でっかちに色々考えてそうしたこうあるべきだと言うような考え方で出来ているように思う。規制する条件はほとんどがこうあるべきという幼稚だけれど理論で組み合わされている。今考えると誠に浅はかだけれど、まぁ仕方ないな。そんなところも私なんだから。

 大体において私は理屈家で、原理原則のようなものが好きだ。予定外の事に臨機応変に対応する事が苦手である。だから本当は公務員のように毎日決まりきった仕事を淡々とこなしてゆく方が性分に合っているのかもしれない。

 それに反して、「ボヘミアン」はほとんど何も規制するものがない。でたらめに絵の具やコラージュをして、その中から浮かんで来たイメージを妄想をたくましくして話を作っている。だから中から出てくるのを待つというまぁ他力本願のようなところがあるけれど、積極的には私は絵を描いていない。

 またもう少し書くかな。眠くなったので寝ます。



 
「猫の後ろ姿」さんがバールスローの記事を書いてくれました。
 http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11013266276.html

 ちょうど二階で彼の主催する「猫町古本市」を開催しています。取り残されたようなボッコイビルですが、甲府の街中では一番文化度の高いところです。是非一度足を運んでください。
 http://ameblo.jp/e-no4765/entry-11007796167.html

 
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