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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 全く懲りずに阿呆なことを言っている輩が利権に絡んで何とか既得権だけでも我が物にしようと最後のあがきをしているので、この国は末期的だなと情けなくなる。普通に常識的に考えてもう原発はだめだろう。何を考えているのやら。
 
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美術館コンサート
 
 美術館で日曜日はロビーでコンサートがある。今日はサキソフォンとピアノの姉妹のDUO、クラッシクのサキソフォンやクラリネットはどうもどんなに上手く演奏してもどこか滑稽だな。失礼だけどチンドン屋を彷彿させる。ドビッシーとかドボルジャークをやっていたけれど、日本の城ヶ崎の雨が一番良かった。私が下世話だからだな。申し訳ない。



 
はる 3653
 私たちはとんでもない過ちを犯した。どう悔やんでも取り返しのつかないことを仕出かしてしまった。薄々気がついてはいたんだけれど、強く反対しないでいたために、賛成もしくはどちらかと言えば賛成と捉えられていたようだ。こういうことって結構多いよな。

 「絶対安全です」と繰り返していると、何だか安全なんだと思ってしまうところが恐ろしい。安全だから壊れたことの準備や供えは必要ないんだ。もしもと言う事がない、なぜなら「絶対安全」だから。で壊れたら「想定外でした」と頭を下げればいいと考えている。

 弁償するとか、保障するとか、そんなことを本当に出来ると思っているのだろうか。汚れてしまった大地や空気や水や森や海は先祖から仮に預かっているものだ。当然普通に子孫に残して行かなくてはならない。元通りにするのに百年も二百年もかかるような、人間業でないものをどうやって弁償するというのだ。

 総懺悔だな。ほんとうに申し訳ない。だから50歳以上の我々は進んで汚染された食べ物を食い、よごれた大地をきれいに掃除するんだな。で、出来るだけ汚染の少ない食料は若い人に譲る。それで原発は我々が生きている間に全て停止するようにする。それが反対の意思表示をしてこなかった最低限の我々の責任だな。



 
はる 3651
 いつの間にやら今日は午前様になっていました。今日も忙しい一日だった。

 午前中は美術館に出かけてグループ展の会場当番、その後デパートに震災のチャリティー展の様子を見に行く。千葉の山口画廊では個展が始まった。場所は違うけれど今三箇所で展覧会が同時進行で開催中。売れっ子作家のようだ。

  上の作品は昨年の国展に出品した作品。今年の作品は地方巡回で間に合いません。来年出す事になるでしょうか。私の描き方だとアトリエが狭いということもあってF130号が限界です。で、ぎりぎりいっぱいの絵を描いたとしても、こうやって大きな会場で見るとどうしてもせせこましい詰まった感じがする。

 アトリエだけの問題ではないようにも思うけれど、やっぱりその器というのは知らず知らずに影響を受けるものだと思うな。兄貴から養殖魚の話を聞いた時になるほどなぁと感じたのは、どんなに大きくなる魚でも人工的なイケスで養殖した場合、外洋で取れる魚のようには成長しないそうだ。その器に合った大きさにしかならない。ということから考えると、例えばアメリカの現代作家のようにでかい工場跡みたいなところで仕事している作家には、スケールと言う事で比べると勝てるはずもないな。

 絵はスケールというのか大きさで勝負するものではないから、一概に彼らの方がいいとはいえないのだけれどね。一つの要素で考えるとお話にならない。

 絵の描き方にもよるのだろうけれど、例えば(佐々木豊説)で言えば、編み物派というのかな、どんどんつなげて行く描き方だといくらでも大きくすることが出来る。植物とか原始的な静物が増殖してゆく様子に似ているかもしれない。あえて全体を考えない。出来上がったのは作業が終わったところ、という描き方だ。建築でもガウディなどはこれに近いかな。どちらかと言えば女性の作家に多いように思う。

 反対に我々というのか男性の作家は構築派というのか、全体を一つとして見るというのか、そういった傾向が強いように思うな。閉じられた一つの宇宙を絵の中につくり出すということかな。だからある程度全体を把握していないと不安なんだな。だから手に余るような大きな作品は描けない気がする。どうだろうか。

 眠くなった。



 
 「美術の窓」七月号寸評p173
 *「時分の花」とは世阿弥の「花伝書」の中にある言葉である。若いときには若いときの花があり、老人には老人の花があるという意味。ふたつのパートからなっていて、右のほうには車椅子の老人、そばに別の老人が座っている。左には能を舞う人がいる。画面から独特のリズムがあらわれてくる。・・・以下略

 今地方を巡回している今年の国展の展覧会の寸評が出ている。昔は各新聞社も必ず団体展の展覧会評を掲載していたものだが、いつの間にかほとんどの新聞は載せなくなった。単に名前の羅列で終わっていた展覧会批評など意味のないことだったが、それはそれで載れば励みにはなった。誰も見てはいないのだけれど、当人にとっては大事なことだったな。

 この「美術の窓」の団体展批評は最後まで残った珍しいケースのように思う。一つ一つ画像も掲載されているし、何よりも只であるというのがありがたい。その分著作権など細かい事は主張しないという暗黙の了解で成り立っているようだな。明文化はされていないけれど。




  今日は忙しい一日だった。午前中山口画廊の山口さんが今度の個展の絵を取りに来た。少し休んで昼からはバールスローで飯野さんの浅川伯教についての話を聴く。戦前、戦中の朝鮮の焼き物の研究及び紹介に尽力した日本人の話。今でこそ李朝の焼き物と言えばその毅然とした素朴な味わいが好事家の間では人気だけれど、当時は地元の朝鮮でも誰も振り向かないただの民間の焼き物だった。その美しさを発見して窯場を発掘研究して世界に紹介したのがこの浅川伯教・巧兄弟だった。興味ある話ありがとうございました。

 展覧会のご案内二つ。
 「第21回スクエア展」 
併設「保坂公久個展」

6月21日(火)から26日(日)まで
山梨県立美術館県民ギャラリーB
21日正午から 26日午後4時まで


山梨美術協会
東日本大震災復興支援 チャリティー展

2011年6月22日(水)~27日(月)
午前10時~午後7時 
(22日は午前10時半から、27日は午後1時まで 
【会場】 山交百貨店 5階催事場

diarys.jpg

diary
F3  2011
チャリティ展出品作
 




 
はる 3646
 原発の事はあほらしくて、ばかばかしくてもう話題にしたくほどだ。これほど国が国民をないがしろにしているとは思わなかった。多くの人はそれでも国を未だに信じていて、悪いようにはしないだろうなどと考えているようだ。

 今頃になって放射能の値を計りだしてあまりに高濃度などで驚いている。もう既に原発の爆発から三ヶ月以上過ぎてしまって、あらかた大きな濃度のものは出てしまった後なんだ。一番凄い濃度の時は3/15日前後でその頃の濃度を10,000とするとたとえ今から原発が爆発しても10,001になるか10,002になる程度だ。(武田さんの説より)

 今からやれる事は出てしまったチリを出来るだけ飛ばないように、染み込まないように、拡散しないように、一箇所に集める事だけだ。国は悠長に傍観しているのではなく、揚げ足取りの茶番をやっているのではなく、積極的にメッセージを出して、人員も出して一日でも早く掃除する事だろう。それでもどうなるか今までの経験がないので分らないのだけれど、今やらなければ半世紀人が住めない場所がどんどん広がって行く事になるだろう。

 我々はモルモットみたいなもので、いまだかつてこれほど狭い地域で、人口の密集地近くで放射能汚染があったことがないので、興味津々で見ていると思うな。それでも我々はここを捨てて生きては行けない。私たちはここで生きてゆくという選択しかない。

 しかし、もしこれからの若い人たちがここを出て行くというならば引き止めることはできない。出エジプト記みたいな悲劇だな。



 
はる 3645
 はっきりとした方向が見えていたわけではない。当たり前に取材して構想を練って下絵を描いてという手法がまどろっこしくて、物事の説明で終わるような気がしてね。どうにも自分のがさつな性格には合っていないように思えた。

 それに、下絵を描いている時のウキウキとした楽しい気分が本画になると感じられないのも不満だったな。どうなるか分らないけれど、手探りで試みている時の方が絵を描く醍醐味があるような気がしたんだな。

 いつ頃からかなぁ、まったく下絵を描かなくなった。大きい絵でも小さい絵でもほとんど同じで全てぶっつけ本番で、絵の中に絵を探すという全く成り行き次第でどうにでもなる描き方に変った。だから見る人がみたら、全くでたらめなことを平気でやっていると見えるだろうな。

 絵の中に何かしらの物語があるのが好きだ。人によってはそういった文学臭を嫌う人がいるけれど、私はあるものを否定する方が不自然だと思うな。形ある絵には元々物語がついているのだ。人は形あるものを見た時に自然に何かしらの物語を感じているはずだ。抽象的に美しいと言うこともあるけれど、それもどこかで見た風景や光景の一時のかたちであったのではないかな。よくわからないけれどね。

 まぁ凄く難しいのだけれど、だからと言って挿絵のように物語の説明に始終してしまったら、それはそれで違う。

 ここでまた眠くなった。すまん。

 



 
はる 3643
 美術部の生徒から「美大に行きたい」という相談を受ける。そうだな、彼らは簡単に将来の夢として画家とか工芸家など作家活動が出来ると考えているんだろうな。わかる、わかるから余計に心配してしまう。本当に真剣にそれでいいのかなんてね、美大など出ても作家など簡単にはなれないのだよと口から出そうになって、飲み込んだ。余計なことだよな。

 自分のことを考えて職業として選んできたという自覚はあまりない。色んなことをやってきて、最終的にこうなってしまったというのが本当のところだ。きらきらと輝いて、希望に満ち溢れて作家を志望して来たわけではない。だからまぁ、あまり夢を壊さない程度に勧めるしかないか。

 誰かが書いていたけれど、「作家」は人として最後の職業だから最後までとっておけと。世界一周して最後に作家になってもいいし、もっといえば泥棒やって最後に作家になってもいいわけだ。人生の経験が全て無駄なく肥やしになるのが作家だといわけだな。そこまで待てということか。

 
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