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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 「記念日」部分
 今年、銀婚式らしい。別に何もしないけれど、あれから25年も経ったか。相方よりあまり個人的なことは書かないでほしいということなので、ほとんど話題にもしないのだが、いつのまにやらそんな年になってしまった。夫婦はお互い様、われ鍋にとじ蓋 みたいなもので、どっちもどっちだな。全く赤の他人が何年も同じ屋根の下でくらしているのだから、不思議といえば摩訶不思議。まぁこれからはどんどんお互いに年取って行くのでね、ますます寛容になってゆかねばと思っている。じっくりゆっくり楽しんでやって行ければ、それでいい。
はる 2757
 仲代達也が新聞で面白い事言っていた。役者というのは万年失業中なんだ。その芝居ごと雇われて、終ったら失業状態になる。失業保険もないし、年金もない、病気になっても何の保障もない」。彼のクラスになってもそうなんだ。だからまぁそれが普通であって、特別な事ではない。うろたえるなとね。やりたい事やるということはそういうことなんだ。それだけの覚悟があるかどうかということだろう。

 役者に限らないけれど、芸人などという奴は河原者、風来坊、元を正せばどう観てもまともじゃない。歌舞伎俳優など今じゃ名門などと言っているがね、よくよく調べてみれば士農工商の枠外に存在した流れ者でしかない。世間からはみ出せばはみ出すほど歌舞伎者として一流となった。

 庭師や石工、生け花やお茶もそうかもしれない。芸事のルーツは全て流れ者だ。だから面白いのだな。

 
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ここが私のコックピットみたいなものか。ごたごたと無秩序にものがある。左の方には家電とファックスがある。しかしまぁ家電などこれからどうなってゆくのかな、ネットで使わない人には無用だよな。携帯がこれだけべんりになればね。

 何処かのブログを読んでいたら、こんな事が書かれていた。人類は地球にとって癌細胞みたいなものだ、ってね。確かにそんな気がするね。最初はね、人類も可愛いものだった。けれどここのところの様子をみていると完全に癌化しているね。癌も共存している内は生きてゆけるのだけれど、寄生主そのものが死んでしまえば元も子もない。今はそんな感じだよ。

 「地球に優しい」なんておこがましい。だれがいたぶっているんだよ。地球にとってはお前に言われたくないっていうだろうね。癌の分際で何言ってんだ!お前がいなくなるのが一番優しいんだよってね。まぁいずれ人類は長くないとおもうね。これだけ増えてしまってやりたいようにやってしまったんだからね。いまさらエコだエコだと叫んでも遅い気がする。

 眠くなった。また



 
はる 2755
 年々正月らしさが感じられなくなる。正月が楽しかったのは小学生の頃までかな。絵に描いたように独楽をまわして、凧揚げをして遊んでいた。低学年の頃はテレビもなかったしね。そんなことして過ごすしかなかった。

 住宅事情が悪かったのか、暖房設備も充分でなかったので、随分と寒かった。なんせ家には火鉢ぐらいしかなかったからな、寒いはずだよ。

 据え置きのラジオがあってね。もちろんスイッチを入れるとすぐには音の出ない真空管だった。大きさは小さな洗濯機ぐらいあった。天井部分が開くようになっていてレコードがかけられるようになっていた。家にあったレコードで覚えているのは誰が唄ったのか、五木の子守唄だった。家族がそろってミヤコ蝶々とナントユウジの「夫婦善哉」なんか聴いていた。休みの日は浪曲の放送なんかがあって親父が良く聞いていた。午後10時になると「ミオツクシの鐘」をあいずに電灯を消して寝るといった生活だった。

 まぁそれでも今よりおめでたい感じはあったな。
 



 
はる 2754
 不況の嵐でリストラにあっているサラリーマンなんかも多いかもしれないなぁ。日本はまぁ昔から終身雇用制が長くて、一度就職してしまうと衣食住すべての面倒をみてもらうかわりに、おやかた様には絶対服従みたいな、一種の小さな封建体制のような雇用形態を取っていた。もちろんそういった主従関係は悪い面も多いけれど、慣れてしまえば,安心とか安泰とか安住とか安堵とか得られやすいのかもしれない。

 会社の規模が「・・商店」クラスの大きさの商いならそれでも成り立つんだろうな。人には色んな能力があるのだけれど、まるっきりお荷物な人材でも、小さい商店ではそれなりの仕事が与えられて生きて行けたのだろう。

 何時の間にかね、効率が全て、能力が全てということになったら、どうしてもそういった社会からあぶれてしまう人が出てくるわな。社会というのは色んな人がいて成り立っている。病気の人もいるし、今生まれた人から明日にも死ぬかもしれない人がいる。身体的にハンディを持っている人もいれば、喧嘩っ早い人もいれば、能力がまるでない人もいる。

 役に立つ、便利だ、効率がいい、有能だ、という何だろう、一方的価値だけで世の中が判断されると、どうしても半分のひとはあぶれてくるだろうな。えい、もいどうでもいいや、とやけになる気持ちも良くわかる。

 例えば反対を考えれば、役に立たない、不便だ、非効率、無能だということになるな。落語の世界はよく出来ていて、今言ったそのままな熊さん八っあんが知恵者のご隠居さんとのやり取りで、どうにかこうにか生きている。究極的なスローライフって訳だな。

 派遣をリストラされた人に臨時の職をなんてやっているけれど、これはねぇ上から目線の発想のような気がするな。そんなものじゃ本質的な解決にはならんのじゃないかね。まぁ一時凌ぎにはなるけれど。まぁちっと冷たいけど、派遣というのはもともと臨時雇いという意味でしょう。正規社員じゃないから要らなくなったらポイされるのはしょうがない。正規採用をリストラされたんとは大きく違う。就職しないで生きるには根性がいる。

 結局ねぇ今の社会から必要ないといわれているのだから、とっととそんな社会からドロップアウトしてしまえばいいのだ。まだ一人前に有能な人間の幻影を担いでるから生きてゆけないなんて思う。

 田舎がある人は田舎に帰って小さな畑でも田圃でも耕せばいい。晴耕雨読、自分ひとりぐらいなんとか生きてゆけるだろう。それもダメなら根性決めて、お経の一つもおぼえての漂泊の旅にでる。日本はまだそういった行者には優しい所があって、一宿一飯恵んでくれる人もいるだろう。喜捨すれば浮かぶ瀬もある。やがては我々全てが同じ道を行く事になる。
 


はる 2753
 2009年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
 



百年に一度の大掃除
 
 今日は大掃除。普段めったに掃除しない棚の上のガラスの花瓶も掃除する。塵も積もれば何とやら、ふかふかの絨毯のよう??

 午後からはご無沙汰のご先祖さんの墓参り。そのままいつもお参りしている神社に今年の報告参り。来年もいい年でありますように・・。

 これで今年はお終いです。一年間どうもありがとうございました。また来年もよろしくお願い致します。


はる 2751
 mさんへ
「20年程前に原点回帰のブームがありました。バブルによって日本人が自信をつけて、はて何故油絵(西洋画)を描いているんだと気付いたことが始まりだった気がします。私の摸索もそこから始まりました。

 色んな飾り物を取り去って一つずつ前に戻ってゆくと、絵は単に描く物(絵の具)と描かれるもの(紙、や布など)に還元されてしまう。

 で、絵の具は「色の粉」をどんな糊でくっ付けるか?で水彩画(アラビヤゴム)、日本画(にかわ)、油絵(亜麻仁油など)と変化してゆく。

 どこに生まれたのか、どんな時代に生きたのか、によって画材は様々に変化する。変わらないのはこの何とも分からない自分と言う存在を見つめたいという気持ちじゃないかな。

 まだ上手く書けません。すみません。ではまた」




はる 2750
 画材1
 ある雑誌から画材についてのアンケートがきた。いつものようにここでは下書きのつもりで書いてみる。言い回しなどがおかしいかもしれないが、まぁ今考えながらの文章なので勘弁してもらいたい。

 画材は何ですか?と言う質問はよく受ける。見た目が普通の肌合いをしていないので、取っ掛かりとしてそういった質問をするのかもしれないな。材料はこれこれで、どこのメーカーで、どこそこで購入できるなどということは簡単に答えられる。秘密にする気もない。

 けれど、その部分だけを取り上げると全く本質を見失ってしまう。画材のための画材、道具のための道具になる。風見鶏のように何々風がはやればそちらになびき、これこれ風が流行れば又そちらと忙しい。たとえば受験があればそのための傾向と対策が考えられるように、どこまでいってもあなた任せでままならない。かつても私がそうだったように・・。

 材料を選ぶ事自体が自分を見つける、探す旅のはじまりだ。自分に合った画材を見つけることは、絵を描く行為の一部だということだ。その材料を見つけるに至った過程にその人の必然があるわけで、画材そのものにはあまり意味はない。

 私たち日本人は伝統的に「優れたものは海を渡って来る」という遺伝子を持っている。弥生時代の稲作に始まって、仏教や遣唐使の唐物、文明開化では西欧の舶来ものが大挙して押し寄せてきた。最近ではアメリカものかな。

 今の人はどうか知らないけれど、私には油彩の方が何かしら高級なものというイメージがあった。これも伝統的な舶来ものの固定観念のなせるわざなんだろうな。

 全てをフラットに並列に観ると言う事はとても難しいことだけれど、ちょっと考えてみて欲しい。絵を描く材料と言うのは何でもいいのだ。例えば絵の具は「色の粉」をのりで固めたものと考えればいいし、キャンバスはそこらにある板でも、ベニヤ板でも、紙でも布でもいい。筆は学校の教材の筆でも障子を貼る刷毛でも充分使える。

 野の鳥は今現在手に入る材料で巣を作る。特に本物の草でなければとか、藁でなければとこだわることはない。カラスなど庭にある針金のハンガーを器用に使ってオリジナルな現代美術のような巣を作る。今を生きている我々は、今現在身のまわりで手に入るもの全てが画材だと思う。例えそれが身体に悪いものであっても百年後、ニ百年後の人々が見て、今の時代を象徴的に表現されているものであるなら、それも有りかなと思う。

 問題は材料ではない。その材料を選んだ自分のこころの中味が問題なのだ。



 
はる 2749
 今回の金融危機などはアメリカの一人相撲みたいなところがあって、実際これまでは彼の国は腕力にものを言わせて好き勝手にしてきたそのつけがまわって来たにすぎない気がしている。といってもそれに便乗して甘い汁を吸ってきたのも事実だけれどね。

 難しい事は何も分かっちゃいないけれど、案外何も知らない方が事実がよく見えたりするのじゃないだろうかね。

 昔書いた覚えがあるのだけれど、ハリウッド映画に「大逆転」というエディ・マーフィーのコメディがある。大筋はグーグルでも検索すればでてくるからお任せするけれど、簡単に言えばアメリカの大手の投資会社のオーナー二人が、賭けをする。町で見かけた乞食に会社の経営を任せて上手く会社を経営できるかどうか。結果的に辞めさせられるのだけれど、もてあそばれたエディが怒って、そこで知った投資のノウハウでその二人に復しゅうする。で今度は本当に地位が大逆転するというはなしだ。

 まぁ面白おかしく書いてはあるけれど、資本主義社会の危うさみたいなものが上手く表現されているように思う。資本家と起業家がいる。企業家でもいい。資本はないけれど、新しい事業や研究を始めたいという願望がある。資本家はそういった企業家を自分の勘で見つけて投資するわけだ。上手くすれば何倍もの利益を生む。

 社会がインフレでどんどん上昇している時はそういったことでいい夢を見ることができる。明日は今日よりいい日になるわけだ。投資する事で何割かのリスクがあるものの損をすることもなかった。アメリカが一人勝ちしている時はそれでも良かったんだな。

 ところがいろんな国が小さなアメリカ型になってくると、どこかで破綻が起きてくる。まずは人件費だろうな。まともなものが同じ価格で国内で作れなくなってくる。それから価格破壊が起きる。

 アメリカの車は省エネには対応しきれていない。だから日本車などの外国車に完全に負けてしまう。アメリカが取った策は基準の引き下げという姑息な手段でしかなかった。自国の企業を守るだけに躍起になった。そのために反対に今回のような危機に見舞われることになった。抜本的な改革を怠ったからだ。

 「おごれる者久しからず」というけれど、まぁ今回はどうなんだろうかね。
 



「美術の窓」2009年1月号個展案内p155
立ち読みして下さい。

はる 2748
 個展の感想を書くかな。お客さんは通常と同じくらいじゃなかったかな。日曜日と祝日は予想通り少なかった。これは銀座の宿命かな。画廊街そのものが閑古鳥が鳴く。

 前半は国画の関係者が多かった。それはこのところの恒例になっている国画のグループ展が今年もまた同時開催されているからだろう。単発でグループ展をやっても人は来てくれないか、非常に少ない。こうやって同時に開催されると否が応でも観に来る人が多くなる。特に地方に住んでいると、とても展覧会一つのためには出かけられないのだな。

 都心やその周辺に住んでいる人にはなかなか理解できないかもしれないが、銀座はやっぱり絵を描く人間には憧れの聖地なんだな。特に我々より少し前の世代いはそうだと思う。ここで作品を発表できると言う事だけで、ドキドキときめいたものだ。たとえお客さんが少なかったとしても「銀座で展覧会ができた」というだけで満足だった。銀座に画廊が何百とあるのはそういったわけなんだな。プロの作家というのが絵を売って生活する人というならば、これは明らかに違う分野の話だ。

 銀座と言う街はゴッホやピカソなどの世界の巨匠から名もない画学生までが、階層が違うとは言え同じ場所で語られる世界でもまれな場ではないだろうか。

 まぁ世界的な大不況ということだけれど、それも含めて今の時代を生きているということなんだと思う。特に芸術だけ娯楽だけ経済だけ切り離して考える事は出来ないのじゃないかな。 ということでめでたしめでたし!
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