忍者ブログ
画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
[795]  [794]  [793]  [792]  [791]  [790]  [789]  [788]  [787]  [786]  [785
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




 
 路地に咲く花は美しい。着飾った花屋さんの店先に並んでいる花々もそれなりに好きなんですが、こうやって何気なく路地に咲いている花のほうが自然でいいなぁと思う。雑草などと人間の勝手な解釈で呼ばれるけれど、草花の方から言わせればお前たちの方が邪魔者、よけい者と言われそうだ。

 絵を描く場合なんかでもよく言われるのが、自然をよく観察しなさい」「よく見なさい」という事。人はいずれにしろ自分の身の丈でしか理解できないから、初学者は「なるほど、見た通りに忠実に描けばいいのだな」と思うわけだ。写真のように、見たとおり、見えたとおりに描いた絵は、街角でやっている似顔絵のようで、すこぶる気持ちの悪いものだ。何が気持ち悪いのか、これはどう説明すればいいのだろうか。

 物理的に言えば人間の目は複眼で二重写しに見えている画像を頭の中で一つにしている。写真は単眼で一つの同じ画像を複眼で見るからという風に説明できるのだけれど、私の言いたいことはそんなことではない。

 「自然から学べ」というのはもちろん見えたそのものの形や色と言うこともあるのだけれど、もっとも大事なのは「何故そこにそれがそんな風にあるのか」ということだと思う。もっと簡単に言えば「因果応報」

 物事には必ず原因があってその結果がある。例えばここに昼顔が咲いている。誰かが意識的に植えたのでなければどこからか種が飛んできて、そこにとどまって発芽したわけだ。色んな場所がある。どこでもいいわけだけれど、あえてここを選んでこの昼顔はここに咲いている。だから彼、彼女にとってこの場所が自分にとって一番適した場だったわけだ。

 例えばその昼顔がランダムに3つの花をつけていたとする。で、その花のつき方にも何らかの理が隠されているんだな。そんなに難しいことではなくて、例えば太陽の光が一番受けやすいようにとか、虫たちが発見しやすいようにとか、風があたらないようにとか、色々・・。

 「自然から学べ」「よく見ろ」というのはそういった道理を見つけろ、探せと言うことで、形や色をそっくり写し取れと言うことではないということだ。

人は「作為的な動物」と言い換えてもいいかもしれない。いつもいつも「わたし」というものを中心に意識している。これはまぁ人が人になった時から切り離せないことなんだけれど、どうしてもそこから離れられない。いやこれは表裏一体のもので元々分けることができないものだろうな。なかなか難しい修行ではある。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
**
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]


(Design by 夜井)