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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 ↑の写真は130号の途中過程。まだ何も見えてはいない。雑多なもの厚い麻布(ドンゴロス)や薄いプリント地の綿布、壁土やもちろん絵の具などが渾然と重なって一つの造形物になっている。出来るだけ無意識にほとんど夢遊病者のようにオートマチックに絵の具をたらす。

 この辺りだけを見ると戦後すぐあたりのアメリカの抽象絵画に近い。デクーニングやポロック、ジャスパージョーンズなど、フランスのデビュッフェなども好きだな。多分新しい安価な画材、塗料とかアクリル系の水性絵の具が登場してきたおかげで、大きな画面にふんだんに使うことができたということも関係しているのではないだろうかね。今までの油絵の具でしっくりゆっくり描いてゆくという絵画とはどこか違う。

 油彩絵画の伝統と言うことであれば西欧には連綿とした歴史があるわけで、建国二百年ぐらいの歴史しかない彼の国はスタート時点で完全に負けているわけだ。最初の頃はそれでもヨーロッパの当時の巨匠を招待したりして文化的な遅れをひっしになって取り戻そうとしていた。それはそれで上手く根付いたところもあったけれどね、やっぱりアメリカ的な表現になるのは先ほども書いたけれど新しい画材とめぐり合ってからだと思う。

 私が今の画材に出会ったのは93年頃に自宅の改装をした時だ。床のフローリングを貼る時にはボンドを使ったし、外壁を塗る時は安いアクリル塗料を買ってきた。穴を埋めるにはパテを使ったし、左官屋さんのように和風の京壁も塗った。これらの経験から得たものは多い。

 最初の頃は建材やさんからセメントを着色する顔料を随分と購入してきた。これは画材店から買うよりも随分と安かった。今でもその時に買った弁柄などは使い切らずにある。ところがこういった顔料には成分が書かれていないことが多い。今まで伝統的に左官屋さんが色粉として何の疑いもなく使ってきたものだろうけれど、あらためて考えると成分表示のない顔料は怖いと思った。

 と言うことを経て、弁柄や砥粉や黄土、胡粉など明らかに成分が分かっているもの以外は画材店から購入することにした。それもあるけれど段々に使う顔料が土製のものに限られてきた。今は成分をみてアクリル絵の具と変らない物はそのままアクリルもつかう。

 材料が変る事で絵も随分と変わると思う。多分今の描き方は水性の絵の具でなければ考えつかなかっただろうし、油彩は油彩の得意とする表現方法があるしそれを否定するつもりは全くない。

 だから、これは好みの問題なんだろう。こういった色々なものが渾然と一体になったようなものが好きなんだな。幼い頃に泥遊びをした記憶だったり、糊をメリケン粉からつくって新聞紙を丸めたものにべたべた貼って人形を作ったり、紙と布を貼り合わせて自分だけのノートを作ったり、木を削ってお守りをつくったり、そんなことが遠い記憶として今の仕事に結びついているように思う。
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