画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
→ http://enami.sakura.ne.jp
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
一つ上から考える。どういうことか?と言えば、絵を描くための人生だというのは案外簡単なことのように思う。例えば「LOVE&PEACE」「世界に平和を!」とか簡単に口に出して言う。確かにそうなんだけれど、だれも反対はしない言葉なんだけれど、お題目のようで何の実もない、まがい物だ。
世界に平和をというのであれば、例えば身近なことでボランティアに参加する方が、実があるというものだ。
話が違うところに入ってしまった。「絵に命を懸けました」というのも簡単だ。言葉だけならね、何だって簡単だ。でも、実際に絵だけを描いて生きている人がいたら、周りの人はすごく迷惑だろうね。自分は少しは満足かもしれないけれど、巻き込まれる家族や周りはすごく迷惑だな。でも、それだって仕方ない、彼は芸術家だからって言うかもしれない。そうかな?芸術は突き詰めれば哲学とか、宗教になる、人の幸福のためにならなければ意味ないなぁ。自己満足の発露だけじゃ、子供のお遊びみたいなものだ。そんなものなら、人が一生賭けて追求する価値もない。
「芸術のために生きる」のではない「生きるための芸術」であらねば意味がない。
最初に戻って一つ上から考えるというのはそういうことだ。
つづく
世界に平和をというのであれば、例えば身近なことでボランティアに参加する方が、実があるというものだ。
話が違うところに入ってしまった。「絵に命を懸けました」というのも簡単だ。言葉だけならね、何だって簡単だ。でも、実際に絵だけを描いて生きている人がいたら、周りの人はすごく迷惑だろうね。自分は少しは満足かもしれないけれど、巻き込まれる家族や周りはすごく迷惑だな。でも、それだって仕方ない、彼は芸術家だからって言うかもしれない。そうかな?芸術は突き詰めれば哲学とか、宗教になる、人の幸福のためにならなければ意味ないなぁ。自己満足の発露だけじゃ、子供のお遊びみたいなものだ。そんなものなら、人が一生賭けて追求する価値もない。
「芸術のために生きる」のではない「生きるための芸術」であらねば意味がない。
最初に戻って一つ上から考えるというのはそういうことだ。
つづく
PR
この記事にコメントする
**
***
****
ブログ内検索
アーカイブ