忍者ブログ
画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
[50]  [51]  [52]  [53]  [54]  [55]  [56]  [57]  [58]  [59]  [60
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




 
はる 3197
 (絵描きになる方法?)質問に答えて
・・・略・・・
 で次は絵描きになる方法ですが、これはなかなか難しいですね。コンクールで上位の賞を取ってデビューという方法もありますが、長くはつづきませんね。一発屋でおわることが多いです。

 これはお客さんをつかんで行かねばなりません。自分の好きな絵だけを描いてゆくというわけには行きません。無論自分の絵を描いてゆくわけですがね。

 地道に個展を開催してゆくというのが、遠回りですが一番の方法だと思います。

 絵描きになるには団体展の会員である必要はないのです。「作家として生きる」という姿勢です。

 絵描きは個展がすべてです。グループ展や団体展は団体戦ですね、確かに楽しくて有意義な仲間なんですが、基本的に絵は個人的なものです。自分の世界、を個展という方法で世の中にアピールする。

 それで、出来るだけたくさんの自分のファン?シンパ?を増やしてゆく。コレクターは真剣に見ています。一年目は眺めるだけ、二年目は声をかけてきます、三年目でやっと小さな一枚を買ってくれるかもしれません。もちろん見てもらえるだけでもありがたい話です。100人に一人買ってくれればいいのです。押し付けは絶対にだめですね。

 画商はもっと真剣です。それが商売だからです。汚い言葉ですが「儲けにならない作家」には話は回ってきません。ですが、多くの画商の中には自分と一緒に成長してゆこうと言ってくれる画商さんが、そうですねそれも100人にひとりくらいですかね、必ずいます。そう信じてやってきました。

 あせってはいけません。自分と意見の合う、パートナーを真剣に探してみてください。これは誰かの紹介とかというのではだめなんです。自分で見つけるひつようがあります。

 まじめに真剣に個展を続けていれば必ず誰かが声をかけてくれます。最初は地元から経費を少なく始めるのが良いでしょう。そうやって10年ぐらいつづけてみてください。必ずいい結果が得られるでしょう。

 ここからは禅問答のようですが、絵だけを売ろうと思うと、媚びた見苦しい絵になります。底が見えて、げんなりしてしまいます。そんな絵はそこら辺にいたるところに転がっています。目的はそこにはありません。大事なことは、本人が楽しみながら、悠々と淡々と生きているか?ということですね。そうすれば必ず共感して見ていてくれる人がいるように思います。
PR



 
はる 3194
 少し面白い話を聞いた。ある小さな会社があった。社長は40台の女性。くわしいことは知らないけれど、最初はオーガニック系の石鹸を扱っていたようだ。

 面白いのは会社の形態というのが、その構成員である社員の提案でどんどん変化して行くことだ。会社は社員のものであるという発想だ。新しい共産主義みたいだな。

 例えば会社には食事する食堂がなかった。昼食に会社の外に出るより社内で済ませたほうが経済的だ。ということで60過ぎたおば様たちに社員食堂をやってみないかとすすめた。これが意外にやる気になって、それではオーガニック系の食材で体にも頭にもいい献立を考えようということで、やがては自社のビル近くに畑まで作るようになった。

 それがやがてうわさになって、そこの社員食堂は社員だけではなく、近所のそういったことに(食育に関心のある)人たちが食事を希望するようになって、やがてそんなお店に発展した。で、もっとということで会社自体を田舎に引っ越してしまった。

 これは多くの話の一つでしかない。今までの会社、仕事のイメージは就活して、何とかそこまではがんばって、いい会社、安定した仕事にありつけるよう、腰を低くして媚売って愛想良くして、雇ってもらうというイメージだな。

 ところが、そういった労働というのはある種、必要不可欠な苦役でしかない。嫌々だけれど仕方がないというやつ。人というのは最初は生き生きと仕事をする。慣れるまではまじめにノウハウを学ぶ。ところが一旦慣れてしまうと、今度は以下にサボるかということにその能力をつかってしまうのだな。

 まぁ融通のきく小さな会社だからこんなことが出来るのだろうけれど、まず会社ありきという発想ではなく、まず人ありきという発想で、その人力(ひとちから)で何かをやってゆく、探してゆく、というのは面白いなぁと久しぶりに背筋に電気が走った。

 上手く行くことばかではないけれど、成り行きで会社そのものがつぶれるかもしれないが、こんな会社ならみんな骨惜しみをせず、面白がってがんばるのではないか。仕事の原点のような気がする。 

 



 
はる 3193
 胃を全摘出してから今年で丸10年になる。今でこそ何気なく話ができるけれど、まぁわが身にとっては最大の危機ではあった。

 くわしくは書かないけれど、胃がんではない。聞こえは悪いけれど「胃元発祥の悪性リンパ腫」というのが正確な病名である。当時の治療方法は胃の全摘出が最善の方法であった。

 考えてみると少し前から兆候はあった。原因不明の突然の高熱、それも40度近い大人では珍しいくらいの体温だ。寝汗。まぁこれでリンパ腫が読めれば苦労はないのだけれど、それ以外は普通に日常生活できるので、見過ごしてしまう。

 普通に生活していれば、ほとんど気がつかない兆候ではある。私はたまたま胃に潰瘍があったので、人間ドックで生検をとってわかった。何が功を奏するかわからないものだ。

 胃を摘出すると、どんな弊害があるかということを書いておこう。最初は物が詰まる。上手く飲み込めないなど、物理的なことが多い。次に色々あるけれど、一つはビタミン12や鉄、カルシュウムがだんだん不足してくる。よって貧血気味になる。定期に補充する必要がある。

 胃の弁がないので、食べたものが逆流することがある。これも慣れるとだんだん回数が少なくなるけれど、最初の頃はほぼ毎朝みられた。

 免疫力が落ちたように思う。今までかかったことがない炎症で高熱を発祥することが年に一度ぐらいある。まぁこれも最近は少なくなった気がする。

 まぁ5,6年たったころから、後期ダンピング症候群かな、血糖値コントロールが高めになる。元々食べ物が直接腸にはいるので、急激に血糖値が上がる、そのためにインシュリンが出て今度は急激に血糖値が下がるといった乱高下が前期ダンピング症候群の特徴だけれど、私はあまりこの傾向はなかった。

 それゆえに血糖のコントロールに気を使ってはいなかったのだが、ここに来て尿に糖がでてくるようになった。(誰でも血糖値が170を超えると自然に体外に排出されるようだが、普通は170をこえることはないらしい)糖尿病ではないが、症状的には同じことになるので、長い間に色んな不具合がでてくる可能性がある。

 色々と調べて(HbAlcなど)、今のところ一時的なものなので問題はないらしいが、これから年を加えてくるとインシュリンのコントロールが不安定になると気をつけなくてはならない。

 ネットはこういったことは色々な症例が検索されるので非常に便利である。専門的なことがかなりわかる。自分の体は自分で知っておく必要がある。知ってその結果医者に任せるのはいいのだけれど、知らないで医者任せは非常に危険だな。

 



 
はる 3192
 いつも行くブログの中に「今というのは二三年前の結果である」てなことが書かれていた。まぁ言い換えると、今間違いに気づいて、すぐに行動を変えても、その結果は二三年後にしか現れてこないということだな。

 人は目標を立てる動物だともいえる。多分未来というものを想像できるのは人間だけだろうから、努力目標にしろ、こうなりたいといった憧れであっても、今の努力が未来に少しでも近づけたらと思うから、努力もするのだろう。

 けれど、まぁ往々にしてすぐに目に見える結果をだけを求めるから、地道な努力を放棄してしまいがちだな。自戒を込めていうのだけれどね。

 受験勉強なんかも似ているけれど、明日からやろう!とはよく思う。でも今やらなければ、明日もやらない。だから今から10分でもやることだ。これがとても大事な秘訣。すでに今はもう未来の一部でもあるんだな。

 自分はどうなりたいのかね。いまだによく分からない。現代を代表する芸術家になりたいわけではないよな。いや、なれないとしても、もしそう思うなら、すでにいままでにそれに向かって行動しているだろう。努力目標としてそんな活動をしているだろう。今の私の活動から、将来今を代表する作家になるとは到底思えない。笑い話でもない。

 前にも書いたけれど、私は絵描きになりたいわけではない。絵を描く人なら他にいっぱいいるわけだし、私より上手な人はごまんといるわけだ。それにここが大事なんだけれど、一流の芸術家に会ったことがないからかもしれないが、何となくあまり尊敬できない、近づきたくない、はた迷惑なわがままな人たちが多いきがする。いまの私を含めてだけれどね。

 自分が・・、私が・・というのは、もう聞きたくないのだな。

 私が絵を描くのは、修行みたいなものだと思っている。無理だけれど、自分から離れてもいいのだ。万人に共通する普遍的なものが描ければね。

 毎日の日常の中で、食べたり、飲んだり、だべったり、考えたり、想ったりしたことを、一人語りのようにポツポツとうたって行ければ、それでいいように思う。大それた芸術である必要はさらさらないのだな。




PIECE橘町 
~ピエスタチバナチョウ~
オープンニング
 




PIECE橘町 
~ピエスタチバナチョウ~  
 
400-0031 山梨県甲府市丸の内2-16-18  
055-237-5005  日曜定休
 いつも行っていたカフェが閉店。その後、夜ちょっとコーヒーを飲む場所もなくて困っていた。普通にコーヒーが飲めればいいのだけれど、ファミレスかスタバぐらいしかない。お腹がすけば何か簡単な食い物があって、よく会うメンバーがいてくだらないおしゃべりが出来ればそれにこしたことはない。

 この、PIECE橘町 は、そのカフェのマスターが新しく駅前に開いたカフェバーです。当分夜しか開店しないそうですが、まぁ機会があれば寄ってみてください。マスター一人できりもりする小さなスペースですから、出来ることだけしかやらないそうです。本人もソムリエの資格を持っていますが、県内産のワインを飲ませるのが売りのようです。

 後はまぁ、彼は山梨スローフードの会長ですから、狩をやったり、釣りをしたり、ぶどうの栽培をやったり、地産地消的なコンセプトで、そういったことも大いにやってゆきたいようです。ということで、明日からオープンです。みなさんよろしく。

 場所は
http://slowfood-koshu.sblo.jp/article/36283943.html



 
 私には定年がない。なぜなら就職していないから、定年というものが元々ない。毎年解雇されて、まい年契約する。毎年履歴書を書いて、免許書の写しがいる。直属の上司というのもいない。挨拶に回るわけでもない。だから校長と会ったこともない年もある。気楽といえば気楽だけれど、何の保障もない。当然収入も微々たるものだ。あるのは生徒との関係だけだな、まぁそれが私の仕事ではある。

 同じことを私はもう28回繰り返している。だから職場の同僚が嬉しそうに、寂しそうに定年退職して行くのを毎年見送っている。今日はそんな先生の送別会に付き合った。

 



 
 午後から東京に出て、同じ国画に出品している作家の展覧会を一つ見て、他にはほぼどこにも寄り道をしないで五反田の某印刷会社にでかける。これからこの春にかけてなんだかんだと仕事をしなければならない。ボランティアなので強制ではないが、会のカタログを作る。基本的には我々はお客さんで、会社がやる仕事をフォローする立場なんだけれどね。
**
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]


(Design by 夜井)