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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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resonanceより勝手引用
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私たち人間は言葉によって世界を理解し、言葉を通して体験を経験化している以上、言葉の牢獄から逃れることはできない。私たちの使う言葉が陳腐化してしまえば、私たちを取り巻く現実世界も腐食する。何となく変わらぬ退屈な日常の繰り返しという倦怠感におそわれる。もしこの文章を読んでいるあなたがそう感じているのなら、まず「見ること」から学び始めなければならない。そして、世界をもう一度新しい言葉で語り直すのだ。そうすればあなたは世界は同じでも見る視点が変わるだけでこんなにも違って見えるのかと思うことだろう。そして自然の美しさにあっと息をのむかもしれない。
「見ること」について―詩人とまなざし « Akizukiseijin’s Weblog (via beso) (via nemoi) (via konishiroku) (via dewfalse)

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大石正巳のアトリエ日記より勝手引用
http://laseine38.exblog.jp/14301782/
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 ・・略・・世界大戦でドイツがフランスを侵略した時フランスは軍事的には無抵抗
をとうして国と国民の命を守ったと新聞で読んだ。もし闘っていたら大変
な惨事になっていたかもしれない。ドイツ秘密警察〔ゲシュタボ)がピカソ
のアトリエに来てゲルニカを見、これはあなたの仕業かねと聞いた時、
ピカソはこれはあなた方の仕業だよ、とこたえた時のエピソードを思い出
した。・・略・・

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吉川春水、昨日今日明日より勝手引用
http://kikkawaharumi.blog68.fc2.com/blog-entry-73.html#more
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・・略・・永井荷風の人が言うところの「陋巷に窮死した」最期を「荷風は、とうとう、自分というものを貫きとおすことができた」と書き、子規の晩年を「六尺の病床に縛られたのではなかった。その中に自分を発見したのだ」と書いているのは、他人にはどのように見られようとも、自分が納得する最期、剛毅な最期を迎えるという覚悟を自らに課しているように思えます。・・略・・
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