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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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上の写真は昨日の記事の米軍ハウスの様子。写真写りはいいけれど実際はぼろぼろの隙間だらけの家でしたが、家を改装したりペイントする練習にはなりました。
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はる 3481
 最初は小さなアパートで暮らしていた。(若草荘物語・・勝手リンク)それはそれで毎日結構面白おかしく、今ではとても信じられないような漫画のような不思議な日常だった。やがてそのアパートも取り壊されるということでどこかに適当な棲家がないかと探していた。その次に住んだ家がこれまたとんでもない不思議な家で、昔アメリカの兵隊さんが住んでいたハウスを払い下げてもらって自分で移築した家だったんだな。だから全ての仕様がアメリカ仕立てで部屋数も多く、広かった。アトリエに使っていた部屋は20畳以上あった。天上も高くて今で言うフローリングでぼろぼろだったけれど、窓が全て観音開きのしゃれた洋館だった。

 最初に見つけたときは全く草ぼうぼうのお化け屋敷状態で、誰も住んではいなかった。ここにどうしても住みたいと念じて、隣近所に持ち主を聞いた。上手く行く時はすいすいと行くもので、大家さんとなんとかコンタクトがとれた。そこからはとんとん拍子で、もう壊してしまうのでどんな風に改装しても良い、どんな風に使っても良い、ただし五年間だけにしてくれということで、まぁそれでもそこに住みたかった。

 怖いぐらい雰囲気のある家で、ここの五年間も楽しかった。

 あっという間に五年が過ぎてしまった。今度は本格的に自分たちの家を探さなくてはならない。ちょうど時代はバブルが終わったころではあったけれど、土地の値段はとても手の出る状態ではなかった。今の倍以上はしていただろうな。

 定職を持たない絵描きが普通に住宅ローンを組めるはずもなく、一生借家住まいも仕方ないかなと考えてはいた。発想の転換をしなければ家など到底もてない。何を取って何を捨てるかだな。両方満たすことは無理でしょう。何か悪いことをすれば別だけれど・・。

 誰も寄り付かない山奥に引っ込む、地元にはそういった不便な場所にあえて住まうアーチストもいる。定職を持たない生き方なら選択肢としてそれも考えられる。もう一つは街中に住んでも誰も手を出さない難物に住まうという手だ。私の場合諸事情で街中にしかすめない、ならば答えは出たようなものだ。

 基本は自分が払えるくらいの家賃ぐらいの払いで済ませる。無理はしない。いずれは自分のものになる。改装も自由、借家とはそこが根本的にことなる。捨てたのは財産になるということだ。公道に接していない。財産にならない不動産である。あえてそこに住まうという選択肢もある。



 
はる 3480
 今日で正月もお終い。

「過ぎた日々」の昨年分を更新
http://www2.journey-k.com/~enami/mukasi.htm
 
この膨大な駄文をどうするか?毎日少しずつというのは凄いことだな。
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「個展情報」を更新した。
http://www2.journey-k.com/~enami/koten/koten.html

今年は個展を五ヶ所でやる。やった事がないところでやりたい。九州、北陸、東北、北海道誰か企画しませんか?



 
はる 3479
 毎年武田神社に初詣に出掛ける。さすがに元旦の雑踏は嫌なので大体が二日か三日にスイスイと済ませる。大晦日から正月二日まで散歩以外に外に出なかった。

 さてこのところブログとか本などを読んでいて引っかかりを感じる言葉やメッセージをメモのように書き留めている。本来人の書いたものは著作権があって勝手に引用してはいけないという法があるのは充分承知しているのだが、これも勝手に解釈して引用先を明示すれば「素人があそび(商売にしていない)で書いている限りにおいて」許してもらえるんじゃないかと思っている。どうしてもだめだと言うならメールでもしてくれればすぐに削除します。

 これも勝手な解釈なんだけれど、例えば一つの真理なり秘密を自分だけのものだといって独り占めしてどこにも発表しなかったとしたらそれは発見されたことにはならないね。その人が死んでしまえばこの世からその真理も消えてしまうわけだ。まぁそれでパテントをとってそれで優雅に暮らすというのもなかなか魅力ある選択ではあるけれど・・。

 反対にこんな風にも考えられないか。多くの人に引用される、リンクされる「言葉」「文章」「ブログ」ほど重要度があって面白、興味がある、共感する、バロメータなんじゃないかな。それこそ、そこに普遍的な何かをみつけたから引用されたわけだ。誰にも引用されない文章などはあってもなくてもいい自己満足のきわみと言うことじゃないだろうか。

 インターネットがこれほど普及した今の時点で、ネットに発表されたものに従来と同じ著作権を主張するのはちょっと難しいな。



 
チェロをめぐる冒険より勝手引用
http://blog.goo.ne.jp/cellokichi/e/
064aeca86320eb77c0988ca1658b5bb5


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 略・・
エチュードでの練習で大切なことは、初見能力とか、反射神経ゲーム的に指が動くとか、そんなことではなく、「できないことをいかに時間をかけてものにするか」、なのだそうです。
後略・・



 
はる 3478
 あけましておめでとうございます。皆さんいいお正月を過ごしていますか?今年もがんがん個展を開催してゆきます。よろしくお付き合いのほどを・・。

 



 
はる 3477
 いよいよ今年も終わりです。大晦日。今日は久しぶりに寒いです。

 それではみなさん、良いお年をお迎えください。
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suyama design/須山悠里 | note  より勝手引用

http://suyama-d.com/note/2010/12/post-45.html

本などなくても、家などなくても、金などなくても、何もなくても今喋り、今考え、今笑うことから始めればいいということ。世界とちゃんとつきあえば、向こうの方から秘密を教えてくれるのだということを。やればやるほど、愉快で、もしも面白くならないとすれば、それは間違っているということを。」(後藤繁雄『独特老人』まえがきより)
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http://artlabo.ocnk.net/product/1920  より勝手引用

彼らは誰かに喋らずにはいられない。たった今見出した世界の秘密についての発見を、とにかく色あせないうちに、消失しない間に、誰かに話さなければならない。人生は短く、芸術は長い。これが自分だけの思想であるなどという、けちなことは言っておれない。各界を代表する老人たちに話を聞いたインタビュー集。 
 



 
はる 3475
 今年も後二日になった。今日は台所のレンジ周りや窓の掃除をした。どちらかと言えば「ほこりで死ぬことはない」というタイプなので、掃除は得意ではない。アトリエの床は仕事が終われば簡単に拭いたりするけれど、大体が細々したものが床に置きっぱなしなので、混沌としている。

 昨日来年早々に二年ほど青年海外協力隊で日本を離れる教え子が挨拶にきた。色んな世間話をしながらたまたま現代美術の話になった。この間から考えていたことの続きのようなことだけれど、少し書いてみよう。

 絵画を色と形にどんどん分解してゆくところまでは話をした。本当は絵画なら絵画、音楽なら音楽を、そのままの形で堪能すればいいのだけれど、どうしてあえて分解してゆくのだろう。そこのところを質問されて答えに困った。

 そうだなぁ、例えば子供の頃に目覚まし時計やおもちゃを分解したことはないだろうか。物を理解するというのは、ものごとを理解するうえで一番初めに取り掛かることではないかな。

 例えば遺伝子そのものは昔から知られていた。ところがその遺伝子がどういった形で遺伝に関係してゆくのか、遺伝子そのものは何でできているのか、遺伝子のどの部分がどんな情報をもっているのか・・、そのことは遺伝子そのものをもっと小さい構成要素まで分解しなければ分からなかったはずだな。

 例えば、この世界を構成している要素は何かということで、昔から色々考えられてきた。一番分かりやすいのは目で直接見ることができる、木とか水とか火とか土などだな。ところが科学が進んでくると、水は酸素と水素で出来ているんだということがわかってくる、やがて水素分子は原子核と一個の電子でできているということになり、さらに原子は・・・と続いてゆく。今の時点でというだけで、さらに科学が進めばもっと細かく分けてゆくことができるかもしれない。結局こういうことができる。今の科学的な理解で分解できるまでということだな。

 コンピュータの出現で事態は急変した。分解解析能力が飛躍的に向上した。しかし、はたしてそれが絵画を理解したということになるのかどうか、少々苦しくなってきた。

 ところで、物事を分解解析した理由は何だったということだな。突き詰めてゆけば、全てのものを等価値に置いて自分の意思で自由に使う権利が欲しかったのかな。

 ところで今流行のインスタレーション(設置芸術)などを、どう理解するかというと、これは昨日しゃべりながら気がついたことなんだけれど、これは時間をも分解して自由したものかもしれないな。

 
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