画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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山梨日々新聞 平成22年2/27 文化欄
(田中喜博)
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(田中喜博)
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「絵は鏡」-。そう語るのは山梨美術協会の第37回会員展で最優秀賞の会員賞に選ばれた榎並和春さんだ。重厚なマチエール(絵肌)の裏にはあるがままの自らの姿が秘められている。国画会会員でもある榎並さんに創作哲学を聞いた。
受賞作「再生」は紙やアクリル絵の具などを用いたミクストメディア作品。画面中央の牧神は異様な存在感を放つが、笛を吹く柔らかな表情とその音色で芽吹く植物のある構図が温かな印象を与え、どこかで安心感を覚える。「羊は崇高で貴重な存在。画面では牧歌的な雰囲気を醸し出せた」
学生時代、本格的に絵筆を持ち始めた頃は「西欧への憧れ」から油彩に傾倒していたが、イタリアへの研修旅行(1995~96)を経てミクストメディアに表現法を転換した。「乾燥した西洋に比べて、日本は湿潤。水墨や水彩などがあるように、日本人として「水」を意識した表現をしたい」帰国後、アトリエから油彩の画材を一掃した。
現在、画材はアクリル絵の具や土、木、布などで「画材店より建材屋にいく方が多い」という日常。はけやこてを使うことも少なくない。
制作するパネル版に向かうとき、描き出す対象は決まっていないことが大半という。布を貼り、紙を貼り、絵の具を垂らしながら創作する過程で画面が形作られる、という流れだ。「これだ」と決まる瞬間がある。ただそれは自分が経験したことや得た知識の範囲でしか出てこないもの。とことん自分を掘り下げ、探り出すことに時間を費やしている」
だからこそ、画面に表出した事物は榎並さんそのものということになる。「自分をさらけ出した結果なので恥ずかしさも感じるが、その意思がなければ鑑賞者の共感はえられない。絵画は独りよがりではだめ。「人を巻き込める」絵に、これからもこだわって行きたい」
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受賞作「再生」は紙やアクリル絵の具などを用いたミクストメディア作品。画面中央の牧神は異様な存在感を放つが、笛を吹く柔らかな表情とその音色で芽吹く植物のある構図が温かな印象を与え、どこかで安心感を覚える。「羊は崇高で貴重な存在。画面では牧歌的な雰囲気を醸し出せた」
学生時代、本格的に絵筆を持ち始めた頃は「西欧への憧れ」から油彩に傾倒していたが、イタリアへの研修旅行(1995~96)を経てミクストメディアに表現法を転換した。「乾燥した西洋に比べて、日本は湿潤。水墨や水彩などがあるように、日本人として「水」を意識した表現をしたい」帰国後、アトリエから油彩の画材を一掃した。
現在、画材はアクリル絵の具や土、木、布などで「画材店より建材屋にいく方が多い」という日常。はけやこてを使うことも少なくない。
制作するパネル版に向かうとき、描き出す対象は決まっていないことが大半という。布を貼り、紙を貼り、絵の具を垂らしながら創作する過程で画面が形作られる、という流れだ。「これだ」と決まる瞬間がある。ただそれは自分が経験したことや得た知識の範囲でしか出てこないもの。とことん自分を掘り下げ、探り出すことに時間を費やしている」
だからこそ、画面に表出した事物は榎並さんそのものということになる。「自分をさらけ出した結果なので恥ずかしさも感じるが、その意思がなければ鑑賞者の共感はえられない。絵画は独りよがりではだめ。「人を巻き込める」絵に、これからもこだわって行きたい」
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はる 3172
冬季のオリンピックが開かれている。今回はオープンセレモニーも観なかったし、特に観たいと思う競技もないのだけれど、昔から男女ともフィギアーは好きでよく観る。確かにスポーツ競技ではあるけれど、それ以上体をつかった表現として見た場合、いいものはやっぱり感動する。ウルウルしてくるから不思議だな。
今回、キムヨナさんが終わった段階で、負けたと思った。彼女には何ともいえない選ばれたものだけが持つ特別な雰囲気がある。氷上に立っただけで何かしら訴えてくるものがある。きゃしゃな折れてしまいそうな、儚げで危なっかしくてもろい、そんな雰囲気を彼女は持っている。
ここからは憶測なんだけれど、多分彼女は、そんなことはもう充分わかっていて、そのことを反対に演出したんだと思う。それがまぁ、オリンピックという国家を挙げて戦う競技であって、個人の思惑などほとんど関係ないのだろう。国家戦略といえば言い過ぎかもしれないが、そうやって多分国の一つの戦略として利用されているのじゃないかな。
国というのは長い間にそこにある独特の気質をはぐくむ。大陸にあって長い間大きな国の脅威にさらされながら独立を維持してきたそういった歴史を持った民族というのは、周りを海という自然の防波堤に守られてノホホンとしてきた民族とは明らかに違うのではないかな。顔や体系はにているけれどね。
今戦略といったけれど、我々日本人の感覚としてそうやって何かしら戦略を立てて、小細工をろうして戦うということに先天的な嫌悪を感じるところがある。正々堂々としていないとか、潔くないとか、策士だとかね。しかし、戦いとは本来作戦を立てて戦うべきもので、何の考えもなく戦うのは能無しなんだけれど、それを潔い、大和魂などと言ってと美化してしまう風土があるな。
真央ちゃんは純粋培養なんだな。彼女にはそういった戦略めいた、作戦を感じない。正々堂々としているんだな。まぁそれが彼女の魅力でもあるし、我々も応援するところなんだけれど、多分戦略的、頭脳的には戦う前から負けていたのじゃないかな。たぶんこれは日本人の気質てきなものだろう。技術的にはキムヨナさんよりはるかに勝っていた。負けたのは戦略だな。
暴言を言わせてもらえば、作戦を充分練らなければ、これからも多分彼女には勝てないだろう。
冬季のオリンピックが開かれている。今回はオープンセレモニーも観なかったし、特に観たいと思う競技もないのだけれど、昔から男女ともフィギアーは好きでよく観る。確かにスポーツ競技ではあるけれど、それ以上体をつかった表現として見た場合、いいものはやっぱり感動する。ウルウルしてくるから不思議だな。
今回、キムヨナさんが終わった段階で、負けたと思った。彼女には何ともいえない選ばれたものだけが持つ特別な雰囲気がある。氷上に立っただけで何かしら訴えてくるものがある。きゃしゃな折れてしまいそうな、儚げで危なっかしくてもろい、そんな雰囲気を彼女は持っている。
ここからは憶測なんだけれど、多分彼女は、そんなことはもう充分わかっていて、そのことを反対に演出したんだと思う。それがまぁ、オリンピックという国家を挙げて戦う競技であって、個人の思惑などほとんど関係ないのだろう。国家戦略といえば言い過ぎかもしれないが、そうやって多分国の一つの戦略として利用されているのじゃないかな。
国というのは長い間にそこにある独特の気質をはぐくむ。大陸にあって長い間大きな国の脅威にさらされながら独立を維持してきたそういった歴史を持った民族というのは、周りを海という自然の防波堤に守られてノホホンとしてきた民族とは明らかに違うのではないかな。顔や体系はにているけれどね。
今戦略といったけれど、我々日本人の感覚としてそうやって何かしら戦略を立てて、小細工をろうして戦うということに先天的な嫌悪を感じるところがある。正々堂々としていないとか、潔くないとか、策士だとかね。しかし、戦いとは本来作戦を立てて戦うべきもので、何の考えもなく戦うのは能無しなんだけれど、それを潔い、大和魂などと言ってと美化してしまう風土があるな。
真央ちゃんは純粋培養なんだな。彼女にはそういった戦略めいた、作戦を感じない。正々堂々としているんだな。まぁそれが彼女の魅力でもあるし、我々も応援するところなんだけれど、多分戦略的、頭脳的には戦う前から負けていたのじゃないかな。たぶんこれは日本人の気質てきなものだろう。技術的にはキムヨナさんよりはるかに勝っていた。負けたのは戦略だな。
暴言を言わせてもらえば、作戦を充分練らなければ、これからも多分彼女には勝てないだろう。
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