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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 3168
「セザンヌ5」・・・吉田秀和「セザンヌ物語」より
 多視点というけれど、元々我々は物を見るときに複数の視点で見ている。というのは三次元にあるものを見る場合、左右の目がそれぞれ違うものを見ているからで、それを一つの画像にしているのは頭の中にある頭脳であって、まぁそのことがことさら珍しいことではない。バーチャルであるというなら元々我々は仮想・幻想を見ていることになる。今盛んに作られている3Dの映像はそれを利用したものだな。

 それをもう少しアレンジして片目は正面からもう一方は斜め上からとしてもまんざら大きな違いはないのではないか。もっと進めて時間も空間も複数にしたとしても誰からも文句はないだろう。セザンヌのやったことはそんなことか。

 マネもそうだけれど、ゴッホやロートレックやドガなど印象派のそうそうたるメンバーが明らかに日本の浮世絵版画から影響を受けていて、その事実はそれを模写している作品があったりするので、我々は何となくしてやったりといういい心持になる。

 彼らが大いに影響を受けたのは特にその大胆な構図、省略、フラットに塗られた色面などがすぐに分かるのだが、実は分かりにくいけれど、もっとも重大な影響を受けたのはセザンヌかもしれない。

 西欧の描画の中でこの多視点を論じられるから、すごく新鮮に見えるのだけれど、我々東洋人にとってはそれほど珍しい表現方法ではない。掛け軸や屏風や絵巻物などは時間とともに進むように描かれたり場所が変わるのは当たり前だし、同一画面に春から夏、秋、冬と季節が移り変わるのは極普通の表現方法だ。

 この斜め上から俯瞰してながめたり、真横からながめらり、モチーフを中心にぐるりと回ってみたり、前後を無視して気にいったものを大きく描いたり、そういった遠近法は東洋の絵巻物やあたりから学んだのではないだろうか。

 それからセザンヌの晩年の水彩画などは東洋の水墨画などと空間の表し方など、感覚的にも凄く共通するところがある。有名な「セザンヌの塗り残し」だけれど、水墨画などはそういった余白が大事な空間表現なのだからね。
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