画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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憂鬱な気質が私の中にはある。まぁそれも考え方によればその気質があるから絵などというものを書き続けられるわけで、全く何の心配事もないあっけらかんとした性格ならこのブログさえ続けることは難しいのじゃないか。そんなうっとうしい気質など要らない、わずらわしいだけだとは思うのだけれど、まぁこれもプラスマイナス0だな。
このすっきりと晴れない、目の前の霧のようなぐずぐずしたものは何なのか?長い間の懸案事項ではあった。不安、心配、強迫観念そんな言葉で語られるのだけれど、よくよく考えてみれば全ては自分のなかにあるもので、自らが作り出した亡霊におびえているようなものだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花というのは、この私の状態をよく言い表している。
小さい頃のお化けとか、化け物、何だか分からないけれど恐ろしいものというのは、それも結局その本人が作り出した幻でね、大人になって恐ろしくなくなるのは、ある種空想力の枯渇ということもできるかな。 さて、私のそれはたぶんに遺伝的なものが大きいとは思うのだけれど、仕方ないとあきらめると解決の糸口が切れてしまう。遺伝的な要素を差し引いて残った中から私のその「不安、恐怖」の材料が何か考えてみたい。
子供の頃見た夢に大きな風船のようなものが無数にあってその中に自分が閉じ込められてアップアップするというような、今まさに呼吸困難になるというところで目が覚めるというようなことがよくあった。今考えるとこれは親や兄弟のプレッシャーのように思うんだな。私は五人兄弟の末っ子で、みんなのいう話では甘やかされて自由に育ったと言うふうなことを言われるのだけれど、私自身は全くそんな風には感じていない。
幼い頃というのは子供同士の上下関係はかなり厳しいもので、絶対服従が前提である。その代わりに安心と安堵をもらうといった封建制度に近いものがある。「絶対服従と安心安堵」この相反する飴と鞭のような感覚は、例えば親方と徒弟、親分子分、会社と社員、みんな共通する命題じゃないかな。
私の不安の原因はその安心と安泰の絶対服従の殻から出てしまったということにあるのじゃないかな。またもう少し考えてみよう。今日はここまで。
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