画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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下の写真はパネルに麻布を貼りこんだ上に新たに布をコラージュしているところ。水に浸して乾かないうちにボンドをたっぷりつけて上から刷毛でたたきつけるように空気を抜く。これを怠ると空気が入り込んで隙間ができる。乾くと水分が適当にボンドの樹脂分を吸い上げて布と一体になった合成物になる。
油彩は皮膜を作ってキャンバスに貼りついているだけなので、樹脂分が少ないと意外に簡単に下地のキャンバスから剥離してしまう。特に速乾性のテレピンを多用すれば絵の具に入っている油脂分だけなので弱い。
どうでもいいことをだらだらと・・。
水彩の伝統の国に生まれて、何のために油彩でなきゃならないのかがよく分かっていなかった。訳もなく西欧の文物に憧れた。結局はこと物質的には貧しかったということかな。舶来物や珍しいものに価値があるように思うのは今に始まったことではない。この国の生来の生きてゆく方法のように思える。
仏教の伝来や西欧の文物がシルクロードを通ってやがては日本に到達した。考えてみれば我々の言葉そのものがそういった伝来ものの融合で出来ている。漢字、ひらがな、カタカナ、そしてローマ字。ありとあらゆるものを消化して吸収できる貪欲な遺伝子を持っている。そうやって今まで生き延びてきた。たぶんこれからもそうやって生きてゆくのだろう。
たまねぎの皮みたいなもので、誰にも影響されない、唯一つのオリジナル(独創的)なものを探してゆけば結局何もなかったということになるかもしれないな。
****************************
蔵出し
はる 2097
オリジナルの話。とりとめもなく・・。
originalは形容詞だから、名詞でいうとオリジン(origin)ということになる。
中国には想像上の動物というのが結構たくさんいて、有名な所では竜や鳳凰なんかもそうだな。前に麒麟をモチーフに絵を描いた時に気付いたんだけれど、麒麟も実際には存在しない動物だ。
まぁ不思議なことに鳳凰は西欧に行けば不死鳥フェニックスとなる、ここらあたりはどこがオリジナルなんだろうか。
で、想像上の動物というのは考えてみれば、そのときの人間の理想や希望を表しているわけで、ただの絵空事だから無意味なことだとは言えないんだな。
じゃあ、麒麟というのはどういった思いが込められているのかと調べてみた。
・・略・・
とまぁ、こんな意味がこめられていたんだなぁ。ところで、きりんというのは、一角なんだな。一角獣ということでここでも西欧のユニコーンと関係してくるから面白い。
ところで、このユニコーン(unicorn)というのは一つの名詞だと思っていたんだけれど、ユニ(uni)+コーン(corn)なんだな。ユニというのはなんとラテン語で一を表す、でコーンは(角)なんだそのままじゃないか!と思うなかれ。
で(only one)のラテン語は(unicus ウーニカス)、ここからが面白い。この(uni)は(unique ユニーク)(universal 普遍的)とつながってゆく。
ということは、オンリーワンの元の意味をたどってゆくと、ただ一つのものは個性的であるし、普遍的でもあるということになる。
でさらにこの普遍的という意味を調べてみると、
1.すべてのものにあてはまること。すべてのものに共通していること。
2.宇宙や存在の全体にかかわっていること。
結局言いたい事は、全ての源(オリジン)はすべからく自分のなかにあり、でそれは宇宙や存在の全体にかかわっていることでもある、ということなんだな。
とりとめもない話で、すんません。まだまだつづく。
はる 2098
オリジンの話3
この(unique ユニーク)と(universal 普遍的)の話は、結構本質的な事柄ではないだろうか。
どういうことかと言えば、まぁ普通に考えて(only one ただ一つの)ということは、掛け替えのない唯一のもの、そんじょそこらに同じ物があってはならない、ただ一つのもの、貴重なもの、という意味が込められているね。まぁだからこそそれが(ユニーク)個性的ということになるわけだ。
(ナンバーワンよりオンリーワン)の歌詞に含まれている意味も、だから貴方は掛け替えのない大切な人なんだよという、多分そういったことが唄われていると思うんだな。
ところで、もう一方の(universal 普遍的)の意味は、私は随分と考え違いしていたところがある。言葉の音として(不変的 変わらないもの 一定した)というふうに理解していた。
絵を描くことは自分の個性をのばすことだ、いかに人と違うユニークな存在であるかそのことを確認する、そのことが一番大切なことだというふうに考えていた。独創性、オリジナリティが作家の生命線だと考えていた。
しかし、ただ一人の存在であることは当たり前のことなんだな。他と違うことを競うことが最も大切なテーマである仕事など大した仕事ではないのではないか。
自分のスタイルを作って喜んでいても、そんなものはいずれは真似されるかただの流行で終わってしまう。すぐにもっと目新しい作品に取って代わられてしまう。AのものをBにした程度の違いで個性だユニークだと主張するのもおかしなものだ。本質的に違いはない。
ところで、普遍とは(すべてのものにあてはまること。すべてのものに共通していること)
全く正反対のことなんだな。自分にしかないただ一つのものを探して、小さな違いをあげつらって喜んでいたんだけれど、そうではない、みんなに共通の何か、どこにでもある何かを見つけるんだよと言われた気がした。
これは目からうろこだな。自分の進むべき方向を教えられた気がした。
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油彩は皮膜を作ってキャンバスに貼りついているだけなので、樹脂分が少ないと意外に簡単に下地のキャンバスから剥離してしまう。特に速乾性のテレピンを多用すれば絵の具に入っている油脂分だけなので弱い。
どうでもいいことをだらだらと・・。
水彩の伝統の国に生まれて、何のために油彩でなきゃならないのかがよく分かっていなかった。訳もなく西欧の文物に憧れた。結局はこと物質的には貧しかったということかな。舶来物や珍しいものに価値があるように思うのは今に始まったことではない。この国の生来の生きてゆく方法のように思える。
仏教の伝来や西欧の文物がシルクロードを通ってやがては日本に到達した。考えてみれば我々の言葉そのものがそういった伝来ものの融合で出来ている。漢字、ひらがな、カタカナ、そしてローマ字。ありとあらゆるものを消化して吸収できる貪欲な遺伝子を持っている。そうやって今まで生き延びてきた。たぶんこれからもそうやって生きてゆくのだろう。
たまねぎの皮みたいなもので、誰にも影響されない、唯一つのオリジナル(独創的)なものを探してゆけば結局何もなかったということになるかもしれないな。
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蔵出し
はる 2097
オリジナルの話。とりとめもなく・・。
originalは形容詞だから、名詞でいうとオリジン(origin)ということになる。
中国には想像上の動物というのが結構たくさんいて、有名な所では竜や鳳凰なんかもそうだな。前に麒麟をモチーフに絵を描いた時に気付いたんだけれど、麒麟も実際には存在しない動物だ。
まぁ不思議なことに鳳凰は西欧に行けば不死鳥フェニックスとなる、ここらあたりはどこがオリジナルなんだろうか。
で、想像上の動物というのは考えてみれば、そのときの人間の理想や希望を表しているわけで、ただの絵空事だから無意味なことだとは言えないんだな。
じゃあ、麒麟というのはどういった思いが込められているのかと調べてみた。
・・略・・
とまぁ、こんな意味がこめられていたんだなぁ。ところで、きりんというのは、一角なんだな。一角獣ということでここでも西欧のユニコーンと関係してくるから面白い。
ところで、このユニコーン(unicorn)というのは一つの名詞だと思っていたんだけれど、ユニ(uni)+コーン(corn)なんだな。ユニというのはなんとラテン語で一を表す、でコーンは(角)なんだそのままじゃないか!と思うなかれ。
で(only one)のラテン語は(unicus ウーニカス)、ここからが面白い。この(uni)は(unique ユニーク)(universal 普遍的)とつながってゆく。
ということは、オンリーワンの元の意味をたどってゆくと、ただ一つのものは個性的であるし、普遍的でもあるということになる。
でさらにこの普遍的という意味を調べてみると、
1.すべてのものにあてはまること。すべてのものに共通していること。
2.宇宙や存在の全体にかかわっていること。
結局言いたい事は、全ての源(オリジン)はすべからく自分のなかにあり、でそれは宇宙や存在の全体にかかわっていることでもある、ということなんだな。
とりとめもない話で、すんません。まだまだつづく。
はる 2098
オリジンの話3
この(unique ユニーク)と(universal 普遍的)の話は、結構本質的な事柄ではないだろうか。
どういうことかと言えば、まぁ普通に考えて(only one ただ一つの)ということは、掛け替えのない唯一のもの、そんじょそこらに同じ物があってはならない、ただ一つのもの、貴重なもの、という意味が込められているね。まぁだからこそそれが(ユニーク)個性的ということになるわけだ。
(ナンバーワンよりオンリーワン)の歌詞に含まれている意味も、だから貴方は掛け替えのない大切な人なんだよという、多分そういったことが唄われていると思うんだな。
ところで、もう一方の(universal 普遍的)の意味は、私は随分と考え違いしていたところがある。言葉の音として(不変的 変わらないもの 一定した)というふうに理解していた。
絵を描くことは自分の個性をのばすことだ、いかに人と違うユニークな存在であるかそのことを確認する、そのことが一番大切なことだというふうに考えていた。独創性、オリジナリティが作家の生命線だと考えていた。
しかし、ただ一人の存在であることは当たり前のことなんだな。他と違うことを競うことが最も大切なテーマである仕事など大した仕事ではないのではないか。
自分のスタイルを作って喜んでいても、そんなものはいずれは真似されるかただの流行で終わってしまう。すぐにもっと目新しい作品に取って代わられてしまう。AのものをBにした程度の違いで個性だユニークだと主張するのもおかしなものだ。本質的に違いはない。
ところで、普遍とは(すべてのものにあてはまること。すべてのものに共通していること)
全く正反対のことなんだな。自分にしかないただ一つのものを探して、小さな違いをあげつらって喜んでいたんだけれど、そうではない、みんなに共通の何か、どこにでもある何かを見つけるんだよと言われた気がした。
これは目からうろこだな。自分の進むべき方向を教えられた気がした。
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