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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 3731
 「平均律」と「ボヘミアン」の違いについて、続きを書きましょう。例によって思いついたまま書き進めるので、つじつまはあわないかもしれませんがあしからず。

 「平均律」は言ってみれば外からの色々な条件で出来上がっている。どういうことかといえば、例えば絵を描く動機自身がコンクールのためであったり、公募展でいい評価を得たいというスケベ根性が根底にあったり。例えば、和風な雰囲気を取り込みたいと言うのは自分の欲求というより、どちらかと言えば日本人であるならこうあらねばという義務感のようなもので、西洋に対抗するなら東洋的な手法を取り入れるべきだ・・とか。構図は源氏絵巻などの吹き抜け屋台風に斜め45度あたりから眺めた目線にするとか・・頭でっかちに色々考えてそうしたこうあるべきだと言うような考え方で出来ているように思う。規制する条件はほとんどがこうあるべきという幼稚だけれど理論で組み合わされている。今考えると誠に浅はかだけれど、まぁ仕方ないな。そんなところも私なんだから。

 大体において私は理屈家で、原理原則のようなものが好きだ。予定外の事に臨機応変に対応する事が苦手である。だから本当は公務員のように毎日決まりきった仕事を淡々とこなしてゆく方が性分に合っているのかもしれない。

 それに反して、「ボヘミアン」はほとんど何も規制するものがない。でたらめに絵の具やコラージュをして、その中から浮かんで来たイメージを妄想をたくましくして話を作っている。だから中から出てくるのを待つというまぁ他力本願のようなところがあるけれど、積極的には私は絵を描いていない。

 またもう少し書くかな。眠くなったので寝ます。
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