画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 3737
「日々礼賛」 下書き
私事ですが、今年二月にお袋を見送りました。それに来年四月で亡くなった親父の年を越えます。それがどうしたと言われればこまるのですが、これからの20年をどう生きるのかと考える節目にはなりました。
三月には信じられないようなことが起きてしまいました。ごく普通に暮らしてきた何気ない日常が、突如断ち切られて明日からはもうないという、そんな日が来ることがなかなか信じられませんでした。深い悲しみと不安と怒りが今も消えません。
何気ない日常がいかに大切でいとおしい事か、そんなことを痛切に感じた一年でした。
「日々礼賛」は私の造語です。種を明かせば谷崎潤一郎の「陰影礼讃」からとりました。今を生きる私だから当然震災のことも頭の片隅にありました。けれどその事を直接的には表現したいとは勿論考えていません。私なりの意味は「何気ない日々がすべて」という気持ちをこめたつもりです。
祈りと懺悔と感謝、それらが表現出来たかどうかわかりませんが、今年もまたそんな作品を並べます。御来廊こころよりお待ちしております。
「日々礼賛」 下書き
私事ですが、今年二月にお袋を見送りました。それに来年四月で亡くなった親父の年を越えます。それがどうしたと言われればこまるのですが、これからの20年をどう生きるのかと考える節目にはなりました。
三月には信じられないようなことが起きてしまいました。ごく普通に暮らしてきた何気ない日常が、突如断ち切られて明日からはもうないという、そんな日が来ることがなかなか信じられませんでした。深い悲しみと不安と怒りが今も消えません。
何気ない日常がいかに大切でいとおしい事か、そんなことを痛切に感じた一年でした。
「日々礼賛」は私の造語です。種を明かせば谷崎潤一郎の「陰影礼讃」からとりました。今を生きる私だから当然震災のことも頭の片隅にありました。けれどその事を直接的には表現したいとは勿論考えていません。私なりの意味は「何気ない日々がすべて」という気持ちをこめたつもりです。
祈りと懺悔と感謝、それらが表現出来たかどうかわかりませんが、今年もまたそんな作品を並べます。御来廊こころよりお待ちしております。
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