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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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 今日は定時制のお勉強。一学期最後の授業でちょっと怒鳴ってしまった。いつもは何となくかわせてしまえるのだが、突然何かが切れてしまった。この先生怒るんだ!と言う風な顔で見ていた。どうにも底を見られた感じでしっくりしない。ヤダナァ・・。怒るならもっとあらいざらいぶちまけるほど怒ってしまえばいい。中途半端だったから、後に残る。まぁ生身の人間だから仕方ない。

 世の中に出る方法は、百人いれば百通りの方法があるのだろう。例えば同じ才能ならうんと若いとか、ずば抜けて技術が高いとか、もっと下世話で言えば親が有名人だとか、強力なパトロンがいるとか、芸能人だったとか、強力な地盤、看板、かばんを持っているとか・・。

 自分の持っている売りが何なのか、そのことに気付くこと、そのことが世の中に出る一番の近道かもしれない。切実にそう思うならね・・。

 しかし、よく見れば全ては危ういところに立っている。若いはいずれ老いてゆくだろうし、技術はいつしかお衰える。後の付属品に至っては、夢まぼろしのごとしだ。

 自分自身をみつめることだ。そこには何の嘘も隠し事もない。正真正銘の無垢な自分がいる。それを描かなくて表現に何の意味があるのだろうか。

 大事なことは自分のスタンスを変えないことだ。相手の都合に合わせないことだ。だめならだめでいいと覚悟を決めることだ。たった一人でも「いい」と言ってくれる人がいればそれで充分だ。その人のために作品を作ろう。

 そうやって考える世の中に出るとか出ないとかは大して意味がないことに気付くはずだ。
 
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無題
こんにちは  島先生のことです 13年前になくなりましたが
ロンドアトリエの建物はそのまま残っています 弟さんが管理して
ますが この度改装して貸しビルするそうで 10年ぶりに
アトリエを訪ねる機会がありました 晩年の島先生は自分の作品を
描くことに没頭してました 自分が死んだあとは絵はどうなっても
かまわない 今描きたいのだといって 
亡くなったあとアトリエに置いてあった 中村つねや藤田嗣治
熊谷守一の絵は 奥さんがさっさと持って帰りましたが 自宅に
置いてあった島先生の作品は捨てられてしまったそうです
アトリエには島先生の作品がたくさん残っているので 弟さんが
倉庫に保管するそうですが クロッキーやデッサンなど
あのままでは運送屋にゴミとして 捨てられてしまう
段ボール箱に入れてきちんと包装しておこう というので
明日 3人ほどで もう一度アトリエにいきます
最終的にはゴミ ・・そうなのですが 世間的評価(号いくらで売れるとか)
があったほうが 作品の寿命は延びる かな と思いますね
亜じゃ 2010/07/08()12:25:25 編集
こんにちは。
 こんにちは。そうですか、島先生の作品の整理、ご苦労さまです。まぁそれでも、こうやって誰かが整理保管しょうとしてくれるだけありがたい話ですね。私のようなものは多分瓦礫、ごみとなってしまうでしょう。

 まぁある意味、私はそれでもいいと思っています。結局作品というのは作家が生きた証といえばかっこいいですが、カス、抜け殻みたいなものですからね、それをどう扱われても文句はありません。どう生きたかというのが大切なような気がします。先生もそういった作家としての覚悟を言ったのだと思います。生意気言ってすんません。

 まぁ残された人にとっては、金銭的に価値があるほうがありがたいですがね。こればっかりはわかりません。

 コメントありがとうございました。島先生の作品の整理よろしくお願いします。

 
はる 2010/07/08()16:59:33 編集
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