忍者ブログ
画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
[343]  [342]  [341]  [340]  [339]  [338]  [337]  [336]  [335]  [334]  [333
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




 
 今日は教室の生徒達といつもお邪魔している仲間のアトリエを訪ねる。その近くのお寺の山門とその野仏の写真だ。

 有名なお寺の仏さんはいつもどこかで紹介されるけれど、こういった無名?のおてらはの仏さんはメディアにのることもない。けれど、いい表情をしている。何十年もその場所にあって動かず、求めず、ただじっとそこにあるだけだ。遠い祖先の誰かが、だれかのために、だれかを想ってそこに置いたのだけれど、そんな生臭い人の想いも年月がたって風化して、今はただじっとそこにあるだけだ。それもやがては風化して一塊の石になり、砂になってこの世から形そのものは消えてしまう。残るのはそこに何かがあったという気だけだ。そしてやがてそれさえもなくなってしまう。

 形あるものはやがてはなくなってしまう。それは硬い石でも巌でも同じことで、さざれ石が巌になって苔むすことはない。ちょっと横道にそれた。まぁそれが自然の摂理というやつだな。ならば一時にせよ今ある生を出来うる限り謳歌せよということだろう。

 閑話休題
 選挙が始まって巷は騒がしい。うるさいと言っては政治を放棄するのかということに、なるのだけれど、まぁ基本的にはあまり関心はない。棄権はしたことはないのだけれどね。でも裁判員制度にしてもいつのまにか知らないうちに決まっている訳で、こんな大事なことが何の音沙汰もなく決まっている訳で、もっと突き詰めてゆくと知らないうちに戦争に巻き込まれていた、なんていう風になるのじゃないかとちょっと恐ろしい気がするね。まぁ日本は平和ボケしている国だから、ことが切羽詰らないと分からない。

 どこかの党はまるでマンガからストーリーを抜き出したような画期的に分かりやすいお題目を掲げているけれど、この人たちは本当に真剣にこんなことを考えているのだろうか?そんなことが実現できると考えているのだろうか。分かりやすいということは大衆を巻き込むにはとても有効な手段だけれど、分かり易過ぎるという裏には何かしら良からぬたくらみが隠れているのだな。平和ボケしている国だから、案外こんな人たちの言動が世の中を動かすようで怖いなぁ。しっかり眼をひらいで見極めような。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
**
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]


(Design by 夜井)