画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 3013
さて、今日は恒例の美術協会の裸婦デッサン会だった。有志で月一でやっているクロッキー会とは違って美術館の実習室でやるもので人数も多く、モデルも二人呼んでいる。次から次とポーズするモデルも大変だけれど、それを描いてゆく方もなかなか疲れるものだ。
クロッキーは随分と長くやっている。20過ぎの頃、絵を描き始めてデッサン力の必要に迫られて大阪の肥後橋近くの絵画研究所に入会した。そこには専属のモデルさんがいて毎週裸婦クロッキーをやっていた。狭い教室にほとんど立錐の余地がないほどカキテがいて熱気もあったように思う。大阪に住んでいた頃は毎週そこにかよっていた。京都でもどこかの教会の地下でクロッキーをやっていたな。あれはチケット制だったかな。
何がそんなに面白くて続けているのだろうか。クロッキーというのは楽器とか運動能力に似ているところがある。しばらくやらないとまるで出来なくなる。けれど一度腕に覚えさせていると、しばらく復習すればそこそこは復活する。もと通りにはならないのだけれどね。
クロッキーといえど絵画の大道に通じているところがあって、いつも思うのは小手先の線はどんなに上手くかけていてもいいとは思わない。精神がたっていて生き生きとした大きな線がひけた時はすがすがしい気分になる。それは何だろう、剣豪の一振りとか、禅僧の一筆にたいなものかな。ためらいがないおおらかな線がひけた時は気分のいいものだ。そんなのは一回のクロッキー会でも一度あるかないかの確立だ。
本画と絵柄は全く違うけれど、精神的には同じだ。どこが同じかといえば、表現するというところだな。クロッキーの要領はと時々聞かれるのだけれど、そこのところが難しいのだけれど書いてみる。
モデルを見てただ漫然と筆を走らせているだけでは絵はかけるけれど、絵にはならない。絵にしようとすればそこに自分の「意識」をこめなければならない。そこが表現というわけだ。絵を描くという行為はどういうことかというと「私はこう見ました、見えました」ということを報告している訳で、もう少し具体的に言えば、左足に体重がかかっていますよ、とか下から見上げているから上半身は縮まって見えますよとか、胸の左右の位置は右が少し上だよとか、そういうことを無意識のうちに意識しなければならない。そう意識するだけで絵はかなり違ってくる。
で、問題は実際に描く場合はそのことを忘れなくてはならない。意識して意識していることを忘れた時がいい線がひけた時だ。
さて、今日は恒例の美術協会の裸婦デッサン会だった。有志で月一でやっているクロッキー会とは違って美術館の実習室でやるもので人数も多く、モデルも二人呼んでいる。次から次とポーズするモデルも大変だけれど、それを描いてゆく方もなかなか疲れるものだ。
クロッキーは随分と長くやっている。20過ぎの頃、絵を描き始めてデッサン力の必要に迫られて大阪の肥後橋近くの絵画研究所に入会した。そこには専属のモデルさんがいて毎週裸婦クロッキーをやっていた。狭い教室にほとんど立錐の余地がないほどカキテがいて熱気もあったように思う。大阪に住んでいた頃は毎週そこにかよっていた。京都でもどこかの教会の地下でクロッキーをやっていたな。あれはチケット制だったかな。
何がそんなに面白くて続けているのだろうか。クロッキーというのは楽器とか運動能力に似ているところがある。しばらくやらないとまるで出来なくなる。けれど一度腕に覚えさせていると、しばらく復習すればそこそこは復活する。もと通りにはならないのだけれどね。
クロッキーといえど絵画の大道に通じているところがあって、いつも思うのは小手先の線はどんなに上手くかけていてもいいとは思わない。精神がたっていて生き生きとした大きな線がひけた時はすがすがしい気分になる。それは何だろう、剣豪の一振りとか、禅僧の一筆にたいなものかな。ためらいがないおおらかな線がひけた時は気分のいいものだ。そんなのは一回のクロッキー会でも一度あるかないかの確立だ。
本画と絵柄は全く違うけれど、精神的には同じだ。どこが同じかといえば、表現するというところだな。クロッキーの要領はと時々聞かれるのだけれど、そこのところが難しいのだけれど書いてみる。
モデルを見てただ漫然と筆を走らせているだけでは絵はかけるけれど、絵にはならない。絵にしようとすればそこに自分の「意識」をこめなければならない。そこが表現というわけだ。絵を描くという行為はどういうことかというと「私はこう見ました、見えました」ということを報告している訳で、もう少し具体的に言えば、左足に体重がかかっていますよ、とか下から見上げているから上半身は縮まって見えますよとか、胸の左右の位置は右が少し上だよとか、そういうことを無意識のうちに意識しなければならない。そう意識するだけで絵はかなり違ってくる。
で、問題は実際に描く場合はそのことを忘れなくてはならない。意識して意識していることを忘れた時がいい線がひけた時だ。
はる 3012
某タレントの記者会見をyou tubeで見た。芸能人は因果な商売だというのが第一印象だな。タレントという虚像を売っているにもかかわらず、それを実像と勘違いして押し付けられる側もかわいそうなものだ。「だますなら死ぬまでだまして」というのが一種のダンディズムだとはおもうのだけれど、そこまで要求するのは酷かもしれないな。
こういった不祥事の会見でいつも思うのは、スポットライトの反対側にいる人間の浅はかさだ。罪を犯した奴らは自分達と違って極悪非道の輩で、自分達は正真正銘の正義の見方でございというふうに、これでもかという石のつぶて投げかける。その姿はおぞましくあさましい。
マグダラのマリアの話だったか、娼婦の彼女に石のつぶてを持って「こんな罪ある女は殺してしまえ」と寄ってたかって群集が攻め立てている。彼がいう「おまえ達の中でいっぺん足りとも嘘をついたことがない、一度も罪を犯したことがないものは、その石を投げるがいい」そうすると誰も石を投げつけることが出来ずすごすごと引き上げていった。この逸話を思い出す。
政権がかわった。圧倒的な支持を受けて新しい政党が政権を取った。考えてみると今まで政権がかわらなかった事の方がおかしかったのだ。どんな不祥事をやろうと、大きな疑獄事件がおきようと、正々堂々と人の書いた文章を棒読みしようが、官僚が平気で天下っても、年金のシステムがどうにかなっても、何が何でも自民党が政権を取って動かして来た。そのことのによってどれだけ国民が迷惑をこうむったかなどということはどうでも良かったのだ。とにかく一部の権力をもったものと官僚の好きなようにこの国を動かしてきた。
政権がかわって、新しい首相の演説を聞いて、あぁ国というのは、国民のためにあるのかもしれない。決して一部の権力をもった人たちの者ではないのかもしれないと、たとえ大きな勘違いだったとしてもそういう風に思わせてくれただけでも今回の政権交代は意味があった。たとえこの政権交代が失敗だったとしても大きな意味のある一歩だったのではないかな。自民党には深く深く反省して謙虚に国民の意見を聞いて欲しいね。そうすればまた日は昇る時もあろう。
某タレントの記者会見をyou tubeで見た。芸能人は因果な商売だというのが第一印象だな。タレントという虚像を売っているにもかかわらず、それを実像と勘違いして押し付けられる側もかわいそうなものだ。「だますなら死ぬまでだまして」というのが一種のダンディズムだとはおもうのだけれど、そこまで要求するのは酷かもしれないな。
こういった不祥事の会見でいつも思うのは、スポットライトの反対側にいる人間の浅はかさだ。罪を犯した奴らは自分達と違って極悪非道の輩で、自分達は正真正銘の正義の見方でございというふうに、これでもかという石のつぶて投げかける。その姿はおぞましくあさましい。
マグダラのマリアの話だったか、娼婦の彼女に石のつぶてを持って「こんな罪ある女は殺してしまえ」と寄ってたかって群集が攻め立てている。彼がいう「おまえ達の中でいっぺん足りとも嘘をついたことがない、一度も罪を犯したことがないものは、その石を投げるがいい」そうすると誰も石を投げつけることが出来ずすごすごと引き上げていった。この逸話を思い出す。
政権がかわった。圧倒的な支持を受けて新しい政党が政権を取った。考えてみると今まで政権がかわらなかった事の方がおかしかったのだ。どんな不祥事をやろうと、大きな疑獄事件がおきようと、正々堂々と人の書いた文章を棒読みしようが、官僚が平気で天下っても、年金のシステムがどうにかなっても、何が何でも自民党が政権を取って動かして来た。そのことのによってどれだけ国民が迷惑をこうむったかなどということはどうでも良かったのだ。とにかく一部の権力をもったものと官僚の好きなようにこの国を動かしてきた。
政権がかわって、新しい首相の演説を聞いて、あぁ国というのは、国民のためにあるのかもしれない。決して一部の権力をもった人たちの者ではないのかもしれないと、たとえ大きな勘違いだったとしてもそういう風に思わせてくれただけでも今回の政権交代は意味があった。たとえこの政権交代が失敗だったとしても大きな意味のある一歩だったのではないかな。自民党には深く深く反省して謙虚に国民の意見を聞いて欲しいね。そうすればまた日は昇る時もあろう。
はる 3011
いやもう三千も11になった。日々というやつは過ぎてしまえば夢の如し。おそろしいものです。こうやって毎日カウントしてゆくと、一年が365日というのを時々意識する。人の一生というのは有限で80年生きたとしても大した数ではない。
話題を変えて
絵を描きはじめた動機というのは何だったのだろうか。母親が少し趣味で絵を描いていたというのがあるけれど、特に親戚に絵を描くことを仕事にしたり、職人がいたりしたわけではない。だから小さい時からの職業の選択肢に物を作る仕事というのはなかったな。そういった意味では私の家系では凄く場違いなありえない選択だったように思う。自分自身の小さい頃を考えて特に内向的な文学的な嗜好を示したガキンチョではなったわけで、どちらかと言えば反対にガキ大将的であった。
高校時代から何か書くことが好きだった。それは日々の出来事を記録するという風な日記ではなく、自分の心のありようを知りたかったというような、今のもとになるような問いかけだったように気がする。今以上にもっと切実に誰かに聞いてもらいたかった、知ってもらいたかった、なんだろうな「私を見て」というのがやっぱり最初の声だったように思う。それはまぁだれでもそうなんだけれどね。自我と言うものが出てきて、どうして今ここにいるんだろう?と気付く頃だからね。
勉強が出来ればそこそこ評価されたんだろうけれど、受験勉強は要領が悪かったな。今もそうだけれど、時間の使い方とか集中力がない。能力もなかったのだけれど、そんな人間が普通に評価される場などない。特に秀でたものもなかったからな。
最初の大学は入れてくれたとこに入った。けれど、ほとんど学校には行ず、昼も夜もアルバイトに明け暮れていた。何が出来るのか、何ができるのか、実践で手探りで探していたようなところがある。だからアルバイトの数は半端なものじゃない。夜はジャズ喫茶の店長というのが一番気に入っていた、出来たら自分もそんなお店でもやって生きて行こうかなと考えていた。
どうしても極普通に就職して仕事してという気になれなかった。適当にアルバイトして食いつないでいく、今の派遣で生きている適当なぷー太郎の先輩だな。だから今の若い人に何も偉そうなことはいえない。昔の自分を見るようだ。無責任で適当で根性なしで自分のことしか考えていない。若い頃に戻りたいなどとは全く思えないな。二十代の前半はしんどいな。どうしたらいいのか全く道が見えないからだ。
そんな生活でも多少なりとも得ることはある。アルバイトはやはりアルバイトでしかないということだ。仕事という大きな意味で考えたらほとんど得るものがない。時間を労働力をお金にかえているだけだ。アルバイトによって大きく人間が変わるとか成長するということは期待できない。長い人生を考えた場合自分にとっては何か手仕事・職人仕事が一番適しているのかなと思った。
まぁそこから手仕事の修行が始まる。まず京都に出て焼き物の手付けの仕事を見つけてくる。これは工房に弟子入りみたいなものだから、何でもやった。土練りから、釜入れ、釜だし、掃除から洗濯までやる。飯は工房で出るからお金はかからなかった。まぁ微々たる給料だったけどね。二年ぐらいやったかな。まぁ二年やると不満も出てくる。我慢して10年やって独立という手もあったのだけれど、同じ物を数作る、まぁ職人とはそういったものだな。ところが京都という場所柄作るものが観光客相手のみやげ物的なものなんだな。これがまた飛ぶように売れるわけだ。我々が作っているところをサルのように見せてね。じゃ辞めたと辞表をだす。
まぁこうなったら好きな絵を描いて売れても売れなくても生きて行くかと考えたわけだな。収入はアルバイトで本業は絵を描くと一応の方針を決めた。これで生活は苦しくなったけれど、気持ちは随分と楽になった。
その後はまただな。
いやもう三千も11になった。日々というやつは過ぎてしまえば夢の如し。おそろしいものです。こうやって毎日カウントしてゆくと、一年が365日というのを時々意識する。人の一生というのは有限で80年生きたとしても大した数ではない。
話題を変えて
絵を描きはじめた動機というのは何だったのだろうか。母親が少し趣味で絵を描いていたというのがあるけれど、特に親戚に絵を描くことを仕事にしたり、職人がいたりしたわけではない。だから小さい時からの職業の選択肢に物を作る仕事というのはなかったな。そういった意味では私の家系では凄く場違いなありえない選択だったように思う。自分自身の小さい頃を考えて特に内向的な文学的な嗜好を示したガキンチョではなったわけで、どちらかと言えば反対にガキ大将的であった。
高校時代から何か書くことが好きだった。それは日々の出来事を記録するという風な日記ではなく、自分の心のありようを知りたかったというような、今のもとになるような問いかけだったように気がする。今以上にもっと切実に誰かに聞いてもらいたかった、知ってもらいたかった、なんだろうな「私を見て」というのがやっぱり最初の声だったように思う。それはまぁだれでもそうなんだけれどね。自我と言うものが出てきて、どうして今ここにいるんだろう?と気付く頃だからね。
勉強が出来ればそこそこ評価されたんだろうけれど、受験勉強は要領が悪かったな。今もそうだけれど、時間の使い方とか集中力がない。能力もなかったのだけれど、そんな人間が普通に評価される場などない。特に秀でたものもなかったからな。
最初の大学は入れてくれたとこに入った。けれど、ほとんど学校には行ず、昼も夜もアルバイトに明け暮れていた。何が出来るのか、何ができるのか、実践で手探りで探していたようなところがある。だからアルバイトの数は半端なものじゃない。夜はジャズ喫茶の店長というのが一番気に入っていた、出来たら自分もそんなお店でもやって生きて行こうかなと考えていた。
どうしても極普通に就職して仕事してという気になれなかった。適当にアルバイトして食いつないでいく、今の派遣で生きている適当なぷー太郎の先輩だな。だから今の若い人に何も偉そうなことはいえない。昔の自分を見るようだ。無責任で適当で根性なしで自分のことしか考えていない。若い頃に戻りたいなどとは全く思えないな。二十代の前半はしんどいな。どうしたらいいのか全く道が見えないからだ。
そんな生活でも多少なりとも得ることはある。アルバイトはやはりアルバイトでしかないということだ。仕事という大きな意味で考えたらほとんど得るものがない。時間を労働力をお金にかえているだけだ。アルバイトによって大きく人間が変わるとか成長するということは期待できない。長い人生を考えた場合自分にとっては何か手仕事・職人仕事が一番適しているのかなと思った。
まぁそこから手仕事の修行が始まる。まず京都に出て焼き物の手付けの仕事を見つけてくる。これは工房に弟子入りみたいなものだから、何でもやった。土練りから、釜入れ、釜だし、掃除から洗濯までやる。飯は工房で出るからお金はかからなかった。まぁ微々たる給料だったけどね。二年ぐらいやったかな。まぁ二年やると不満も出てくる。我慢して10年やって独立という手もあったのだけれど、同じ物を数作る、まぁ職人とはそういったものだな。ところが京都という場所柄作るものが観光客相手のみやげ物的なものなんだな。これがまた飛ぶように売れるわけだ。我々が作っているところをサルのように見せてね。じゃ辞めたと辞表をだす。
まぁこうなったら好きな絵を描いて売れても売れなくても生きて行くかと考えたわけだな。収入はアルバイトで本業は絵を描くと一応の方針を決めた。これで生活は苦しくなったけれど、気持ちは随分と楽になった。
その後はまただな。
はる 3009
覚書「こえをきく」
見えないものを観る、聞こえないものを聴くそんなこと。
思索すること、考えること、それを書いたり、描いたりして「こころのありよう」を探ること。
******************
作家の生活はなぞに包まれている方がそれらしい。何も語らず、顔も見せず、その存在さえ隠しておく。そんな手もあるだろうな。
ところが、私は自分の心のありようを隠しておけない。どうしてそうなのか、なぜそうなのか、語れば語るほど浅はかな底が見えるというものだ。まぁそれでお里が知れるようであれば、それまでのことだとあきらめている。
作家とはそういったものだろう。出し惜しみせず、その時の精一杯の全部出してしまう。出し尽くせばまた湧いてくるものだ。
思索すること、それを書いたり、描いたりして、その時々の心の声を聴くことが私の仕事のように思う。
はる 3008
又あとで。
少し書いたのだけど、pcのトラブルで消えてしまった。もう一度同じ文章を書くきにはなれないので、違うことを書こう。
上の絵は奇妙な絵柄だな。サルが台の上にいて左の少女と見合っている、髭のおっさんがそれを行司しているといった感じかな。自分で描いていながらどうしてサルが出てきたのか分からない。旅芸人とか大道芸人などは今までも描いていたのだけれど、動物使いのようなのははじめてだな。
いつだったかな、もう4,5年前になるか、兄弟の還暦を祝う行事で兵庫の有馬温泉に行った事がある。温泉そのものはそう珍しくもないのだけれど、そこで初めてかなお猿さんをつれた旅芸人を見た。まぁもともとそんな場末の芸人みたいなものに惹かれるところがあるので、時間を忘れてみていた。そんなことがどこかにあって出てきたのかもしれない。
私の絵は芸術などという高尚なものではないな。どうやっても芸術をやれ、芸術を語らなければ絵を描く資格がないというなら、絵など止めてもいい。私がやっていることで世の中が変わるとも思わないし、美術史に残るような絵描きにもなれないだろう。だから今の先端の芸術を語る能力も資格もないな。第一全く面白いとは思えないのだからどうしようもない。
私は自分が面白いと思った極々小さい世界を見つけて、こんなのもありますよ、あんなのもありますよと言うだけでいい。ただねぇ、自分のいいと思う眼だけは一級品であると自負しているのだけどな。腕がなかなか追いつかない。
また眠くなったのでお終いです。
又あとで。
少し書いたのだけど、pcのトラブルで消えてしまった。もう一度同じ文章を書くきにはなれないので、違うことを書こう。
上の絵は奇妙な絵柄だな。サルが台の上にいて左の少女と見合っている、髭のおっさんがそれを行司しているといった感じかな。自分で描いていながらどうしてサルが出てきたのか分からない。旅芸人とか大道芸人などは今までも描いていたのだけれど、動物使いのようなのははじめてだな。
いつだったかな、もう4,5年前になるか、兄弟の還暦を祝う行事で兵庫の有馬温泉に行った事がある。温泉そのものはそう珍しくもないのだけれど、そこで初めてかなお猿さんをつれた旅芸人を見た。まぁもともとそんな場末の芸人みたいなものに惹かれるところがあるので、時間を忘れてみていた。そんなことがどこかにあって出てきたのかもしれない。
私の絵は芸術などという高尚なものではないな。どうやっても芸術をやれ、芸術を語らなければ絵を描く資格がないというなら、絵など止めてもいい。私がやっていることで世の中が変わるとも思わないし、美術史に残るような絵描きにもなれないだろう。だから今の先端の芸術を語る能力も資格もないな。第一全く面白いとは思えないのだからどうしようもない。
私は自分が面白いと思った極々小さい世界を見つけて、こんなのもありますよ、あんなのもありますよと言うだけでいい。ただねぇ、自分のいいと思う眼だけは一級品であると自負しているのだけどな。腕がなかなか追いつかない。
また眠くなったのでお終いです。
はる 3007
流行というのは何だろう。その時代の流れの中でたまたま時流に乗れば一気にメジャーになって、何処でも雑誌に取り上げられたりする。一時の有本利夫なんかもシンデレラボーイと言われて注目されていた。まぁ彼はその後早くに亡くなってしまったので、以後の展開がどうなっていたのかは想像するしかないのだけれど、ひょっとすると鳴かず飛ばずの作家で終わっていたかもしれない。
流行歌の作曲家でも一時はこれでもかと思うほど次から次にヒットを飛ばしていた人が、ある時を境にほとんど活動が見えなくなってしまう。で、死亡のニュースを聞いてあぁまだ生きていたんだと気付いたりする。
才能は変わらずあるのだろうけれど、いつしか通り越して取り残されてしまうんだな。変わらずにずーっと評価されるのは一時当てるより難しい。反対に評価され出したら終わりが近いと言うことかもしれない。そう考えると鳴かず飛ばずの今の方が幸せなのかもしれないな、ひがみが多少入っていますが・・。
生きてきたように死んでゆくという例えがあるが、実際の話パッと出た作家は消えてゆくのも速い。まぁ出来うるならば死ぬまで淡々と描き続けていたいので、そこそこでいいよなぁと思う次第です。
流行というのは何だろう。その時代の流れの中でたまたま時流に乗れば一気にメジャーになって、何処でも雑誌に取り上げられたりする。一時の有本利夫なんかもシンデレラボーイと言われて注目されていた。まぁ彼はその後早くに亡くなってしまったので、以後の展開がどうなっていたのかは想像するしかないのだけれど、ひょっとすると鳴かず飛ばずの作家で終わっていたかもしれない。
流行歌の作曲家でも一時はこれでもかと思うほど次から次にヒットを飛ばしていた人が、ある時を境にほとんど活動が見えなくなってしまう。で、死亡のニュースを聞いてあぁまだ生きていたんだと気付いたりする。
才能は変わらずあるのだろうけれど、いつしか通り越して取り残されてしまうんだな。変わらずにずーっと評価されるのは一時当てるより難しい。反対に評価され出したら終わりが近いと言うことかもしれない。そう考えると鳴かず飛ばずの今の方が幸せなのかもしれないな、ひがみが多少入っていますが・・。
生きてきたように死んでゆくという例えがあるが、実際の話パッと出た作家は消えてゆくのも速い。まぁ出来うるならば死ぬまで淡々と描き続けていたいので、そこそこでいいよなぁと思う次第です。
はる 3006
何をもって一流というのか分からないのだけれど、未だかつてこの人は一流の人だという人に会ったことがない。いやすでに出会ってはいるのだけれど、私にそのアンテナがなかったがために見過ごしてしまったのかもしれない。
大体がその道では優れているけれど、人間的には尊敬できないとか、一芸に秀でてはいるのが人格破綻者だとか、そういった類がほとんどだ。最終的な全人格的に圧倒的に、ダントツに優れている、そんな人は人間ではないのかもしれないな。人間くさくない。
吉田秀和の話を前に書いたけど、もう一度書く。彼が奥さんを亡くして、もう何もやりたくない、聞きたくもない、まして仕事などしたくない、と思っていた時期があった。彼の仕事はクラシックの音楽評論であるから、好きで聴くのではなく仕事として聞かねばならなかったわけだ。
モーツアルトは天才だ。音が淀みなく美しい流れとなって自然に懇々と湧き出してくる。普通は真っ先に聴きたくなるだろう美しい音楽であるはずだ。ところがそのモーツアルトでさえ聴きたくなくなったらしい。なぜなら彼の音楽でさえ「私が、僕が、俺が・・」と聴こえてきたらしい。
で、一番最初に心ひかれた音楽はやはりバッハだったというふうなことが書かれていた。バッハの音は宇宙の存在を感じさせるそんな音楽だからだな。
器の問題かもしれないね。眠たいので又明日。
何をもって一流というのか分からないのだけれど、未だかつてこの人は一流の人だという人に会ったことがない。いやすでに出会ってはいるのだけれど、私にそのアンテナがなかったがために見過ごしてしまったのかもしれない。
大体がその道では優れているけれど、人間的には尊敬できないとか、一芸に秀でてはいるのが人格破綻者だとか、そういった類がほとんどだ。最終的な全人格的に圧倒的に、ダントツに優れている、そんな人は人間ではないのかもしれないな。人間くさくない。
吉田秀和の話を前に書いたけど、もう一度書く。彼が奥さんを亡くして、もう何もやりたくない、聞きたくもない、まして仕事などしたくない、と思っていた時期があった。彼の仕事はクラシックの音楽評論であるから、好きで聴くのではなく仕事として聞かねばならなかったわけだ。
モーツアルトは天才だ。音が淀みなく美しい流れとなって自然に懇々と湧き出してくる。普通は真っ先に聴きたくなるだろう美しい音楽であるはずだ。ところがそのモーツアルトでさえ聴きたくなくなったらしい。なぜなら彼の音楽でさえ「私が、僕が、俺が・・」と聴こえてきたらしい。
で、一番最初に心ひかれた音楽はやはりバッハだったというふうなことが書かれていた。バッハの音は宇宙の存在を感じさせるそんな音楽だからだな。
器の問題かもしれないね。眠たいので又明日。
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