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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 2839
 敷石その後4
 どこまで書いたかね。修理が終わったことを伝える。その後かかった経費を支払うということで決着がつく。で今日小切手が送られてきた。これで一件落着とあいなったわけだが、私が修理してお金を請求するという形となった。最悪の結果は避けられたけれど、これでよかったのだろうか。

 基本的にお金はどうでもよくて、一番伝えたかったのは個人の苦情を簡単に握りつぶしてはいけないということを言いたかったわけで、そのことはあまり明確には伝わっていないようだ。まずい五月蝿い相手につかまったと感じていたなら、また同じことをやるだろう。

 大体工事が終わって現状復帰した時に割れた様子がわかっていたにもかかわらず、それを黙って報告にこなかったこと自体罪がある。もう一つは連絡をとってもなかなか動かなかったこと、県や市の苦情係りに言ってもらってやっと少し動き出した経緯など、誠意ある対応が見えなかったことなど。

 というわけでこの会社はまた同じ過ちをおかすだろう。そんなことで、この件は終了とします。

以下にその経緯
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2/10 工事終了
2/12第1回目の電話をする、社長との面接
2/27第2回目の電話をする、後日連絡するとのこと。
3/02 市役所に苦情を持ち込む。後日連絡するとの留守電
3/13第3回目の電話をする、来週中に連絡するとのこと。 
3/16相手から連絡、修理費を支払うことで決着がつく。
3/19修理完了
3/24完了の電話をする。
3/25支払いをするとの電話連絡あり。
3/27住所不明、氏名の確認の電話あり。
3/28小切手が着く。一件落着かな?
 
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 今日は一日アトリエにいた。格別仕事が進んだわけではない。アトリエに居たというだけだ。



 
はる 2837
 今日の新聞に投資の話が出ていた。幸いなるかな、今のところ今日生きるのに精一杯で、投資を考える余裕も無いのだけれど、だからこそ何とか上手い話はないのかという気持ちも分かる。

 銀行にしても、証券会社にしてもサラ金と同じようにお金を回して利息を稼ぐというのは変わらない。何か物をやサービスを提供して利益を得るというのと根本的に違う。

 昔から効率よくお金を稼ぐ方法は「お金に働いてもらう」ことだというのは常識になっている。小商いで小銭を稼いでいたのでは大きく化けることはないのだろう。

 資本主義社会というのは最終的なかたちは「お金に働いてもらう」投資経済ではないかと思うのだ。資本を持っているものが、何かしらのデーターをもとにこれから伸びるであろう企業家や起業家に投資する、で上手くすればその利益を配当というかたち得るわけだ。

 その情報をどこから得て、どう分析するのか、そこがその博打に似た面白いところでもあるし、怖いところでもある。まぁ多くの健康な市井の人々は遊びの感覚でトレーダーとして市場に参加しているわけで、その限りにおいてはお楽しみの範囲であるし、怪我することも少ない。

 我々はというのか、今は非常に不安定なところにいる。定職を持っていてもいつリストラにあって職を失うかもしれないし、老後の年金も大して期待できない。老後のために今持っているなけなしの資金を「少しでもよい投資をしたい」というのは人情として当たり前だわな。

 何故か時代の気分として手軽に手堅く投資することが当たり前で、格好がいいという雰囲気がある。まぁそれが先ほども書いたように遊びの範疇であるなら何にも問題は無いのだが、人は段々に欲をかくものだからね、問題もある。

 アメリカ資本主義世界の優等生だからね日本は、どうしても「投資はいい事である」という前提がなければ成り立たない社会を作りたいわけだ。でもなぁ、今回の件(大きな証券会社の破綻、アフガニスタン侵攻など)をみてもかの国はあまり信じてはいけないような気がするなぁ。どこも自国が火の車になれば他国のことなど構っちゃいられないよ。

 で、いつもの結論になるのだけれど、おたおたしないで覚悟を決めて生きてゆくことだな。地道に今ある生をゆっくり楽しんで、食べれなくなったら静かに生を閉じる。それでOKだ。
 



 
はる 2836
 昨日の続き
 仮にあの10回の場面で、韓国バッテリーが敬遠策を選んでいたら、今回のWBCは違うものになっていただろう。それは日本が勝つとか韓国が逆転したという話ではなく、多分さらりとした日韓の試合をほめる形で済んでいしまったように思う。ある意味盛り上がりが今ひとつ欠けたものになっただろう。

 あの場面で韓国バッテリーが敬遠せずに勝負することを選んだことで、今回のWBCの全試合の中で特出すべき目玉というのか、最高に緊張感のある場面が演出されたのだ。

 損得ということで考えるなら、韓国にとって敬遠策が一番得策だったわけだ。けれどその選択をすることで、この世界大会という真剣勝負の場がいっきにつまらない、思惑だらけのショーになってしまっていただろう。

 多分あの場面はイチローしかありえないシーンだった。彼以外の選手であれば韓国バッテリーも敬遠策を選んだに違いない。世界大会などの大きな舞台を見ていると、時にこの場面でしか登場できないヒーローやヒロインが出てくる。満を持してと表現されるけれど、選ばれし者というのは時と場所をぴったり合わせて出てくる。多分そういうのを天才というのだろうな。

 



 
はる 2835
 WBCをテレビ観戦した。日韓の決勝戦だ。最近はサッカー人気に押されて野球人気はやや衰えが見えるし、どちらかといえば日本のプロ野球はアメリカのマイナー球団のような感じさえする。そんなこともあってプロ野球などほとんど観ないので、選手の名前さえ知らないありさまだ。

 サッカーはどちらかといえば狩人的な狩猟民族のスポーツだ。チームで追い込んでいって、ここぞと思うところでシュートする。頭で考えていろいろイメージしていると、一手遅れてしまうわけで、とにかく身体能力がほぼ全てのスポーツだ。

 それに比べて野球は農耕民族のスポーツだ。どこか武道に似ているところがある。よく管理された自己統制された人格を求められるところがある。まぁこういったイメージは日本野球の作られたイメージなのかもしれないがね。

 野球の本場のアメリカやキューバの野球を観ていると、明らかに日本の野球とは違うわけで、彼らの野球はパワーのある個人競技だなと感じる。今回日本がキューバに2連勝したのは、荒い個人のパワーだけで勝負するベースボールが日本的な野球に負けたということだろう。

 それぞれの国に独特の野球のかたちが出来る。そうなって初めて野球が世界のスポーツになったわけで、本家のアメリカ野球だけがいつもかつというのであれば、世界のスポーツにはなれない。

 アジアの野球といっても韓国の野球のレベルも凄く高いと思う。まぁ同じアジアの人間として似ているだけにやりにくい相手ではある。今回特に思ったのは、最後の場面でイチローとの勝負になった時、日本の野球なら一塁が開いているわけだから敬遠する。負けない野球のそれが定石なんだな。

 ところが、韓国のバッテリーは他の走者は関係なく、打者イチローとの勝負を選んだ。例えそれで負けても勝負しないで負けたらくいが残ると考えたのだろう。ここのところがその国民性がよく現れている。

 これはバッテリーと打者だけの話ではない。要するに国を代表しているということは、ほとんど大多数の総意であるということだな。意識しているかどうかは分からないけれど、あそこで逃げないで攻めるのをよしとする国民性というのがあるのだろう。同じアジアの野球でさえもその国民性によって微妙に変化する。そんなところが面白いと思った。 

 余談だけれど、清原はそういった韓国野球の素晴らしさ、国民性を踏まえてよく伝えていた。他の解説者は敬遠せずイチローと勝負するのは馬鹿ですねみたいなことを言っていたけれど、馬鹿はどっちだろう。清原自身は好きなキャラクターではなかったのでよく知らないで、ただの野球馬鹿と思っていたけれど、彼はやっぱり一流の役者だと思った。みなおした。私に見直されても何ほどでもないけどね。

 



 
 はる 2834 
 カウンターは別にして、訪問者の数を知る方法がある。それによると私のブログを訪問してくれるお客さんはほぼ40~50人で日によってほとんど変動が無い。これが多いのか少ないのか、よく分からないのだけれど、カウントを稼ぐ色んな対策をまったくしていない、無名の作家のブログにしてはそこそこ健闘しているほうかもしれない。

 それにしても、ネットデビューはこの年にしては早いほうだと思う。HPを立ち上げたのは1999年の中ごろだ。なぜうろ覚えかといえば、最初は人様に立ち上げてもらったからだな。パソコンさえなかった。その頃のHPというのは実にのんきなもので、皆さんものめずらしくやたらとハデハデなページが多かった。最初の頃のHPは、むろん動かない、更新されない、家族写真みたいなもので、人様には全く面白いものではなかった。

 その後、自分でパソコンを買って更新できるようになると、がぜん面白くなって自分の作品集も兼ねた、今のスタイルに落ち着いてきた。2000年過ぎには掲示板に日記をつけはじた。やがて独立した日記「絵描きのぼやき」になる。2005年あたりからブログに参加、現在にいたる。

 



 
 さて、今日は何もない日かと思っていたら、昨夜気が付いたのだが、奥歯の詰め物が取れていた。これは神戸で応急処置をした歯ではなく、新たに歯が欠けたもので段々に歯ももろくなって来たようだ。歯と目は比較的に大事にしているつもりなんだけれど、これもまた次第に老化しているようだ。こんなことは聞きたくも無いだろうな。でもまぁこれも日常なので勘弁してくれ。

 明日からまた雨らしい。少し夜になって冷えてきたようだ。
 



手前が新しく修理した敷石
はる 2831
 昨日の続きのような話。とりとめもなく

 90年代というのはもう私は40歳に近いわけで、けっして若くはなかった。にもかかわらず、自分はとても人様の前に、これが私でございと出られないと感じていた。まだそのほんの入り口に差し掛かった段階で、何も語れないと思っていた。

 それから20年近く経つけれど、結局今も同じような気持ちだ。最近分かったことは、そんな人間は一生完成することはないということだ。

 世の中に出るのに早すぎるということはないのかもしれないな。案外未完成のままで、今のその状態で出ればよかったのだ。世の中に求められていれば、自然に出られるのだろう・・いや、まぁもうすでに恥ずかしいぐらい年取ってしまったのだけれどね。

 で、仮に私の完成形というのはどういったものだろうか?と想像してみた。どういったかたちなんだろうか。

 けっして「上手い絵」というのを目標にしている訳ではない。一見下手くそなヘタレ絵なんだけれど、目のある人観ればなるほどなぁと言われるようなのがいい。まぁそれが究極的な「上手さ」なのかもしれないけれどね。李朝時代の民画などを見ると下手くそなんだけれど上手い。描けないと思う。それほど野太くはないからだ。

 色はどうでもいいと思っているところがある。「色」は「欲」につながる所があってね、やせ我慢もやり通せばダンディズムだと思っているふしがある。対極の「酒とバラの日々」にも憧れはあるのだけれど、極めるのはどちらも同じぐらい難しいのだろう。枯れてしまうのは望まないけれど、「色に出にけり・・」でほのかに香る程度でいいかなと思う。

 まぁここでも徹することができない優柔不断の性格が邪魔している訳だけれど、中庸をいくしかないかな。また考えることにする。
 



 
はる 2830
 90年ごろまだ油絵を描いていた。その頃の絵はかなりはっきりとした具象絵画で、私の中では今までで一番世間的な評価が高かった頃だ。その後イタリアに行ったことをきっかけに油彩がをやめてしまった。また発表が個展を中心になって体外的なコンクールに出品することを止めてしまったので受賞することもなくなった。

 その頃の画風は絵巻物風な空間に日本画のような定型の女性像とを組み合わせたもので、まぁ当時流行りのフレスコ画風な味付けを意識したものだ。誰の影響かと言われればはっきり特定の人物が何人か浮かんでくる。

 人は時代の中で生きていて、誰もがその気分から逃れることはできない。自分の個性だと思っていたものも、時が経てば明らかに誰かの影響を受けていると分かる、時代の雰囲気というのは怖いものだ。

 当時考えていたことはまだまだ本物じゃない。今世の中に出ても偽者、亜流でしかない。もう少し自分のものが見つかってからにしてもらいたいと考えていた。やりつづけてゆけばやがては自分だけの物に近づけると単純に考えていたようだ。

 しかし、今になって思う。それが私だったんだとね。そこまでの私だったんだとね。本当の自分などというのはたまねぎの皮をむくように、最後には何も残らない。人は今の自分のレベルでしか判断できない。どんなにいい言葉でも素晴らしい絵画でも、その人にその受け皿がなければ感受することは出来ない。
 
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