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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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手前が新しく修理した敷石
はる 2831
 昨日の続きのような話。とりとめもなく

 90年代というのはもう私は40歳に近いわけで、けっして若くはなかった。にもかかわらず、自分はとても人様の前に、これが私でございと出られないと感じていた。まだそのほんの入り口に差し掛かった段階で、何も語れないと思っていた。

 それから20年近く経つけれど、結局今も同じような気持ちだ。最近分かったことは、そんな人間は一生完成することはないということだ。

 世の中に出るのに早すぎるということはないのかもしれないな。案外未完成のままで、今のその状態で出ればよかったのだ。世の中に求められていれば、自然に出られるのだろう・・いや、まぁもうすでに恥ずかしいぐらい年取ってしまったのだけれどね。

 で、仮に私の完成形というのはどういったものだろうか?と想像してみた。どういったかたちなんだろうか。

 けっして「上手い絵」というのを目標にしている訳ではない。一見下手くそなヘタレ絵なんだけれど、目のある人観ればなるほどなぁと言われるようなのがいい。まぁそれが究極的な「上手さ」なのかもしれないけれどね。李朝時代の民画などを見ると下手くそなんだけれど上手い。描けないと思う。それほど野太くはないからだ。

 色はどうでもいいと思っているところがある。「色」は「欲」につながる所があってね、やせ我慢もやり通せばダンディズムだと思っているふしがある。対極の「酒とバラの日々」にも憧れはあるのだけれど、極めるのはどちらも同じぐらい難しいのだろう。枯れてしまうのは望まないけれど、「色に出にけり・・」でほのかに香る程度でいいかなと思う。

 まぁここでも徹することができない優柔不断の性格が邪魔している訳だけれど、中庸をいくしかないかな。また考えることにする。
 
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