画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 2957
年間に何とかそこそこの作品を50点用意しようと思えば最低でも100点ぐらい描く。恥ずかしくない作品をモノにするのは結構難しい。いいか悪いかの判断は尚難しい。
時々学校の正規の先生を続けていたらどうなっただろうと考えることがある。まぁそこそこ仕事にも慣れ教師としての適正も確立したであろう。しかし、確かに言える事は今のような絵を描くことはなかっただろう。描けなかっただろうな。
何事かの仕事をしようと思えば退路を断たなければ出来ないような気がする。これが上手く行かなくてもまだ他に違う生き方がある限り本物にはなれない。今の絵がいいか悪いか本当のところは分からないけれど、確実に言える事は生きた時間、命を削って描いたということだ。
生きてゆくのはなかなかつらいものだ。ついつい楽な手っ取り早い仕事でお茶を濁してしまうのだけれど、絵描きである以上絵でなんとか食いつないでゆく方法を捨て身で考えるべきだ。そうやって初めて人は少しは親身に鑑賞してくれるのだ。
年間に何とかそこそこの作品を50点用意しようと思えば最低でも100点ぐらい描く。恥ずかしくない作品をモノにするのは結構難しい。いいか悪いかの判断は尚難しい。
時々学校の正規の先生を続けていたらどうなっただろうと考えることがある。まぁそこそこ仕事にも慣れ教師としての適正も確立したであろう。しかし、確かに言える事は今のような絵を描くことはなかっただろう。描けなかっただろうな。
何事かの仕事をしようと思えば退路を断たなければ出来ないような気がする。これが上手く行かなくてもまだ他に違う生き方がある限り本物にはなれない。今の絵がいいか悪いか本当のところは分からないけれど、確実に言える事は生きた時間、命を削って描いたということだ。
生きてゆくのはなかなかつらいものだ。ついつい楽な手っ取り早い仕事でお茶を濁してしまうのだけれど、絵描きである以上絵でなんとか食いつないでゆく方法を捨て身で考えるべきだ。そうやって初めて人は少しは親身に鑑賞してくれるのだ。
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