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画家・榎並和春  2011/3からHPアドレスが変ります。 → http://enami.sakura.ne.jp
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はる 2960
 徒然に
 最近ちらちらと頭に浮かぶことはまぁ世の中全般的なことでもいいのだけれど、何もかも何の影響もなく全くの独創などというものがあるかなということ。こうやって言葉でモノを考えること自体何らかの文化的な影響を受けているわけで、これが生まれてこの方誰にも会わず、何処からも情報が入ってこなければ人間にはならんだろうな。宇宙

 動物というのはチンパンジーのような高等なものでもどうなんだろう、自我みたいなものはあるのだろうか。自我があれば他者があるわけで、そこから時間的な過去。現在、未来みたいな概念がでてくるわな。だからまぁ彼らは今しか生きていない。経験といっても自分が体験した恐怖とか美味しかったとかの感覚は学習してゆくのだろうけれど、まぁそれだけで終了だわな。まぁだからそれ以上の記憶みたいなもの、遺伝子レベルの記憶に残してゆくには何世代もの経験が必要だろう。

 人の場合言葉があるために何世代もかけて遺伝子レベルの記憶にしなくても次世代に自分の記憶を少しは残せる。まぁだから人間は学習することで人間になるということだな。

 ところで、例えばシマウマの模様とか虎の縞模様など指紋みたいなもので全く同じモノはないらしい。でもシマウマならシマウマらしい模様に必ずなるわけで、それがヒョウ柄になったりはしない。それには何かしらの遺伝子情報があるわけで、ちょっと違うけれどフラクラル(自己相似形)みたいなものだろう。まぁちょっともう確かな理論があるようだよ。

 一番簡単な自然界の法則としてよく言われるのが1.618の黄金比だな。植物のツルのカーブとか種の並び方、貝殻や卵の形など計ってみるとそうなっていたということなんだけれど、これにもフラクタルの理論の簡単な応用だな。

 この植物の渦巻き形と宇宙の星雲の形って似ていない?多分我々の住んでいる太陽系もそんな大きな銀河のうずまきのなかにある。

 金子みすずのこの詩に感動したのだけれど、そんなことがさりげなく美しく歌われている。これってフラクタルだよな。
***********
蜂は花のなかに

花は庭のなかに

庭は土塀のなかに

土塀は町のなかに

町は日本のなかに

日本は世界のなかに

世界は神のなかに

そして そして

神は蜂のなかに

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 で、ここからは想像だけれど、やっぱり人の頭脳というのは宇宙を真似て出来ていると思うんだな。でなければこんなに上手い具合にちょうどいいものが出来るわけない。頭脳というと物理的な大きさを持ってしまうのだけれど、想像力とか空想力と考えてみるとこれはほぼ無限の広がりがあるわけで、過去も未来も自由に行き来できる。映画マトリックスみたいだけれど、そのうちにイメージの世界が他人共有できるようになれば、まんざら嘘のせかいでもない。

 眠くなった。また。
 
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