画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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はる 3645
はっきりとした方向が見えていたわけではない。当たり前に取材して構想を練って下絵を描いてという手法がまどろっこしくて、物事の説明で終わるような気がしてね。どうにも自分のがさつな性格には合っていないように思えた。
それに、下絵を描いている時のウキウキとした楽しい気分が本画になると感じられないのも不満だったな。どうなるか分らないけれど、手探りで試みている時の方が絵を描く醍醐味があるような気がしたんだな。
いつ頃からかなぁ、まったく下絵を描かなくなった。大きい絵でも小さい絵でもほとんど同じで全てぶっつけ本番で、絵の中に絵を探すという全く成り行き次第でどうにでもなる描き方に変った。だから見る人がみたら、全くでたらめなことを平気でやっていると見えるだろうな。
絵の中に何かしらの物語があるのが好きだ。人によってはそういった文学臭を嫌う人がいるけれど、私はあるものを否定する方が不自然だと思うな。形ある絵には元々物語がついているのだ。人は形あるものを見た時に自然に何かしらの物語を感じているはずだ。抽象的に美しいと言うこともあるけれど、それもどこかで見た風景や光景の一時のかたちであったのではないかな。よくわからないけれどね。
まぁ凄く難しいのだけれど、だからと言って挿絵のように物語の説明に始終してしまったら、それはそれで違う。
ここでまた眠くなった。すまん。
はっきりとした方向が見えていたわけではない。当たり前に取材して構想を練って下絵を描いてという手法がまどろっこしくて、物事の説明で終わるような気がしてね。どうにも自分のがさつな性格には合っていないように思えた。
それに、下絵を描いている時のウキウキとした楽しい気分が本画になると感じられないのも不満だったな。どうなるか分らないけれど、手探りで試みている時の方が絵を描く醍醐味があるような気がしたんだな。
いつ頃からかなぁ、まったく下絵を描かなくなった。大きい絵でも小さい絵でもほとんど同じで全てぶっつけ本番で、絵の中に絵を探すという全く成り行き次第でどうにでもなる描き方に変った。だから見る人がみたら、全くでたらめなことを平気でやっていると見えるだろうな。
絵の中に何かしらの物語があるのが好きだ。人によってはそういった文学臭を嫌う人がいるけれど、私はあるものを否定する方が不自然だと思うな。形ある絵には元々物語がついているのだ。人は形あるものを見た時に自然に何かしらの物語を感じているはずだ。抽象的に美しいと言うこともあるけれど、それもどこかで見た風景や光景の一時のかたちであったのではないかな。よくわからないけれどね。
まぁ凄く難しいのだけれど、だからと言って挿絵のように物語の説明に始終してしまったら、それはそれで違う。
ここでまた眠くなった。すまん。
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