画家・榎並和春 2011/3からHPアドレスが変ります。
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便利が全てという価値基準で考えてゆけば、各個人の専門店より近くのコンビにの方が役に立つということになるだろうし、本格的に手をかけた料理より電子レンジでチンのジャンクフードの方が味が強くて美味いと言うことになる。
確かに今の街中の商店街の凋落振りを見ると、もうこれからは個人商店、魚屋や八百屋、乾物や、金物や、といった専門店の成立世の中ではなくなってしまったなぁと感じる。いやそうではない、とにかくいい物はいいのだからここで踏ん張って頑張れとはいえない。
食べ物だけの話ではない。衣類などもユニクロに行けば色とりどりの下着からGパンからジャケットまで普通のお店で買うよりかなり安い値段で買うことが出来る。靴なんかでも安売りのスーパーに行けば、デザインやブランドにこだわらなければ何百円で買える。日常使いでは充分使用に耐える。
多分こういったものは海外の人件費の安いところで作られたものだろうけれど、そうすると国内のそういった生産者はまったく対抗できないわけで、まぁこれはね、農産物なんかにも言えるわなぁ。放っておけば国内の農業など全てやってゆけなくなる。
合理的という考えをすすめて行くと、最終的には生きているという事自体が非合理的に出来ているということに気付く。そもそも生きていることに意味があるのかという根源的な問いかけにたどり着いてしまう。
人の幸せというのは非常に相対的なもので、これが絶対ということはない。不便な時は便利な世の中に憧れるものだが、便利になったからといってそれで確実に幸せになれるというものではない。
老子の話に「小国寡民」という言葉がある。理想的には国は出来るだけ小さくて人は出来るだけ少ない方がいいということらしいのだけれど、昨日の話のオチと同じようなものだけれど、誰が作ったのか分かるような物をくって、自分で編んだ、縫った服を着て、自分たちで作った家に住む。そんな生活が一番幸せかもしれん。
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